【9】より続く。
前回最後のこの写真。
実はちょうどこのあたりが、那智勝浦町と古座川町の境界となる。
が、それを示すものは見当たらない。こんなとこに白看によるカントリーサインとかあったら、名所になりそう(笑)。
しかし…こういう何もない場所が境界になるのはどういう基準なのか、ずっと気になってる、そういえば(笑)。
さて。
デ・ジャヴのような、この光景。時刻は11時22分。
2時間弱前に見た高野川出合と瓜二つな現れ方の橋が。
場所はコチラ。
橋に正対。
重厚だった栃の川橋に比べ、欄干がノーマルタイプな分軽やかな印象。苔生し具合も一歩譲るかな?
そして…この写真である重要なことに気づかれた方は、ナカナカ上級者かも(謎)。答えは3枚下の写真で。
さっそく親柱チェック。まずは向かって左。
「であいはし」。お名前だった。
そして向かって右。
「山手ノ川谷川」。
地図によると山手川となっているが、コレはその正式名称?あるいは回りくどい表現?(笑)
さて、橋を渡る前に…。
橋の手前、山手川に沿ってさかのぼる道があった。
樫山小匠線から分岐する支線のひとつ、林道山手川線(仮)。かつてはこの道の先に、山手川集落があった。が、当然のように現在では無住の地となっている。
この道にもぜひ見ておくべきものがあったのだが、徒歩進軍のわたくしとしては、時間・体力との相談により穴橋最優先、残念ながらこの道をたどることは断念した。いつか、また…。
え?さっきの答え?それは…路面をよくご覧あれ。
アスファルト舗装。
この出合橋手前から、突如としてアスファルト舗装が現れたのである。こりゃあ驚いた!
これ以降樫山まで、断続的にこうしたアスファルト舗装の痕跡が現れた。コレは…やはり古座川町に入ったことと関係があるのか?
橋上から望む、
山手川出合。
ほぼ合流点直上とでもいうべき位置に架橋されているように見えた。
渡った先は、
なんとも心細げな…。
出合橋、サイド気味アングルにて。
コレにもけしからんモノが写りこんでいる…。
はい、またしても答えは3枚下の写真で(笑)。
ルーティーンの親柱チェック、左側。
「昭和三十六年八月竣成」。
そして右側。
「出合橋」。
個人的に好きな名前だ、出合橋。
高橋、大橋、万年橋などと並び全国的に分布している名前だが、川が出会うところには出合橋、という非常にプリミティヴなテイストがなんたらかんたら(意味不明
で、
ここへ来てようやく気付いたわけだが、
小匠側に旧橋の橋台が!
コレが先ほどのサイドアングルに写りこんでおりました~。
ほんのり拡大。
非常に素晴らしい石積み橋台。
しかもこの形状…基壇部を含め四層構造になっているように見える。この橋台からは、やはりここも方杖橋が架かっていたと見るのが妥当かと。
デジカメバッテリーの心配から撮影枚数をセーブしていたが、確かこのあたりですでに残量ゲージの目盛が3分の2になっていた。こうなると早い、我がオンボロ愛機。
いつもより控えめな撮影枚数で、橋を愛でるのに要した時間は6分。
結論を申せば、ここから樫山までの残り行程、さらにジャスト1時間かかった。
なかなか楽じゃない徒歩進軍、加えて苦しいバッテリー残量の制約を受けつつの残り行程。しかし、さらなる衝撃に遭遇することになるとは予想していなかった。
そのあたりは…次回の次回くらいかな?(笑)
どこまで続く、この連載!?
とりあえず、【11】に続く。