二代目・長野隧道(廃)【3】(三重県津市美里町北長野~伊賀市上阿波) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【2】より続く。
 
 
 
うー寒!どーすかこの凍てつき具合。
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というわけで、抜けて参りました伊賀側へ。
 
 
 
 
 
二代目長野隧道、伊賀側坑口。
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…この癈感…。この伊賀側は、高さ制限バーがまた得も言われぬ味わい。
 
 
 
廃されて何十年、という、激藪の奥に埋もれたような物件とはまたテイストの違う、生々しい癈の気配。個人的には、後者のほうにより哀感を感じとってしまう。歳月を経た古い物件は、ある意味遺跡に近い感覚、とでも言えるかと。…あくまで個人の感想です(笑)。
 
 
 
 
しかもこの伊賀側、離れて見るほどに哀感が増す、という仕掛け(違)になっていた。
 
 
 
 
 
うわ~
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るわ~…しみるわ~…
 
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物悲しいなぁオイ!
 
 
お疲れ様でした、と心の中で呟く。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
そしてさらに月日は流れ(だから、大げさ)、2010年9月19日。橋めぐりOFFの最後に、仲魔の皆様とともにここへ立ち寄った。もうすっかり夜、もちろん一人では来ない(笑)。
 
 
 
前回訪れて以降、ある悲しい噂(…てか事実なのだが)を聞き、その事実を自分の目で確認することになった。
 
 
 
 
つまり、
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ん?何のシャッター?
 
 
 
 
 
 
いや、そうじゃなく、もうお分かりかと思うが、
 
 
 
 
 
 
 
 
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二代目長野隧道、完全封鎖。
 
鉄板で封鎖ってのは、その方法として甚だ美しくない。せめてフェンスにしといてほしかった…。隧道の「最期」である。
 
 
今となっては内部を歩くことはおろか、様子をうかがうことさえできなくなってしまった。【2】で紹介した内部の画像、ボケボケの1枚だけだったにもかかわらず今となっては貴重、と書いたのはこういうわけ。
 
 
この日を最後に、その後ここを訪れることができていない。そろそろ今年は久々に、初代へ「お参り」に行かないと。無沙汰が過ぎてしまった。その時には、二代目のこの悲しき姿も目にすることになるだろう。
 
 
以上、役目を終えた隧道の「その後」をお送りいたしました。
 
 
 
 
 
完結。