横目橋 (佐賀市水ヶ江~材木) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
拙ブログ初登場の、佐賀県物件。2013年4月25日、仕事の市場調査で訪れた際に初めて歩いた。
 

本日ご紹介するのは、その時にたまたま巡りあった橋たちのひとつであります。これがまたねぇ、なんとも味のある名前で!
 
 
 

ファーストコンタクトはこちら。裏十間川に架かるあの橋…
 
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もいっちょ出たーー!!
 
一見してわかる「タダモノじゃない」感。(え?わからない?) ということで、速やかに接近。
 
あ、「もいっちょ出た」ってのは、コレを撮ってるこの場所もお宝橋の上だからなんだが、それはまた改めて。記事にしました

 

 
 
 
記事の都合上、実際とは逆に東から。
 
 
「タダモノじゃない」感とか書いたけど、
 
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この時点で特に驚く点もない、地味な橋。西側の欄干が屈曲してるのが面白いっちゃ面白いけど、特に珍しいもんでもないし。

 
 
 
場所はコチラ。
 
 
 
 
 
左側の親柱は失われているが、右側は健在。そこにはお名前が。
 
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ちょっとわかりにくいけど、「横目橋」とある。
 
「よこめはし」かな?と思った。まあ…百人中百人がそう思うだろうね。
 
 
 
 
 
北東側からのサイドビュー。
 
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ファーストコンタクトでそう見えたとおり!コレはまぎれもない、石橋だ!
 
上に載ってる桁は後年のもの、または上からコンクリ舗装しちまったか、いずれかだろう。わたくしの申し上げた「タダモノじゃない感」は、もちろんこの石橋脚を指していた。
 
 
それ以上のサプライズがあるとは、思いもせず。
 
 
 
コチラ、西側より。
 
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こっから見ると、なかなかアグレッシヴなお姿ですな(笑)。
 
 
 
 
 
南西からのサイドビュー。
 
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石橋脚は三本ひと組が三組。
 
よって本来は四径間石桁橋だったはずだが、今ではコンクリ一枚桁にしか見えない。
 
 
 
 
 
 
きっと欄干も、桁と同時の後付けなのだろう。親柱は…どうかなあ。
 
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その親柱。こちら側もやはり片方しか現存していない。
 
が。
 
 
 
 
この親柱に刻まれた文字が、本橋最大のサプライズだった。
 
 
 
 
読めますか?
 
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わたくしもハッキリ読めたわけじゃないが、どう見ても「よこめはし」ではありえない。
 
読めた気がしたその文字の意味をしばし考え…驚愕した。
 
 
 
これは…
 
「志゛ろりばし」 でないかい?
 
つまり、
 
「横目(でジロリ)」を当てて、
「横目橋」=「ジロリ橋」。
 
 
 
コレが正しいとしたら、なんと日本的な趣のある名前だろうか!「蜩(ヒグラシ)」に「カナカナ」という鳴き声を当てたあの橋のごとく、大好きだこの名前!
 
 
 
 
 
…と興奮しつつ橋を後にしたのだが、帰ってから調べてみたらやはりビンゴ!あの一文字目がなんて書かれているのはわからないままだが、やはりあの橋は「じろり橋」だという。
 
 
その由来がまた興味深いので、「さがの歴史・文化お宝帳」HPより引用させていただく。
 
(前略)
橋の西方は佐賀城下の武家屋敷地で藩政時代は中級武士が多かった。片田江七小路といわれ、東西に平行した道が七本通り、その間を松原川の分水路が流れ、更に一軒一軒が小川に囲まれている。嘉永の城下絵図などにはその有様が見事に表現されている。これに対して東の材木町、紺屋町は町人町、問屋街で豪商も多かった。この性格の異なる小路と町の二つを境するのが裏十間川である。そしてこれに架かったのが「じろり橋」。対立意識をもつ人達であるが、用があれば橋を渡らねばならない。狭い橋上で出会った時、正視できず横目でジロリとやぶにらみ(薮睨)しながら通る。
(出典:佐賀市の川と橋)
 
 
 
 
実にイイじゃないですか!いにしえの町衆の息吹が感じられるようで。初めての街でのこういう出会いは、いつだって嬉しい。
 
 
 
 
 
以上、完結。