【序】より続く。
駐車場所はハイキング道の入口付近なので、すぐに作戦行動に。
しばらくはまだ車で入れる状況だが、
少し歩くと砂防ダムが。
四輪で来れるのはここまで。
道の仕様こそ人道となったが、ハイキング道はこれまでと変わらず淡々と登り続ける。
時にはこんなふうに
道だか沢だかよくわからんところもありつつ。
一貫して緩やかな勾配。
息が上がることもない、楽々行程。ホントにこんなところに隧道が?と思えてしまうヌルさだ。空も開けて、もはや峠も近いことをうかがわせる。
そろそろじゃないのか…?
ほどなく、このような案内摽が。
手前が今来たところ、向こうがこの道の向かうところ。だが当然、そこまでには…
そこからすぐ、登り始めておよそ20分。
道の雰囲気が変わった。
にわかに勾配が増し、そしてすぐ先には鞍部がありそう。これは…キタ…!?
すぐさま、道の右側が掘割状になってきた。
間違いない。ここだ…。心臓バクバク。
ちらっ。
ででで出ターーー!!!
あれぞ、ピカ氏がもたらした衝撃の物件。滋賀県内の道路隧道として(今のところ)唯一の素掘り隧道…だったものの姿だ!
そして傍らには、一枚の案内看板。そこには
「薬師(くずし)石出し道遂道」。
誤字残念キター(爆)
コレが、この隧道の名前である。
マジで、普通に案内板立っちゃってるよ…(笑)。もちろんそのおかげで、重要な情報を我々は知ることができる(詳しくは画像を拡大してご覧ください)。
つまりだ。ポイントは
① 石材運搬用の隧道だった。
② 昭和3年~5年にかけて掘られた。
③ 戦後には早くも使われなくなった。
④ 昭和23年ごろには閉塞、通り抜けできない。
ということ。
改めて、場所はコチラ。
いやホンマ、ノーマークもええとこですよ?こんなトコ。
テンションMAXの一行、続々と掘割へ降下。勝手な行動ばかりのわたくし(笑)は、先に隧道周辺を再チェック。
少し戻って(下って)振り返り。
これは、隧道遭遇直前の画像地点。
隧道が生きている時期には、ここをまっすぐ登っていたのだ。植生でまったく見えないが、正面奥に隧道がある。
隧道案内板付近。
右側が掘割状になっているのがわかるだろうか?もちろん、そこに隧道が。
その向こうは、
すぐに鞍部。峠のてっぺんだ。
最初は一行の面々も、ここまできてわざわざ隧道掘る!?みたいな見解だったが、この鞍部の向こう側はさらに急勾配。確かにこれを克服するのに、隧道掘削という選択はあながち間違いではなかった、と思える。
さて~。
もう我慢できんぞ(笑)。
なかなかの切り立ち具合なのだが、ぱぱん氏だったかとのたま氏だったかが、手持ちのロープをかけてくださったおかげでラクラク降下~。
と言いつつ、わたくしがキレイに滑落したのはナイショだ(大爆)。
ナイショにしたかったけど、思いっきり気づかれたな~。いや、皆様がさんざ踏んだとこが、すごく滑りやすくってさ~モゴモゴ
まあいい(笑)。
滑落地点(笑)から下方向を。つまり、隧道前の掘割である。
閉塞後67年ほども経過しているためか、かなり土砂が堆積しているようだ。
そしていよいよ…
隧道へ…
って、渋滞しとるがな!(爆)
【後篇】に続く。