【1】より続く。
麒山道をさくさくと進むことわずか2分。
見えてきたのは、一瞬心ときめく、そしてよく見ると
背筋がゾクッとくる、そんな光景だった。
接近してみる。
こ、これは…洞門の一部のはずだが。いったいどういう状態なのか。
ひとつ言えることは、今目にしているのは、能登半島地震の爪痕そのものだということ。
健全な状態でないことは一目瞭然だった。
そして一目瞭然と言えば…
珠洲側と同じ化粧が施された洞門部分は、健全でないどころか、まさに圧潰寸前!
なんでこんな状態で放置してあるのか!?というギモンが脳裏をよぎったものの、まずは目の前にあるものを味わう。あの先までは行けそうやな…。
ここに立つのは、わかりやすく言うと…
ケ●の穴がキュッとなるような。
下品で恐縮だけど、わかってもらえるだろう。コレ、カメラはほぼ水平のはず。
間違いない。この場所こそが、旧道全体を過去帳入りさせることになった、壊滅的打撃地点。これは無理。
そしてここでようやく認識した。
謎のコンクリート構造物を。
これはおそらく、これ以上の圧潰を食い止める処置として施されたものだろう。
だが、この場所にある段差。コレがクセモノで、上の写真の段は目前なのだが、いざ移動を実行しようとすると地味に危険。
ここでも無理はせず。
今からの探索がすべて上手く運べば、いずれはたどり着ける、はず。
あの場所へ。
そう、もちろん
麒山道を使って。
遠目ながら、もはや遊歩道っぽさの片鱗もないその姿に、気持ちが昂った。あの道は…期待できる。
そして見えている新たな洞門には「木隧道」とだけ見えている。案内板で見たとおり、曽々木(そそぎ)隧道に相違ない。あれもまた、どのような隧道なのか、楽しみだ。
思うに、
遊歩道化された麒山道。
このあたりは比較的それっぽいが、実は能登半島地震以降は、廃道化しているのではないか?なぜか進入を禁じる措置が講じられていなかったのは謎だが。
これは、
旧・八世乃洞門の珠洲側にある案内板。
「波の花道遊歩道」。それが初代江戸道である麒山道に与えられた名称。だが注目してほしい、案内板の地図は、地震前のもの。
遊歩道も、本来はあの「壊滅ポイント」でいったん(旧)国道へ合流し、(先ほど望見したように)曽々木隧道脇から再び海岸線へと別れていたのだが、これまた先ほど見たように、今やあの壊滅ポイントで遊歩道も断ち切られていて、どこへも行くことはできない。ということは、反対側から麒山道をたどった場合も同様。
つまり。
今や遊歩道…いや、麒山道は、旧国道とともに、実質廃道となってしまっている。
残念ながら、と書くべきかもしれないが、わたくし的には望むところ。整えられた小綺麗な道なんて興味がない。
今を遡ること220年以上前、麒山和尚がこの天険に刻んだ古の径。少しでもそれに近い、生々しい姿に対峙したい。
少しは叶えられそうかな…?
【3】に続く。