【6】より続く。
見つけターーーー!!
いや~、この時は感動した。完全に見失った隧道の反対側を、こんな形で発見できるなんて!
ってことは、例の水路橋はここにあったってことか!?
まあ落ちついて、ゆっくりと見ていこう。まずは
この穴。沢の方を向いて撮影。
カメラを突っ込んで撮影してみると、
おお…圧壊寸前。
そしてすぐ先で開口してる。もちろん、あの開口部の先に水路橋があったはずなのだ、かつては。
で、そっちにまわってのぞきこんでみた。
こんな感じ。
この場所で向き直れば、
まさに、水路橋ビュー(意味不明)。
残念なことに(そして予想どおり)、水路橋はすでに跡片もなかった。よく探してはいないが、橋脚に関連する遺構も見られなかったことから、ワンスパンでこの沢を跨いでいたものと思われる。
つうかさあ…。
今にして思えば、地形図を見ればこの谷に面して開口しているであろうことはわかって当然。いかにわたくしがボンクラかってとこだが、なんか古地図の水路橋の描かれ方(いかにも立派!)にも引っ張られて、こんなささやかな沢に架かっているイメージじゃなかったので…。
隧道の長さもそうやけど、けっこういい加減な表記やなあ…(汗)。
さっそく沢を渡って隧道まっしぐら!と逝きたいところだが、
その前に、反対側…つまり取水方向にまだ明らかな痕跡が続く導水路を見ておこう。
かなり状態は悪そう…ってか壊滅してるんだが…わかりますかね?
これならわかるか?
一直線上に並ぶ、陥没痕。
此れ即ち、水管が圧壊している証左ナリ。
こんなんとか、
もはや穴レベルではない。「崩落」だ。
ところで、この壊滅した水管の断面を見ると…やっぱり陶管だよな~?ってか、陶管だからこそ圧壊してしまうわけか…。
立派な石積み土留めに護られた導水路は、
まだ続いて行く。
しかしその先はにわかに藪が生い茂り、ちょっとめんどくさい感じ。結果的に向こうに見えている関電杭が、この日に発見できた最後の杭だった。
コッチはもういいや。隧道が気になってしようがない(笑)。
後で先生に聞いてみると、取水はこの先さほど遠くないあたりだということで、これは4月29日の朝練の際に(紆余曲折の末に)一応の調査をおこなっている。が、そこはまたいつか別記事にて改めて。
てなわけで、
最後の関電杭のところからUターン。
いよいよ…
対岸に口を開ける隧道へ!
しかしこの開口位置…思ってた辺りと全然違ったなぁ。先ほど書いたように、考えれてみればこの沢に開口してるのも必然ではあるんだけども、的外れな斜面を這いずりまわったせいでめっちゃ離れたところに突然開口してたような体感。うまく位置関係などまとめられなくて伝わりにくいのが残念だが…。
そういえば大事なことを書き忘れてたが、この沢(谷)の名前は霜谷だという。高山キャンプ場に林道別れにある案内板に書いてあった。
狭い沢だが、落差があって流れはまあまあ激しい。
ここから下は、登ってくるのをあきらめただけあって、けっこう切り立っている。
白飛びしているが、下に見えているのがおじさんとお話しした林道のコンクリ橋。一応そのコンクリ橋のおよその場所はコチラ↓
無事に渡渉完了。
滑りやすい斜面をよじ登り(盛大にスライディングをかました・笑)、
ポータル脇へ。
ああ~、
最終回【8】で、衝撃の結末が!(半分ウソ