【前篇】より続く。
憧れの橋を、しずしずと渡橋。
これまで車中からこの橋を見ていた、まさに正反対のアングルで。
高速鉄道と前時代的な欄干。対比が味わい深い。
あー、ずっとここを歩きたかった…。まぁ歩いてみりゃただの橋ではあるけども、「わたくし好みの」ただの橋、ってことで(笑)。
コチラ、下流側。
川の名前は、境川。その名の通り、
渡った先はもう刈谷市。そこには農地が広がるばかり。
この立地だけに、決して重要な橋ではない。でも、今もここに在る。
刈谷市側から正対。
大府市側と変わるところなし。あえて言えば、親柱いずれも情報なし。
あ!車が来た!
って、へへ~失礼。おろろん教授のエクストレイル号でございます~。
それにしてもこの橋は、わたくしの橋梁趣味の原点を再確認させてくれる橋だった。
すなわち…
「自分より年長の、シンプルな桁橋」ってやつ。
まあお誕生日は不明だが、まさか…わたくしより若いことはあるまいて(笑)。
訪問後にこの橋の名前を調べていた時、興味深い記事を見つけた。久方ぶりに見てみたら、久しく更新されていないようで、勝手ながらリンクではなく引用させていただくことにした。「路上の風景~landscapes on the road」というブログ様の2006年5月の記事「境川遡上」より。ありがとうございます。
(以下引用↓)
(前略)この清水橋について,国土交通省中部地方整備局の発行してる広報誌「いきいき中部」2005/5月号に,早稲田大学教授の佐々木葉氏が,以下のような記事を寄せられています。
思っていたよりも長く,立派であった。そして立体感のある高欄。現在の規定よりも低いので橋の上が広々している。下から見上げると,二列に並んだ桁を橋脚の上で繋ぐアーチ状の横梁があった。橋脚にも緩いカーブが使われていて,全体的に弾んだ印象がある。(中略)
洗練さやかっこよさはない.特別な由緒や希少性もないかもしれない。しかし,この場所のこの橋にしか伝えられない何かがある。歴史の裾野を広げる小さな,でも大切な登場人物の一人だと思う。
とても印象的な素敵な文章でしたので,この記事を読んだ後,ずっと記憶に残っていました。そのため,この橋を見るのも今回の目的のひとつだったのです。
ところで,佐々木さんが,この無名の橋を訪れた理由は,新幹線の車窓から見ていて気になっていたからだそうです。
こういうことを聞くと,うんうんとうなずいてしまう程,嬉しくなりますね。これこそ冒険です。
ところで,佐々木さんが,この無名の橋を訪れた理由は,新幹線の車窓から見ていて気になっていたからだそうです。
こういうことを聞くと,うんうんとうなずいてしまう程,嬉しくなりますね。これこそ冒険です。
(引用ここまで、赤字はわたくしによる)
いやもう、付け加えることはなにもないッス(笑)。
あえて言うなら、わたくしと同じように、「新幹線の車窓からあの橋を見初めた人が、他にもいた」ということ。その人が、こんなにも素敵な言葉でこの橋を語れる人だったこと…。
なんか、嬉しかった。
以上、完結。