【2】より続く。
バケモノ!?
・・・の正体は、これまた波板の境目天井が抜けて落ちた土砂だった。
それにしてもこの形・・・ウオノメみたいにごそっとこの形のままで抜け落ちたんだろうか(笑)。隧道の神の悪戯か~?
で、その向こうには、外界の明かりが。コイツが原因で、向こうの明かりがよく見えなかったのだった。
よっこいしょと乗り越えて、反対側より。
抜けた天井とともに撮ったつもりの一枚だが、さっぱりわかりませんな。
改めて向き直った目前の波板の上には、

土砂がきっしり。コレまたボケボケで申し訳なし。
最初からそういうもんなのか、崩落へと至る過程なのかはわからない。
波板パートを過ぎると、最後のハイライト。
長めの煉瓦パート。
しかし洞内の現況を見るにつけ、煉瓦パートの状態のよさとそれ以外の惨状の落差が凄い。予算もあっただろうが、ここはやはり全て煉瓦で巻いたほうが良かったのは間違いないだろう。
・・・まあ、長年まったく保守されてないことを考えれば、逆に煉瓦パートの堅牢さを特筆すべきなのかも。
・・・で。
水★没★。(忘れたころに使うやつ・笑)
ここがねえ、絶妙な水位で・・・(笑)。
じりじりと進む。

今思えば、なんでここでフラッシュ・オン撮影をしなかったのか。
せっかくの美麗な煉瓦パートで、煉瓦の色がわかる写真がないとは、このスットコドッコイめ!
それにしても、ここはおそらく明治37年建造時のオリジナルだろう。探索時点で、111年モノ。いつものことだが、後年の補修よりも長持ちしているオリジナルパートを見るにつけ、先人の仕事を想う。
とか、もっともらしいことを書きつつ、
コレ以上無理!
いや、ルートのチョイスによっちゃ実は無理じゃなかっただろうとも思うのだが、長靴キワキワのところでじわじわ進むのにウンザリして、この先を諦めた。
うーん、この辺がわたくしの悪いとこ?なんだけどもね。こうして後でプチ後悔するところが・・・。
ここまで、同じような写真ばかりというなげやり 攻めすぎな構成(笑)でお送りしてきたが、ここで撤収。洞内滞在時間32分。わたくしなりに堪能した。
戻りで撮った動画。あー、見るだけ損なので見なくてもいいです(爆)。
雰囲気だけは伝わるかもだが、暗すぎて。さすがに実際はもう少し見えてたけどね。自分では絶対こんなとこ入りません、という方はどうぞ(笑)。
外界脱出。
涼しかった洞内から酷暑の激藪へ。うああ・・・。
無事、帰還。
ノートさん、お待たせしました~。
最後にコチラ。
兵庫県道39号一宮生野線の現・栃原トンネル。
銘板によれば、
1999年11月という建造年次。
旧・栃原隧道は旧々道に現存しているわけだが、旧道にだけトンネルがないという、前回も書いたがまあなんとも珍しい峠だ。
他の方の記事などで得た情報では、旧隧道が放棄されて峰越え旧道へ移行したのが昭和40年代と思われるとのことで、であれば、変な言い方だが「廃隧道としてのキャリアの長さ」はナカナカのものだ。
127mの明治隧道建造から95年後、1km超えのトンネルが整備された栃原峠。
だが、
改良はまだ道半ば、のようだった。
現トンネル完成時に設置されたと思しき案内板。現在に至るまでにどのくらい進捗したのかはわからない。
日本中のいたるところで、このように「いい道」を求めてあくなき改良が続けられているのだろう。そしてその陰で生まれる、長年地域交通を支えてきた旧道、そして廃道。
そうした「一線を退いた道」に想いを馳せてねぎらう人が、居てもいいはず。うん、実にイイ趣味ですよ(笑)。
以上、完結。