【隧道前篇】より続く。
※隧道後篇の予定でしたが、都合により分割し、今回は旧廃道篇とします。
現道のトンネルを抜け、回りこんできた西側(多可町側)。
その旧道入口に立っていたのは、
この石仏。
調べてみるとどうやらお地蔵様のようで、光背の向かって右には「三界萬霊六親卷属」、左には「宝暦九卯七月廿五日」」と刻まれていた。西暦でいえば1759年。「卯」はこの年が「己卯」の年だったからだろう。
大変状態が良く、250年以上も前のものとは思えない。お地蔵様の表情もまた、とても素晴らしかった。好きやなあ、こういうの…。
で、旧道はどうなった?って、失礼しました~。
ちょっと引きで。
左の木の根元にお地蔵様がおられるが、正面が旧道入口のようだ。
この撮影をしてる背後はちょっとした駐車スペースになっていて、なんかだだっ広い。このあたり、かなり地形が変わっていそう。
で、旧道入口のようだ、っつっても、あの様子は…?
まずは接近してみて、あーやっぱり。
ゲートこそないものの、人為的に塞がれてるな、これは。
車両が入り込まないように、ということだが、あからさまだった東側(丹波市側)と違って旧道に気づく人はさほどいなさそうなので、こんなもんでいいのかも。
これら軽く盛られた土砂を越えると、
しっかりと道が現れた。
いきなりの黄泉(笑)でとても短かった丹波市側に比べ、こっちはある程度の長さがあって楽しめそう。
こうして、
かつての舗装路面がきれいに残っているところも。
よろしいですなあ…。
ちょっと進んで振り返り。
お気づきだろうか?右手に見える標識ともう一本の支柱に。
標識は恐らく反対側にもあった高さ制限標識だと思われたが、文字は判読できなかった。
特筆すべきは、もう一本の支柱のほう。
付いていたものは落ちてしまっていたが、それは
旧・山南町のカントリーサイン(白看板)だった。
2004年に平成の大合併で丹波市(の一部)となった、その忘れ形見がここに。「旧道や廃道で見つけるととっても得した気分になるやつランキング」第4位やしな~(適当)。
そして、そこから程なくして…
あっ、アカンかも…。
そろそろ隧道も近いか?というあたりで、
突然の激藪に。
まあ、真夏に来てる時点でもとより織り込み済み。ここまでが恵まれすぎていただけなんで、躊躇することもなく突入~。
朝露で濡れた藪でびしょ濡れになりながらかき分けること2分。
藪が切れて、そして
いらっしゃいました~。
【隧道後篇】に続く。