にゃんのこと 旅立ちの日 | ねことアートと彩ある暮らし

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猫を愛で 好きなものに囲まれて
今日を愉しむ絵描きのブログ

4/7の往診後の最後の2日間の記録です。

 

4/8

 

往診の後は毎回ものすごくぐったりするにゃん。

 

今回も例外ではなく。

 

朝から何も口にせず。

 

漢方と一緒に飲んでいるイミノキャットは総合栄養食なので、

 

漢方を飲んでくれると多少なりとも栄養もとれる。

 

けれど、にゃんの体調を見ながらだと、なかなか飲ませるタイミングがない。

 

午後から出かける予定があったので、

 

にゃんに『出かけてくるね。でもちゃんと帰ってくるから大丈夫だよ』といって出かけるも、

 

私がにゃん宅を出て間もなく嘔吐。

 

それも水を一人で飲み、


母が『にゃんは偉いね。一人でお水飲めたんだね』と頭をなぜたタイミングだった。

 

チョットした変化でもにゃんの身体にさわる、そんな気がした。

 

ご飯は全く食べず、栄養はイミノキャットだけ。

 

それでも、わずかでも、栄養が摂れれば。

 

夜のステロイドも吐き出さないように、


サッと口を開けて薬を放り込み、すぐにシリンジの水で流し込む。

 

そんな作戦でなんとか吐かずにすんだ。

 

残っている漢方を飲ませると、

 

イヤな漢方から逃げだすことができず、のけぞった。

 

そのまま数分動かず。

 

多分体力がなく、意識ももうろうとしていてのフリーズなんだろう。

 

ヨタヨタと体制を変え、やっと眠りについたと思い帰宅。

 

するとその後また吐いたと母から連絡が入った。

 

そして、にゃんの様子はかなり厳しく、もしかしたら今晩かもしれない、と。

 

様子がおかしかったら夜中でも出かけられる用意をして就寝。

 

結果、

 

無事何事もなく、4/9を迎えた。

 

さすが、昨夜そんな状態だっただけに、『今日は元気』なんてことはなく。

 

いつもは朝私が行くと部屋の入り口まで迎えに来る。

 

これは体調が悪くなってもしていたこと。

 

けれど、この日は来なかった。

 

それどころか、にゃんのところに行って声をかけても反応せず。

 

ただただぐったりしていて。

 

そして殆ど食べていないにもかかわらず、

 

昨晩からすでに2回もうんPをしている。

 

さらに、朝、またトイレに行き、小さいうんPを一つとおしっこを。

 

うんPはお尻の皮毛にくっついたままで、


おしっこはトイレからはみ出てしまった。

 

こんな粗相は未だかつて一度もない。

 

身体を綺麗にしている、そう思った。

 

もう残された時間はほんのわずかだろう。

 

その足でジャンプをし、水を飲みに行った。

 

一人で水を飲みに行けたのはこれが最後だったと思う。

↓(音あり7秒)

私はにゃんの体調を見ながら薬や漢方を与えるのがミッション。

 

朝は投薬がなく、漢方だけなので、そのタイミングを見計らったが………

 

頑張っていつもの半分が目標。

 

それでも飲めばすごい、と思うくらいにゃんは辛そうで。

 

あの可愛い高い声で鳴くにゃんが、時折もの凄い声で鳴く。

 

これはネットで調べると、まさにその時が近づくと起きることらしい。

 

きっとその時は今日なんだろう、そう感じた。

 

(音あり8秒)

《午後3時半頃鳴いているにゃん》

 

ここから、にゃんを見ながらネットで『最期』を沢山検索した。

 

今日でなくても間もなくその時が来る。

 

私が慌てないため。

 

冷静ににゃんを導くため。

 

私に頼って、いつもくっついてくるにゃんは、

 

漢方が嫌で飲めなくても、

 

『覚悟を決めなさい!男にゃんたろうでしょっ!』というと

 

すごすごと私の前にやってきてお座りをし、

 

漢方を飲ませられるのを待つ、そんな子。

 

私がしっかりして、にゃんに不安を与えないようにするには、

 

これからにゃんが向かうであろう道をキチンと把握し、

 

