2011年6月25日、滋賀県のアヤシイ穴を攻めたこの日、いわくつきなこのネタも同じ日のこと。時系列では、今回のネタの方が先になる。
最初に断わっておくが、2回に分けて記事にするこの物件、現在はまあまあ様変わりしているはず。この物件を語るにはある案件を避けては通れず、この案件の状況に応じて変化しているはずだが、これ以降には訪問していないために現状は未確認。
なぜならば、公式には立●●止だから(笑)。
なので、一応ファン限定記事にしたわけで…。2011年初夏時点の記録として、上げておく。
ろくに説明もなしに、まずはココから。
昔のエロ本的な黒消し御免(笑)。あ、左のは消さなくても良かったかな~(笑)。地図も出さないので、悪しからず。とはいえ、ほぼほぼわかってしまう展開にはなるのだが…。
先述のように、ゲート封鎖と、見落としたとは申し開きできないような看板が設置されていたのだが、その脇には、●●山への登山道入り口があった。
実は別件(記事はいつか)でここを入ったのだが、その時に気づいてしまった。この登山道からなら、ガードレールを跨げば、例の看板なしに「アッチ側」に入れてしまう…。
うーーーん。マンダム。
ふと気付くと
あれ?ここはどこ?(白々しい
言ってしまえば、これは工事用道路だ。
そして、見えてくるのは、
橋!
巨大な、橋!
この光景だけを切り取ると、そしてこれが忽然と現れたのなら、けっこう衝撃的じゃないだろうか。破滅後の世界みたいな。
実際は、ここに入ってくる以前の段階からいやでも目に入るほど主張してくるので、さほどの感動はない、残念ながら(笑)。
そして工事用道路はヘアピンでターンし、
今見えた巨大な橋に寄り添っていく。どうやら先で合流するようだ。
そして、その先には…もう見えている、アレが。
でもその前に。
合流しての振り返りの景を見てほしい。
右の坂を登ってきた。正面に見ているのが、先ほど見上げた巨大な橋。その先も、見渡す限り続いている。
歩道スペースも備えた高規格な道路ながら、センターラインは引かれていない。この道路の発散するオーラは、まさにアレ。
未成道路。
そう、これは大規模な未成道路そのものなのだった。そして、この2018年12月現在も、未成道路のままである。
ここで、避けては通れぬ案件の話をしよう。
大戸川(だいどがわ)ダム。それが案件の名称である。
1978(昭和53)年に洪水調整、上下水道、発電などを目的とした特定多目的ダムとして建設計画が立ちあがったこのダムは、多くの紆余曲折を経て、現在では洪水調節専用の穴開きダム(湛水しない)として建設が予定されている。詳しくはウィキ先生を参照のこと。
「予定」と書いたとおり、実はダム本体は、今に至っても全く着工していない。大戸川ダム工事事務所のホームページによると、「中・上流部の河川改修の進捗状況とその影響を検証しながら実施時期を検討」する、とある。
にもかかわらず、計画が立ち上がって先行して行われた用地買収や県道付け替えなどの事業はぐいぐいと進捗。これがこのおかしな状況を生むことに。
つまりこの道は、いつ成るとも(あるいは成らないとも)知れない大戸川ダム完成に向けて作られた、付け替え県道の姿なのだった。
いやはやなんとも…なお話。しかしここでは、様々な経緯もあることだし、その是非やダムの要・不要については措いておく。ただ記録として。
そしてその付け替え県道には、
トンネルが。
これこそがわたくしのターゲット。以前から訪ねたかった物件だった。
お名前は…って、
なんだこれ。
わかるだろうか。扁額がわりの文字が埋め込まれるべき四角形のスペースが7つ、不完全ながら用意されている。これは未完成状態なのか?いや、そんなはずはない。
なぜなら、坑口入ってすぐ左の銘板には、
2003年3月という完成年が。そしてお名前も確かに7文字、桐生辻トンネル、と。
探索の8年以上前には完成していたはずのこのトンネル。なんで坑口部分はあんな未完成状態だったのかは謎だ。
しかしこのトンネルについて、完成後数年してから覆工コンクリートのひび割れや漏水、鉄筋の露出など多くの不具合が発生したというニュースを確認していた。あるいは、それらの調査の影響だったのかもしれない。
では…
お邪魔しようか。
【後篇】に続く。