【1】より続く。
ようやく捉えたターゲット。
ドキドキを抑えて接近。
坑口前は意外なほどに穏やか。いよいよ間近でご対面。
煉瓦ポーータル!
我が大好物、煉瓦アーチ。「トンネル」でなく「隧道」と呼びたい気持ち、分かっていただけると思う。
ただまあ、かなりシンプルな構成ではあるな。ファーストコンタクトほどのインパクトは正直なところないのだが、それでも総合的にかなりポイントの高い物件であることは間違いない。
ウィキ先生によるとこの区間は1923(大正12)年1月に開通しているようなので、本隧道はその前年、1922(大正11)年ごろの完成と見て差支えないだろう。まだまだコンクリートトンネルは希少だった時代、煉瓦ポータルにも納得である。
では、詳細に観察。
改めて、ポータルは総煉瓦製。ピラスターはなく、帯石と笠石を模した部分が前方へ突出している。
胸壁はイギリス積み。アーチは五層巻き。後付けのパイプ?やらその上の金具?、そして洞内の碍子など、思いのほか多くの付属物が残っているのが分かる。
もう少し寄ってみる。
よく見れば、アーチ環の小口面の大きさが不揃いだ。大きさの均一でない煉瓦を用いて組まれた、ということなのだろうか?また、クラックもいくつか見られる。
けどまあ状態はいいほうではないだろうか?
1枚目の画像で分かるとおり、向かって右の擁壁はコンクリで補修されているが…
ポータル直前部分だけ、オリジナルを偲ばせるようにコンクリが切れている。どうやら天然の岩盤?が擁壁として使われてたっぽい。
あと、ポータルそのものじゃないけど見逃せないのがコレ。
信号機関連のものと思われる鉄製箱。貴重な遺構だが、現役時代からこのように置かれていたとは思えない。
で、洞内もまたモルタルで補修されている。残念だが仕方ない。
さて、ではでは。
当然入るさ。
【3】へ続く (もうそんなに内容ないけど…汗)