例え辛くても目を背けず、最期のその時まで、

 

『大丈夫』『そばにいるよ』『怖くないからね』『いつだって一緒だよ』と言い続けること。

 

そして苦しさを緩和させるために、常に酸素を手ににゃんの顔を追う。

 

辛くて苦しい中でもにゃんは、私と母がいるとさほどでもない。

 

ただ、どちらかがいないとすごい声で鳴き叫ぶ。

 

ぐったりして自分で体が支えられないのに、

 

それでもどうにか起き上がってあたりを見回し、探す。

 

右を向いたり左を向いたり、いないと分かると大声で鳴き叫ぶ。

 

ひとりで逝きたくない、そんなにゃんの気持ちが手に取るように分かる。

 

そんなことと同時に、呼吸が荒くなったり静かになったりを繰り返し、

 

鳴き叫ぶたびに体制を変え、合わせて酸素の口を移動させ、

 

少しでも苦しさから解放できたら、それしかなかった。

 

夜7時前、外が暗くなってきたころ、チャッピ部屋の電気をつけたり、

 

ご飯をあげたりしに自宅に帰った。

 

『にゃん、ちょっと出かけてくるからね』

 

『すぐ帰るからね』

 

『絶対に待っててよ』

 

にゃんはちゃんと待っててくれた。

 

次第ににゃんは身体を横たえることしかできなくなり、

 

呼吸が乱れ、口呼吸をはじめた。

 

酸素を吸わせているのですぐに鼻呼吸に戻るも、

 

苦しくて手足が突っ張り、

 

時折口をもぐもぐするので、少しだけ指に水をつけてにゃんの唇を触った。

 

苦しくて苦しくて何度も何度も嘔吐をするようにえずく。

 

でも声をかけることと体に触れること、酸素を離さないでいること。

 

それしかできない。

 

すこし大きめの呼吸をして夜8時頃旅立ちました。

 

ちょうど夜8時はステロイドを飲ませるタイミング。

 

苦しいにゃんに薬は飲ませたくない。

 

でもステロイドの急な停止は命に係わる。

 

例え、消え入りそうな命でも、ステロイドを飲ませなかったという理由でなくなってしまったら、

 

その後悔は十字架となって一生背負うことになる。

 

悩んで悩んで。

 

ステロイドは1日飲ませなくても36時間効くから、

 

翌日ちゃんと適量飲ませれば大丈夫。

 

今までだって吐き出してしまったので、今回は見送ろうと思ったこともある。

 

そう思ってこの日のステロイドは止めようと思った。

 

けれど、明日は絶対に『やめる』という選択肢はない。

 

そんなことを考えながらいた私。

 

にゃんは見抜いていたんだね。

 

私が辛くないように。

 

本当に優しい仔。

 

そして、毎日がどうしようもないほどに忙しく、

 

私が一人で、にゃんとチャッピと母のこととのやりくりに限界を感じていることも知っている。

 

母の癇癪や暴走は止まらないし、

 

私が倒れるか、チャッピが病気になるか。

 

そんな中での、優しいにゃんの選択だったような気がする。

 

病気になってからは写真を撮ることが減ってしまった。

 

スマホの中には元気な頃のにゃんが沢山いる。

 

その頃と、つい最近のにゃんを比べると、本当に可哀想でならない。

 

命がある限り、『死』とは、いつかは通る道。

 

でも長いこと苦痛の中にいて、にゃんは幸せだったのか?と思う。

 

今はきっと辛いこともない毎日を送っているだろう。

 

またコロコロで屈託のないにゃんに会いたい。

 

ちゃんと触れられるにゃんに会いたい。

 

(音あり38分)

《2022年12月》

 

今回で『にゃんのこと』は終わりになります。

 

にゃんの最期までにお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

いつか『にゃんのこと お帰りなさい』という記事を書く日が来ることを願っています。

 

 

18日の夜

 

母と『にゃんは本当に可愛いし良い子だったよね』と話していて。

 

『でもさ、案外頑固なところもあったよね~』というと、

 

ボトッと大きな音がした。

 

何事かと思ったら、

 

その日の朝、切って入れたばかりの椿の花が落ちた音だった。

 

 

 

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