【1】より続く。
「孤塁の守護者」は、隧道ではなかった。それは
・・・洞門。
施されたアールデコ調の意匠が、守護者然とした厳めしい雰囲気を更に強調しているかのよう。堂々たる姿である。
洞門と山側の擁壁の間隙は、
いささかの綻びもない、布積みの切石でガッチリと埋められている。
まさに堅牢そのもの。まるで城塞の一部を見ているような。そしてゴッツいコンクリートの柱には、消えそうになりながらも「徐行」のペイント痕が。
素晴らしい!!
このような物件が近代のものであるわけはない。実はこの洞門、明らかに隧道ではないにもかかわらず、1967年に編纂された「道路トンネル大艦」の全国隧道リストに掲載されているのである。その名称は…
「片三号」。
「片」ってのは名称ってよりもいわゆる片洞門、片側だけが開口しているそのイメージだと思われるが、なかなかにイカツイ名前だ。同リストでは竣功年度は不明となっているが、「山行が」さんでは「本道が大々的に整備された時期」であることを根拠に「昭和7年頃」の建造ではないかとされている。
そして…実はリストには、「一号」「二号」も記載されている。よってコレが「三号」ということはだ。この先にあと二本の洞門が待ち構えている、ということを表す。さらに言えば…
「四号」「五号」もあるのだ。
だがその場所はここではない。五兄弟の末弟たちは、現在も国道135号線上現役を張っている。この日、ここへ来るまでに見て(通って)きた。覚えてたら(笑)、この連載記事の最後にでもご紹介しよう。
さて、海側に目を移せば
怖くて見下ろせないものの、こちらにも堅牢そうな石積みで法面工が施されているようだった。
どうでもいい話やけど、
北側入り口付近にこんなのがうち捨てられていた。
「思い出の廃車」シリーズにでも出したいところやけど(笑)、これはたぶん…掃除機?じゃないだろうか?しかもホテルのロビーとか、ああいう広い絨毯敷きの部屋用、みたいなやつ。違うかな?
侵入して振り返り。
このへんだけ見てると、状態が良さそうに見えるけど、
あちこちで
鉄筋が露出している。
これだけ潮風に吹きさらしになっていれば、さぞかし劣化も亢進するやろうな…。
そして、抜ける。
リストによると、この片三号の延長は17.0mとなっている。
改めて…
片三号、南側坑口。
それにしても、改めて見ると、何とも狭い!リストによると、車道幅員は4.8m。観光地を多数控えて大型バスなども多く走る伊豆半島への幹線道路としては、あまりにも狭小だ。これでは完全に交互通行だったに違いない。
…だからこそ、こうして道ごと棄てられる事態となっているわけだろうが。
振り返ると、うってかわって
旧国道らしい幅員。
やはり、洞門部分だけが狭隘となっていたのだろう。
素晴らしい洞門、素晴らしい廃景にテンション上がりつつ。
さあ、どんどん行こう!
【3】へ続く。