2013年2月16日。仕事で東北を大きく移動していたこの日。
珊瑚橋を後に宮城県大崎市へ移動。そこでたまたま見つけた橋をご紹介。
北側から歩いてきた。スマホの地図で川を渡ることになるのはわかっていたけど、さして期待はしてなかった。
うん、やっぱり大して…
いやっオカシイ。おかしいぞこの橋は。
高欄があまりに異形。なんだよアレ…。落ちつけ、わたくし(笑)。
まず向かって右。
…ぬぬ…?
これは…桁覆いか?何の必要があって?飾りなのか?
それよりも
問題なのは、左側の高欄だよ…
なんか~。
小屋ついてんぞ ヲイ!?
「小屋」はもちろん比喩であり、誰が住んでるわけでもない(笑)。けど、しっかり屋根までついてるし!
そしてその「小屋」の「壁面」に
「二ノ構橋」。
「にのかまえばし」。
橋のお名前はハッキリしたが…
なんじゃあこの橋はぁ?!
対岸側にも「小屋」があって、それを結ぶこの…なんつうの?コレ。完全に桁覆いのレベルを超えてんぞ。まるで城館の廊下のようじゃないか!
調べてみると、この背後にあるその名も「城山」にはかつて岩出山城なるお城があり、若き日の伊達正宗が12年間暮らした場所なのだとか。やはりわたくしの印象はあながち間違ってなかったことになる。
しかしこの「特大桁覆い」の中はどうなってんのか?
のぞいてみると…
くたびれた鋼管が内蔵されていた!
手前の方は断絶してる。今は使われていないのか?なんにせよ、これらの鋼管を守るための、特大桁覆いなんだろうか。それしか考えられんよな…。
サイド(東)より。
コレって…(笑)。
見たことあります?こんな橋。わたくしナイですわ~。
そして対岸(南)より。
なんか…よくわからんな、もう(笑)。
最後に、個人的にこの橋がもっとも映える、と思った南東より。
面白い橋やな~。変わってるわ~。
現場では架橋年などはわからなかったのだが、調べてみると判明した。
「平成24年度大崎市橋梁点検及び橋梁長寿命化修繕計画策定業務pdf」(長いな…)によると、架橋は1935(昭和10)年だそう。
まあこの高欄は後年のものだと思うけど、地域の歴史的背景を生かしてこの意匠にしたのだとすれば、わたくしそれを評価したいね!(誰やねん
予期せぬおもしろ橋との出会い。いや~これだからヤメられませんな~。
以上、完結。