先日の合同探索OFF、午後の部で思い出してご案内したブツを、この機会に記事にしておきまする。当日は入れなくてちょっと不完全燃焼感がありましたんで…(笑)。
ここを訪ねたのは、2012年6月24日。瀬田川~宇治川沿いから京都市内にかけての煉瓦祭りの日だった。この日のネタで記事にしてるのは、手抜き記事での天ヶ瀬ダムのみ。
ここでお断り(普段はこういうこと書かないが)。
この物件の現状は、本記事とは異なります。2012年夏の激甚な豪雨災害により、アプローチ部分は大きく損壊・変状しました。現状を遠目にしか見ていないため詳細は不明ですが、元よりかなり危険ですので、訪問は自己責任にてお願いします。
あと、ここにはちゃーんと先人がおられるので、敬意を表して【後篇】の最後でご紹介する。
まずはここ。宇治市道(だと思う)から、
ちょっと珍しい感じに封鎖された旧道へと入る。
地図には現在も普通に描かれているこの道、ご覧のように紛うことなき廃道である。
進むこと数十mで、
9.0t制限の橋が現れるのだが、
橋上で右手を見ると、
ぬおぅ!
そこには、煉瓦アーチがかぶりつきで見えておるではないか!地図によると、これは志津川本流のはず。つまり、河川が山の下を抜ける河川隧道、ということになる。
わらわらと
群がる男たち(笑)。
左からよととさん、おろろんさん、ピカさん。懐かしの煉特隊…(笑)。
こういうとこで、一歩引いてこんな写真を撮ってるのが、わたくしの性格を表してるなあ…イヤな奴やでこの人(爆)。
遅れて、わたくしも参戦。
おおおおお!コレは凄い!オール煉瓦か!?
書きながら一生懸命考えてるんだが、ここってどうやって知ったんだったか…。それとも知らずに単に地図上で気になってチェックしたんだっけか?思い出せない。先人の記事は帰ってから見つけたので、それじゃないんよね…。
煉瓦の巻厚は、
四層から三層ほど。
この部分は崩落していて、かつアーチを一周するでかいクラックが入っているのが気になった。洞内に関しては健全に見えたが。
観察もそこそこに、これは辛抱タマラン!と潜入を試みるよととさんとピカさん(ダブル核弾頭・爆)たち、速攻で潜入ルートを探しに行かれた。
わたくしも後を追ったのだが、ふと
こんなのに気づいてしまいましてん(笑)。
この廃道山手側の崖の上に、謎の構造物。なんだあれ!?
少し先で、もういっちょ。
結論から言えば、あれは正体不明の疏水(水路)跡だった。なぜか写真を撮ってないのだが、見に行ったはずなんやけど…記憶が曖昧。
まあいい。お題はアレではない。
このあたりから、左へ降りる。
ちなみに先日訪問した際には、この辺の路肩はガッツリと崩落していた。
でー。
降りてきた。
コレも橋からの写真を撮ってなかったが、隧道を抜けた志津川は橋の下で滝になって落ちていた。
で…こっからどうすんの?
こうすんの。
一気にここまで接近。
ここまできたらチョロイ?いやいや。
こっからのわずか2mほどが

一番怖いとこでしてん。
この目前の濡れたコンクリ斜面を登るわけだが、あるのはツルツルのコンクリ擁壁のみで手がかりはいっさいなし。完全に足元のグリップのみ。
で、もしグリップを失ったら…
ご想像にお任せします(爆)。
いやいや、地味に(でもないか)かなり怖かったよ…。
無事にとうちゃく~。まずは改めて、下から観察。
やはりこのでかいクラックは気になるなあ。
2012年夏の水害以降も、何度も豪雨に見舞われているだろうし、もしかしたらこのあたり、今じゃ逝っちゃってるかもしれんなあ…。
さっきは必死で煉瓦アーチばっかり見てたが、
パラペットは石積み。
写真がヘボくてどうもわかりにくいので、先日の訪問時のを見たら、
おいおい、今さらながらコレ、谷積みじゃあないのかい!?
けっこう珍しい…ってか、煉瓦アーチって布積みとの組み合わせが圧倒的に多いが、谷積みとの組み合わせなんて数えるほどしか知らんぞ?コレはまた行かんとイカンな。
しかし、これまで気づかなかったとは、これまた遺憾。
さて【後篇】で、洞内を。