【5】より続く。
時刻は9時29分、いったん樫山小匠線から外れ、
林道高野線(仮)を北上する。
今度の伴走者は
高野川。
いずれ、清らかな川の流れを楽しみながらの道中には変わりない。本当に、ずーっと気持ちのいい道が続いている。
ちょうどここらあたりに、
!!あ、穴!?
まあ実は先人の記事にも出てたから、驚きはしなかった(笑)。立地的に、どこかへ抜ける隧道であるとは考えられない(相当な長大隧道でも掘らないと!)し、現にすぐに閉塞していた。水もたまっていたし、深入りせず。ちなみに先人の記事では、小規模な鉱山遺構ではないか、とされていた。
行く手を、少しズームで。
この道にまで来ると、さすがにダブルトラックは見られない。が、踏み跡もしくはシングルトラックは比較的はっきりと刻まれている。
ここから道は、大きく右へとターンしていく。
上の写真右上、ちょうど日向になっているところがここ。
うーん、うまく写ってないな…。
崩壊斜面が道を横切っている。が、崩れてからは割と日にちが経過してそうで、斜面は安定し、その上に踏み跡が形成されていた。
平常を取り戻した道は
そのまま右ターンを続け、
そのどん詰まりに…。
いらっしゃいませ!毎度ありがとうございます!
隧道、
キました!
小匠隧道と同じく、2.0mの高さ制限標識を従えたこの隧道、これまた「トンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査/国土交通省)」に、それらしき物件が見える。その名、そしてスペックは、
「タカノダイ1ズイドウ」
延長12m、幅員2.8m、有効高3.0m。
そして注目すべきは、その建設年次、昭和15年。
小匠隧道が昭和30年(同リストより)、栃の川橋が昭和33年(親柱より)と戦後の建造だったのに対し、この高野第一隧道は15年以上遡って戦前の建造だった。このリストを一応信用するならば、それはつまり、林道樫山小匠線よりも先に、この林道高野線(仮)が開通していたことになる。
が、それはどこから?
小匠隧道が掘削されていない段階で、この道はどこから来てどこへ向かっていたのだろうか?
机上調査がサッパリなわたくし、ここは華麗にスルーしておく(爆)。
高野第一隧道はコチラ。
坑口下には、
頭上からのデス・トラップが堆積。
一撃でじゅうぶんやな…くわばらくわばら…。
これまた小匠隧道と同じく、
豪快に掘削されているにも関わらず、きれいに整形されていて、なんかこだわりを感じる(笑)。
いやぁ~、
イイですねい。やっぱ隧道ってスキ(笑)。
しかしねぇ、ここも有効高2.0mなんてこたぁナイだろう。絶対3m近くはあるでしょうよ!
少し引きで。
こちらには高さ制限標識がナイですな…。
さて、
80mほど進んで再度振り返ったのが、
コチラ。
同業者ならこの写真で気づくかも?その目前の部分。
横から見ると、
このような立派な橋になっております。
桁は、
木柱を並べた簡易なもの。だいぶ腐ってきとるな…(汗)。
それを支えるH鋼はまだ大丈夫だろうが、まあ下から見ないほうが幸せな類いの橋ですな(笑)。
時刻は9時47分。高野川出合(栃の川橋)より18分、距離にして700mほども来ただろうか。
樫山までまだまだ歩かねばならない(そしてもちろん歩いて戻る!)わたくし、脱線もほどほどにしないといけないのだが、ココはまだ引き返さず、もう少し先を目指す。先人の記事で目にしたものを、やはりこの目でも見たい。そう遠くはなさそうだし。
てなわけで、
寄り道は終わらなーい。
【7】に続く。