【2】より続く。
現道トンネルを抜けて、曽々木側へと廻ってきた。
八世乃洞門新トンネル・曽々木側坑口と、左手旧道の奥に…
いらっしゃいますねぇ、先輩が。こっちはなぜか道路に現役感が感じられる。果たして?
その前に、旧道入り口の左側が要チェック。どれどれ…
あっ。
いやいや(笑)。コレ、絡みづらいなぁ…まぁ後で出てきますので…。
これじゃなくってね、
これじゃなくってね、
初代江戸道を切り拓いた、
偉大なる麒山瑞麟を称える石碑と、
麒山の手によるものだという石仏が。
えらくゴッツイ仏様だが、道を拓く苦労の大きさに比例してるのだろうか…?
そして背後には…。
ここで再度おさらいをしておこう。
今度は、第二項めを。
1887年(明治20年)、石川県による麒山道の大改修(手掘りトンネル工事、愛称「接吻トンネル」)
これ非常に重要(あ、いや、「接吻トンネル」というネーミングはともかく・泣)。
この記述によれば、現存する麒山道は明治の大改修後の姿であり、その際に素掘り隧道が掘られた。と言うことは?
と言うことはですよ?と言うことは?(懐かしの古畑任三郎ふうに)
その素掘り隧道の海側に、正真正銘、初代の麒山道が残っているということでは?
すなわち旧々々道が。
旧道の曽々木隧道、その左脇に、素掘り隧道の一部が見えている。そしてそこからさらに左へと視線を移してゆくと…
こんだけ煽っといてナンだが、結論から言えば当日、この旧々々道にはチャレンジしなかった。
…てか、こういう道が残っているかも、ということ自体を、なぜか思いつきもしなかった。案内板もよく読んでなかったし、いつもの悪い癖といえばそれに尽きる…。次の機会があれば、ぜひ挑んでみたいものだ。
まぁ、これを除いても、こっからは紹介すべきものが怒涛のようにあるのだよ、諸君。
さあ。祭りの始まりだ。
曽々木隧道・曽々木側坑口。
左の素掘り…つまり明治隧道のほうは後回しにして、先に旧道の曽々木隧道をご紹介しよう。
先に言っておくと、洞内に停まっている車は、漁(貝取り?)をしにこられている方のもののようで、旧道が現役っぽく見えるのもそのためっぽい。
ここも、お約束のように洞門が追加されている。この奥でわたくし、
超絶なあるものに出くわした。
【4】に続く。