2012年10月24日、名古屋に住み始めて2週間と少し。自転車で遠出(当社比)して散策に出かけた。
正覚寺地下道を後にして、ついにJR稲沢駅までやってきた。いや~ナカナカ遠くまで来ちゃったな~(当社比)。そろそろ引き返さないともうシンドイわ~…
ってところで出会った橋をご紹介(長いわ・笑)。
今宵もタメなく、ドン。
ああ~、コレは。
わたくしの愛してやまない、「市街地に残ったささやかな古橋」そのものじゃあーりませんか!(古
そしてねえ、こういう斜めった古い橋、コレまた好きなんだなあ。マニアックすぎか(笑)。
まずは手近な左側の親柱を…。
「昭和五年五月改築」。
うお!まさかここまで古いとは!昭和ひとケタ橋か~。しかも「改築」ときたもんだ。コレは今日イチで嬉しい出会いかも!
右側の親柱。
「榮橋」。あ~、イイ名前だ。
「大橋」や「高橋」と並び、地域の大事な橋につけられることが多かったこのお名前。「駅前」という住所からも、東海道本線が開通して駅ができて以降、大事な道であり橋だったんだろう…と妄想が膨らんだ。
渡っている川は、
今ではこのような飼いならされた姿に。ざっと調べた範囲では、河川名も判明しなかった。
ちょっと失礼して、逆アングルより。
あ~…だいぶ草臥れてますな。鉄筋の露出が見られる。
それでも、
古めかしい高欄の佇まいは、確かに好ましい。
好きだ。愛してると言ってもいい(爆)。
うーむ、陽射しの関係でスッキリとは見えないけど、好みだ~。
こちらも、
左の親柱はお誕生日。
前から思ってたけど、こういう古い橋の文字って両岸で筆致が異なるパターン、けっこう多いよなあ。ここも確実に違う。
で、右の親柱は
「さかえはし」。
考えてみれば、戦前橋なのに(戦時中の金属供出を逃れて)金属銘板が残っているなんて、非常に珍しいなあ。あるいは戦後、つけ直されたとか?オリジナルなら、貴重だと思う。
最後に斜めから。
斜めでありつつもある意味正面、みたいな。
今でも現役で頑張ってるのだろうか。架け換えられたりしてないだろうか。
…みたいに、なんか実家の親を想うような(笑)、そんな気分になる橋でございました。
以上、完結。