【9】より続く。
「あの~、コレ、また登るんですよね?」
「はい、そうDEATHよ」
で、DEATHよね~。
もう、やけくそ(爆)
というわけで、めっちゃ急な鉄製階段を降りて、降りて、降りる(笑)。ちょ、何段あんのよコレ…(瀧汗)
そして、千尋の谷の底にあったのは、
そう、この鉄製階段は、この堰堤の保守のための巡視路だと思われた。
どんなに疲れていても、水辺ってのはなんかテンション上がるな~(笑)。今やハンパなく痛む足。思わずシューズを脱いで水に浸そうかと思ったけど、ヤメておいた。
鉄筋が露出してる。かなりヘタってるな~。
この堰堤も、銚子川本流にある。流れてきた清流は
こういう目の粗~いグレーチングに吸い込まれ…
すべて端から排出。
もっとも水量が増えて激流ともなれば、軽く越流していくんやろうけど…。この水量なら、対岸へ渡る足場として使える。
絶妙な間隔のグレーチング(…でいいのか呼び方は?)。
銚子川本流。上流方向を見上げると…
ココは中国ですか?
とか言いたい(笑)。
写真では確認できないが、ここからわずか100mほど上流あたりで、銚子川本流に光谷が合流しているはずだ。
よとと隊長とピカ氏が対岸の偵察から戻ってきたが、ガッツリ探索する体力・気力ともすでにナシ。そらそうですわ~。
さて…
やっぱ登らなあきませんの?
誰も助けてはくれまへんのDEATH。
kitsukatta。
登りの写真を一枚も撮ってない。あまり大袈裟に書くのもアレなんで多くは語らないが、すでに終わりかけていた我がフィジカルは、完全にトドメを刺された☚☚自業自得
ボロ雑巾のようになって林道まで這い上がった後のことは、正直あんまり記憶がない。
強烈な愛の痛み…もとい(笑)、足の痛みに、まるでゾンビのごとく足をひきずり…。わたくしにとって、真の「死の行軍」は、こっから後の帰還までの道程だった。
14時56分に撮影している、衝撃画像。
林道から、対岸の断崖絶壁を捉えたもの。あえて細かいことは書かない。コレが何を意味するのか、各自よーく考えろ(先生ふう)。
こういうのがあるから、再訪したいのよ・・・
15時33分撮影。
山の…なんて言うか…「密度」?が、滋賀とはレベルが違う。
ココではこんなんも撮ってた。
巨大な、剥離崩落。
もはや、感覚麻痺…。魔境・白倉の、ある意味ありふれた光景。
この感じ。
改めて蘇ってきた…。心なしか、足もイタくなってきた気が(爆)。
魔境やな~・・・。
16時37分。アレは…
そして16時51分…!
我ラ決死隊、生還セリ!!
総探索時間、約10時間20分。総踏破距離、約20km(「死の階段」含む)。
魔境・白倉の最奥部へあとわずかに迫ったこの日の探索から優に1ヶ月以上、右足の小指が痛かった。爪も剥がれた(笑)。
この日のことは現在に至るまで、我がもっとも過酷だった探索として、深く脳裏に刻まれている。2014年3月の父ヶ谷アタックも相当なもんだったが、僅差でコレには及ばなかったかな~。わたくしにとっての、「キツすぎるか、許容範囲か」の基準は、今でもこの白倉。
大袈裟なようやけど、きっと生涯、忘れない。
最後に、めんどくさいのをこらえて作った(笑)、白倉の全貌図。
ちゃんと読めるかな~?失敗こいた痕跡に気づいても言わないように(爆)。
以上、ようやく完結。ありがとうございました。