滋賀県道16号大津信楽線・上田上牧の旧道遺跡 【1】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【序】より続く。
 
 
 
 
 
 
今でしょ!
 
 
 
 
というわけで(失笑)2014年6月30日、約4ヶ月ぶりにここへ戻ってきた。ちなみに、上田上牧で「かみたなかみ まき」と読みますよ。
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その様子は以前と変わらず。…復旧させる気、あんまナイでしょ?とか意地悪を言ってみたくなる。
 
 
「この先通行止」とは書いてあるが、「立入禁止」とは書いていない。よって、自己責任にてお邪魔いたします。本日の目的は、崩落により現れた、この道のかつての構造物と思われる遺構。3月には上から見下ろしただけだったものを、川面まで降りて調査(ってほどでもないが)すること。
 
 
 
 
 
 
ということで、降りて参りました。まずは、県道の生きている部分を振り返り。
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川の名は大戸川(だいどがわ)。近世以前から暴れ川として多くの被害(と肥沃な農地)をもたらしてきた川である。これは下流方向。
 
ちなみにこの画像にも非常~~に気になるものが写っているのだが、コレの調査は秋以降に予定している。できればこれくらいの水かさの日に。
 
 
 
 
 
 
そして、今回の調査エリア、その全景がコチラ。
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距離にすれば、全然大したことはない。
 
 
 
 
 
 
しかし、改めて見ても、とんでもない惨状だ。
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手前付近に散乱している巨大なコンクリート塊は、もちろんかつての護岸部に他ならない。
 
 
 
 
 
さて、順番に見て行こう。ここで左を向けば、いきなり最大の遺構が。
 
 
 
 
 
 
 
 
それが、これ。
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この石垣。もちろん、崩壊前はこの手前に土砂が積まれ、コンクリートで固められていたわけだが、護岸と土砂の流出により白日のもとに曝け出されることになったのである。いったいいつの時代のものか…。
 
 
 
 
しかしこれ、乱積みにもほどがあるね~。さらに目をひく…というか「なんじゃこりゃあ!」なのが、
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こういう石柱が、あちこちに噛まされている…というか嵌めこまれている…というか混ぜられてるというか…。この石などは、自然にできたものとは思えない文様が見て取れる。また別の石柱では、
 
 
 
 
 
 
 
 
明らかに人為的に削られている。
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てか、個人的にはどう見てもコレ、かつては橋の石桁だったものに見える。石桁の下面がこういう感じに成形されているのをよく目にするから。だとしたら、こういうのも転用…って言うのか~?
 
 
 
 
 
 
いや、それも含めて、そもそもさぁ。
 
 
 
 
 
石垣にしちゃあコレ
 
 
 
 
 
 
 
ませんか!?
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それともある意味、凄い技術なのか!?この暴れ川で、こんなもんが護岸として機能し得たとは思えんのだけどな~(汗)。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、先を見てみると
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中央にコンクリート柱。実はこの撮影ポジションの背後あたりにも一本存在。
 
 
 
 
 
 
 
元からの岩の上に、いかにも頼りなげに据えられている。コイツは果たして?
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…いや、結論もないんだけども(笑)。ところで、前方に見えるコンクリート塊。
 
 
 
 
 
 
 
レが流されずに残った護岸の一部だと思われる。つまり、崩落前の護岸の位置はここだと言っていいかと。
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アスファルトの欠片が哀れを誘うが…しかしなんでこんなキレイに、あるラインから上が流されたのか?なんか分からないことが多すぎて…。
 
 
 
 
 
 
 
 
さあ、ここらからそろそろ…
 
 
 
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スリリングカンジになってきましたよ。
 
 
 
 
 
【2】へ続く。