【2】より続く。
それでは、気になるこの先へ。
見た感じ、完全に山中の廃道って感じだが…。
ちょっと歩くと、
師匠んとこの記事で見て知ってたのに、想像以上にすぐだった~。
隧道からの距離は、
30mもないかな。
このあたりと恋路海岸方面の集落とを最短距離でつなぐのが、あの隧道ってことか。一体いつごろ掘られたものなのか…。あのコンクリブロックがオリジナルだとしたら、大正末期~昭和の初めごろ、後年の巻き立てだとしたら…大正以前?恋路ロマンですなぁ…(意味不明)。
しかしながら、もはやこの場所に
人の気配は感じられなかった。
半ば倒れた竹をくぐった先も
この状態。
恋路の集落全体がこんな状態なわけではもちろんなく、車で徘徊した限りではごく普通ののどかな雰囲気だったのだが。観音山の南斜面という暮らしやすそうな場所なのに、なぜこのような「廃村」状態になってるのだろうか。謎。
またしても倒竹。
遠くに、ようやく現役感のある建物が見えてきた。
ここで、振り返り。
この状態だから見えないけど、きれいな状態なら隧道が目視できるほどの距離。100m弱くらいかな。
最後の倒竹の先で、
大きな変化が。
突然様子が変わり、
さっき見えていた現役感のあるお家は、新道をはさんだ向こうにある。やはりこの一角だけが、無人境と化していた。…何故?
鬱蒼とした無人境と比べて、
開放的に開けたこの景。
振り向けば、この感じ。
対比が激しい。
わたくし好みの表現で言えば、現世と常世、此岸と彼岸。心に響いた。
何度も書いてきてるけど、「隧道」とは本来、陵墓の外部と玄室をつなぐ通路。
そういう意味でこの隧道、
正に最高の舞台装置なり。
廃隧道に見えるけど、この手の里道の隧道、経験則からすればきっと今も人知れず歩かれている…はず。週に1回か…月に1回か…
知らんけど。
最後に、戻りに動画を撮りましたので、どうぞ。
以上、完結。