久々にモタスポ話を。でも、残念ながら(個人的には)胸くそ悪い話なんでして…。
タイトルどおり、これまで長年にわたってF-1グランプリの現場に華を添えてきたグリッドガールが、今季からその姿を消すことになってしまいました。
正確に言えば、現在F-1の商業権者である米国のリバティ・メディアが、「現代の社会的規範にそぐわない」との理由で、昨季限りで「決勝レース前のスターティンググリッドにおけるグリッドガールの廃止」を決めたものです。いわゆるフェミニスト団体がかねてから廃止を訴えてきており、それを受けての措置と見られているとか。
つまりですな、グランプリにおいて
カーナンバーとドライバー名のプラカードを持って立っている、こういう美しい姿はもう見られないのであります。※写真はネットからお借りしました。
補足しておくと、F-1でのグリッドガールは、各国のレース主催者やサーキットが公募して、選ばれた女性が務めてきました(ちなみに、日本でのいわゆるレースクイーンはスポンサー各社が独自でたてるもの)
それで、ですね?
「現代の社会的規範にそぐわない」。それって、一体どういう意味なんでしょう。
まぁ要は、キレイなお姉さんが露出度の高い服を着て、多くの聴衆の目の前で立っているっていうのが、「女性を見せ物、添え物として扱っており、男女平等の観点から甚だ好ましくない」って方便なんだろうと思うのですが、彼女たちは誰に強制されたわけでもなく、誇りをもって務めていたんですよ。
馬鹿を言っちゃあいけないよ!
グランプリの現場は決して女性の活躍が阻害されている世界ではなく、いろんなところで女性たちが活躍しているようです。今のところ女性ドライバーこそいないものの、広報やメカニック、チームのチーフ・ストラテジスト(コース上での戦略責任者)や副代表のような要職にいる方もいますしね。もちろん男女比で見れば女性のほうが全然少ないけれど、それはモータースポーツという業界のカラーによるもので。
つまり、多くの女性たちがそれぞれの能力を活かしてそれぞれの持ち場で活き活きと仕事してらっしゃるわけですが、それらの女性たちとグリッドガールを務めている女性たちと、何が違うというんでしょうかね?
男女問わず、自らの外見や美貌を活かした仕事をするっていうのは、完全に正しい、理にかなった行為だとわたくし思います。外見はその個人の特質であり、良い外見っていうのはれっきとした能力ですし、アイドルだとかモデルさん、役者さん女優さんなんてのは、その最たるものですよね。
というところで、このグリッドガール問題。
そもそも、最高格式の国際レースで務めるこの仕事に選ばれること自体が、彼女たちにとっては大きな名誉であり、自身の仕事やキャリア確立にも大きく寄与していたはず。
容姿に恵まれた女性が、自らの美貌を進んで活かして誇りを持って仕事をしているのが、なぜに女性蔑視ってことになるんでしょうか。
そういう見方やそう感じる感性が女性蔑視そのものであり、女性の活躍を阻害する行為なんじゃないの?
そもそも、近年のグリッドガールの衣裳って、昔のように露出度勝負ってわけでもなくって、
このように
その国の民族衣装を着てることも多くってね。※写真はネットからお借りしました。
これはオーストリアGPのチロル風衣装だっけか。可愛いですよね~。
コレが問題なら、チアリーダーやラウンドガール、モーターショーのコンパニオンとかどうなのさ?全部ヤメか?全部おっさんがやったら満足なのか?馬鹿馬鹿しい。
女性には、男性には醸し出しようもない華やかさがあります。これは厳然たる事実であり、女性の特質なのに。グランプリの決勝グリッドという華やいだ場で、それをのびのびと表現してはイカンのか?一体全体、何が問題なの?
案の定、当のグリッドガールたちからは反発と批判の声が上がっているようですね。曰く「私の仕事はフェミニストたちに奪われた」。完全にその通りですよね。ドライバーたちやチーム関係者の多くも、その廃止を嘆いているみたいです。「彼女たちは、完全にグランプリの一部だった」ってね。まったく同感です。
とはいえ、もうすでに決まってしまったこと。2018年シーズンからは、グリッドガールならぬ「グリッドキッズ」が登場するんですってさ(失笑)。アホくさ。華やかさのないモータースポーツなんて。塩抜きのパスタみたいなもんやん(謎)。
本来のフェミニズムの理念とはおおよそかけ離れた、モンスタークレーマー化した「声の大きい自称フェミニスト」たちのせいで、女性たちの活躍の場が奪われるとか、こんなおかしなことがまかり通るなんて、興ざめも甚だしいですし、欧米の歪んだフェミニズムには思いっきり中指を立ててやりたいですわ(笑)。
以上、読み返してみたら気持ち悪いテンションの記事でした(笑)。