【閲覧注意!】F1ネタ~どうでもいい人には本当にどうでもいい話。 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

注意:当ブログ全世界1500万読者(笑)のうち、0.0000001%くらいしか興味ないであろう雑談につき、スルーを推奨いたしますよ。
 
 
 
 
 
 
 
本日8月19日、あるルーキードライバーが来シーズンのF1にデビューすることが発表されました。しかも史上最年少でのデビュー。彼の名前はマックス・フェルスタッペン。現在、なんと弱冠16歳(!!!)であります。
 
 
低年齢化の進む近代F1ではあるけど、さすがにコレは驚いた。F1デビューが17歳とか、公道も走れへんのに(笑)。カートで世界王者となった後、今年からフォーミュラカーの入門カテゴリーであるユーロF3にステップアップしたばかり。そして来年は一気にF1と。まさに3階級特進というか、東大合格する小学生というか、凄いことだねこりゃ。ただ、その関係者や識者の誰もが認めるところ、才能は折り紙つきのよう。凄い奴が現れたもんだが、やはり血は争えぬものよのう…そう、彼は二世ドライバーなのである。
 
 
というわけで今回の本題(あれ?)。そう、マックスの親父である元F1ドライバー、ヨス・フェルスタッペンについて無性に語りたくなってしまったのよね。ニック・ハイドフェルドと並び…いや、それ以上に好きだったドライバーなんでね。
 
 
 
 
ヨス・フェルスタッペン(以下、ヨスと呼びます)はオランダ出身、1993年のドイツF3でブッチギリのチャンピオンとなり、翌1994年、晴れてこの年のチャンピオン・チームとなるベネトンからF1デビュー…までは良かったが、ここでのチームメイトが後の7冠チャンピオン、ミハエル・シューマッハだったのがケチのつき始め。シューマッハという絶対的エースを頂くチームに入ったことで、シューマッハ仕様のピーキーな特性を持つマシンでの戦いを余儀なくされてしまったのです。
 
 
2~3度表彰台フィニッシュを果たしたものの、最大のインパクトはドイツGPでのマシン火災という結果に終わり(YouTubeで「verstappen fire」と検索・笑)、翌年からは苦労続きのF1人生が開幕。あまりに長くなるので割愛しますが、中堅~弱小チームを渡り歩き、チーム消滅でシートを失うことも。けれどそのたびに別のチームで戻ってくることができたのは、その実力と、潤沢なスポンサーマネーを併せ持った、実に「ありがたいドライバー」だったからに他ならないかと。最終的には2003年のミナルディからの出走がF1でのラストシーズンとなってしまいました。
 
 
性格的には割とダメ人間っぽかった(2回ほど傷害容疑で逮捕・笑)けど、「スポンサーを連れてきて、なおかつ充分に速い」というおいしいドライバーだったヨス。そんな彼がデビューイヤー以外で最も輝きを放っていたのが、2000年、2001年シーズンを過ごしたアロウズ時代である、というのは、全世界1500万のヨス崇拝者の一致した見解であろうと思われます。
余談ながらヨスには熱狂的なファンが多く、オランダのナショナルカラーであるオレンジ色の服を着たフーリガン的な集団がどのサーキットにもいたのを記憶しとります(笑)。
 
 
 
そのアロウズ時代、2000年のマシン・A21は低ドラッグで最高速度がとにかく速く、この時に「直線番長」とか言われました。けどこれをヨスのニックネームとして使ってるヤツは素人(笑)。直線番長だったのはあくまでマシンだったわけですから。
そして2001年。この年のマシン・A22は燃料タンクの容量が少なく、必然的に他チームより少ない燃料でスタートすることになることから、しばしば序盤に大きく順位を上げてレースを引っかき回す、非常にイイ感じのスパイスとなっていたんですが、個人的にハイライトに挙げたいのが、第2戦・マレーシアGP。
 
 
 
ちなみにオレンジと黒のよく映るマシンがヨスです。
 
 
 
 
元々スタートの巧いヨスですが、この時のスタートはまさにドンピシャ。軽いマシンと絶妙なポジショニングに1コーナーでの接触事故による混乱も味方につけ、18番手スタートだったのにオープニングラップを終えて戻ってきた時点で何と6番手。コレはホントに凄かった。BBCの名物実況、マレイ・ウォーカーさんも「Sensational start!」とか興奮してます(笑)。
そして突然のスコールにトップのフェラーリ2台がコースオフして順位を落とす中、なんと一時は2位を激走。スリッピーなウェット・コンディションではマシンの優劣による差が出にくくなり、ドライバーの腕の見せ所であり、この日、雨の中のヨスは驚異的なレースを展開。後半に雨が上がりコースが乾いてしまうまでは、終始上位を走り、素晴らしいバトルを何度も見せてくれたのでした。結果としては入賞に一歩及ばない7位でのフィニッシュだったものの、まさにこのマレーシアでの「Man of the Race」は、ヨス・フェルスタッペンその人でした。
 
 
このようにヨスは、いまいち安定感には欠けるものの、年に数回キレまくった速さを見せることがあり、それが最大の魅力であったと思います。現在のF1には見当たらないキャラかなあ。
 
この動画ではマレーシア序盤のヨスの走りを編集、そして最後に、勝ったミハエル・シューマッハ優勝インタビューでの「ヨス絶賛コメント」でシメています。デビューイヤーにチームメイトになって以来この2人は仲が良く、プライベートでの親交まであったみたいですね。
 
 
 
 
実はヨスの奥方(=マックスの母君。すでに離婚してたはず…)も、女だてらに世界的に名の売れた手錬のカートドライバーだったのは割と有名な話で、そんな両親の血を受け継いだマックスがズバ抜けた才能を持ち合わせているのは、ある意味当然なのかも。
そんなわけで数年前からマックス少年の名前だけは知ってたんですが、今日の発表があって、思わず遠い目になってしまいましたよ…。あのヨスの息子がねぇ…。歳とるワケだよまったく。いまいち不遇だった親父のF1キャリアでしたが、マックス君にはぜひ輝かしいキャリアを築いてほしいと願います。
 
…なんか、親戚のおっさんみたいな心境(爆)。
 
 
 
 
 
 
以上、完全個人の回顧記事でした。まさかここまで読み切った方がいたら、大変お疲れ様でした(笑)。