【西側旧道後篇】より続く。
ついに極まった、西側旧道。
20mほど奥に、(肉眼では)ハッキリと捉えたコンクリートポータル。が…
この最終パートが、ここまでで最凶の激藪!
上等じゃねぇか!(笑)
ガサ、ガサ、ガサ、ガサガサバキバキガサバキガサ!!
ゲッチュ~(笑)。
前回のリベンジ、成る。旧道進入から20分。ついに対面した田河内(たのこうち)隧道・西側坑口!
…なのだが、まあなんと味わいもクソもない(笑)。のっぺりとしたポータルには、扁額も銘板も、それらが嵌めこまれるべき枠すら存在しない。
唯一のアクセント(でもないけど…)は、まあわかりにくいが
ポータルの両端に切られた、排水溝。
上からの水を路肩へと流すようになっている。路肩にも溝があったのだろう。
えー、ここまでの道も含め、ツッコミたいところが多々あるが、まずは隧道鑑賞といこう。
見るべきもののない殺風景ポータルにはさっさと見切りをつけ、
洞内へ。
後述するが、この隧道の延長は100m強。ではあるが、反対側の明かりはまったく見えない。曲がっているのか…それとも?もちろん、照明の類いは一切なし。
洞内は未舗装で、ぬかるみ気味。そしてこの狭さって…。
振り返り。
型枠痕がビッシリ。コレはコレで、まぁ悪くはない(笑)。
進むことしばし、
本性を現し始めた田河内隧道。
う~ん、ピントがどこにも合わないこの感じ(笑)。おぞまし度ぐんぐん増量中でございますよ~(笑)。
しかし、この曲がった部材はなんだ?気持ち悪くて触らなかったんで、木なのか金属なのか不明。
このあたりから、頭上が騒がしくなってきた…。
さよう、
こうもりさんの乱舞。
さっきからその囀(さえず)りは聞こえていたが、遂にバッサバッサと洞内を乱舞し始めちゃいましたわ(笑)。
「めっちゃ飛んでると思っても、なぜか写真撮ったら写らない」ことで定評のある(謎)こうもりさん。それが5匹も写るってことは、ナカナカのもんだった、とご理解いただきたく(笑)。
足元は、いわゆるひとつのバット・グアノでぐっちゃぐちゃ。うあ~ツライ、気持ち悪い~(笑)。
そして、奥に何やら異変が…?
入洞から7~80mほど地点で、
こんなことになっております。
巻き立てのモルタルが剥離して洞内に倒れ込んでる。なんでこんなことになんの!?
そしてそこから20mほど奥で…
ガッツリと閉塞しているようだった。どおりで明かりが見えなかったはずだわ…。
うん、やっぱノンフラッシュの雰囲気重視ヴァージョンのほうが好み(笑)。
閉塞を確認したので、このモルタル剥離ポイントから奥には進まなかった。
脱出。
この隧道へと至る道にあったふたつのヘアピンは、とてもじゃないけど四輪の自動車に対応できるサイズではなかった。その幅員も、車道なんだとすれば極めてスパルタン。そして、年代の古さを物語る空積みの石垣。
さらに、この隧道だ。
「トンネルリスト」と並ぶ隧道趣味者のバイブル、「山形の廃道」様ご提供の「全国隧道リスト」。そこに記載された田河内隧道のスペックは…
昭和4年竣功、延長106.7m、幅員2.2m。そして限界高欄には「不適」と。
つまり、この隧道は(公式には)車道とはみなされていなかった、のではないか。見ていただいたとおり、隧道そのものは相当に狭小ではあるものの、限界高としては(車種は選ぶが)車が通行できないほど低くはなかった。
そして、昭和4年竣功ってのも驚き。で最初っから全てコンクリ製だったわけではないようなのだ。リストでの履工欄には「素」、つまり素掘りである、と書かれているのであーる。が、先ほど見ていただいたように、洞内はモルタルで履工されていた。一体いつ?
ちなみに現トンネルの銘板には、
2002年11月という年号が。
この2本のトンネルの竣功年には、実に73年もの開きがある。にもかかわらず、どう見てもこの旧隧道が地域交通を支えてきた!ってわけではないようだ。
旧道?の状態も、あの自然回帰っぷりはありえない。現トンネルの供用開始からの旧道落ちでは、とてもあんな状態にはなりっこないだろう。
あのモルタル剥離を契機に使用されなくなり、もはや完全に放棄という前提で東側が埋められてしまったのでは?
元々、峠に穿たれた人道隧道が存在したのだろうか。そしてかつての峠道を車道として整備…しかけで放棄されたのが現状の姿なのでは、と。
なので、ほぼ廃道のような、そんな状態で棄て置かれていたのだろう。
完全妄想だが…。
まあ、詳細は一切不明。なんともミステリアスな旧道と隧道だ…。
堪能した。
さて、戻るとする…
ヴッ(嘔吐
以上、完結…
してもいいのだが、一応礼儀として(謎)…
【東側旧道篇】に続く。