【4】より続く。
廃道を歩くこと5km。初めて現れた分岐点でしばしたたずむ決死隊。
実は、右へ下るのが白倉林道。ほどなくして、前回のラストあたりで見えた橋へと至る。そして、直進で登るのは光山林道なる道。
分岐点に朽ちかけた標柱が立っていてほぼ何も読み取れないのだが、絶妙に「光山林道」と書いてある部分だけが読み取れるという奇跡(笑)。そういえば、これも前回紹介した4号隧道魔境側の看板で、「光山国有林」の名前があったな・・・。
実は、隊長がこの光山林道にも「オプション」を発見してるのだ!当然それを拝みに行く。
分岐点からはものの数分だった。
裏切らないねぇ~(笑)
この光山林道にも、臆面もなく隧道が存在した。どーなってんのこの一帯(笑)。仮称としては、光山隧道かなあやっぱり。
で、なんなのこの四角い感じは?
力学的にめっちゃ不安な感じなのだが、コレで保ってるんやからイイのか?それにして、普通に発破かけるだけでこんなんなるのだろうか?
ひじょ~に…
個性的ですよねコレ?
魔境側坑口。地味に好きだ。とっても好きだ。
光山林道は、もちろんまだ先に続いている。
が、この先にはとりあえず穴がなさそうらしい…ということで、あと数分進んだところで撤収、白倉林道本線へ復帰する。
9時33分。分岐点手前から見えていたあの橋にやってきた。
しっかりはしているが、いかにも廃感漂う橋上。谷の上流方向を見やる決死隊の面々。
そこに見える光景はコレ。
ゴーロゴーロと巨石が無造作に転がった、荒涼たる光景。
白倉林道はここで谷を渡り、再び銚子川本流沿いへ復帰するべく進路を変え。北上を始める。その意味で、清五郎橋以来のターニングポイントがこの橋だ。谷の名は光谷。
よって、橋の名称は
光澤橋(ひかりさわはし)。非常にまっとうな名前と言える。
昭和40年11月の竣工。
現れる竣工年次が昭和40年代に入った。4号隧道が昭和38年建設だったから、その後の2年ほどで順次拓かれてきたことになる。
渡って振り返る光澤橋。そのものは味気ないコンクリ桁橋だが、オーラを纏いつつある…。
9時34分。さあ、再び進軍開始…
…って、渡ったとこでいきなり崩れてるんやけど(笑)。
まあ、イチイチ撮ってないけど、この程度の崩落ならそこかしこにあったな…。
で、わずか数分ですぐに次なる橋が現れたが、
この日に白倉で見た橋では、この橋の名前が一番感銘を受けた。
蜩橋。
ロケーションに似合わない風流な名前じゃないか。「ひぐらしばし」かあ…
と、思ったら。
「かなかなはし」。そうきたか!
現場では特にコメントしなかったが、密かに心に響いていた(爆)。「ひぐらし」と読ませず、ヒグラシの鳴き方である「かなかな」を当てるとは、なんと風雅な。誰がこの名称をこの殺風景な橋に与えたのだろうか。非常に好きだ、この名前。
殺風景って、橋の写真を見せてなかった(笑)。
コレは振り返って撮影。ちなみにこの橋にも「昭和40年11月」の銘板があった。
蜩橋の先で、
さっきはあんなに近かった光谷が、もはやV字の峡谷に。
その対岸、断崖絶壁の中ほどのひっかき傷レベルの心細い線。あれこそが先ほど踏破してきた白倉林道、8号隧道~分岐点の間あたりだ。おろろん氏が「ヨセミテ廃道」とおっしゃる、まさにそのあたり。
こうして見ると…いささかスースーするね~(汗)
9時39分。次なる橋が見えてきた。
しっかりした橋だが、その先が気になる。
…あれは…
ついにキタようだな。
白倉の衝撃シーンのひとつが。
【6】に続く。

















