母のこと 怒涛の一日 | ねことアートと彩ある暮らし

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猫を愛で 好きなものに囲まれて
今日を愉しむ絵描きのブログ

2/20は母の手術日でした。

 

2/19の先生との面談で

 

『明日なら開いています』

 

『その後は来週か、再来週か』と。

 

その言葉を聞いた時、

 

カテーテル治療だろうが、開頭手術だろうが、

 

このまま何もせずに何とかならないのか?と思っていたので、

 

『その物件はもう決まってしまったので、こちらはいかがでしょう?』

 

と、不動産屋のおぼったくり物件を勧められているような感覚に陥りゲラゲラ
 

でも、どうやら逃げ切れるものではないようで。

 

先生一押しのリスクの少ないカテーテルをお願いしました。

 

そんなわけで、今までにないほどの忙しい、怒涛の一日が始まりました。

 

 

いつもより早めの5時に起き、にゃんのところへ。

 

ご飯を食べさせ、薬を飲ませ、

 

自宅へ戻り、チャッピと少しイチャコラしてにゃんの元へ。

 

夕方までかけて飲ませる漢方もお昼までに飲み切らせた。

 

いつもより早いペースで飲まされた漢方に凹むにゃん。

 

13時からの手術の前に少し会えると聞き、

 

12時過ぎに病院に着くように自転車

 

この日は仕事を休んできてくれた弟と落ちあい、

 

手術室に向かう母と、病室からエレベーターまでの数十メートルほどの対面を終え、

 

腹ごしらえ。

 

病院の入院食を詰めたお弁当が売っているので。

 

ただね、ここの病院、脳専門病院なんだけど、さほど大きいわけではなく、

 

なんと!食堂も売店もなくて。

 

それどころか、手術中の家族待合みたいのもなく滝汗

 

外来の待合室(受付ではロビーと言ってたけどゲラゲラ)の端っこで食べて(この日は雑穀カレーでした!)、


13時半、にゃんに免疫抑制剤を飲ませるため、にゃん宅へ一旦もどる。


チャッピ部屋の電気をつけるため自宅を経由して、


とんぼ返りで14時半病院に戻る。


麻酔に1時間→執刀2〜3時間→麻酔から覚めるのに1時間の予定だったので、


先生からのお話は18時頃であろう。


なので、今度はにゃんのご飯再開のタイミングを狙って15時半に病院を出てにゃん宅へ。


ご飯を置き電気をつけて即病院へ戻る。


病院とにゃん宅はそんなに遠くはないけれど、片道3.5kmある。


3往復は堪えたー


一回は向かい風。


もう一回は後ろから車が…


追い越してくれればいいのに、道幅が狭いから後ろをついてきてて、、、


超マッハでこいだわ。


多分30km位出てたと思うよ🤣

 

そして、疲労困憊な中、


18時少し前、執刀医(主治医)に呼ばれ、説明を受けました。

 

『まだ麻酔は完全に溶けてないけれど、受け答えはできるし、手足も動かせるので、問題ないとみてご説明いたします』と。

 

簡単に言えば成功です。

 

『○○さんの瘤は細い血管にできていて』

 

『そこまでの血管がかなり蛇行しているんですよ』

 

『カーブがすごくて、なかなか進めず、諦めようかと思ったんですけど』

 

『なんとか細い血管に入ってくれた(カテーテルの管が)ので』と。
 

ポーンポーンポーンポーンポーン

 

諦めるなーーーーー

 

くじけるなーーーーー

 

というわけで、かなり難儀したようですが、

 

無事にコイルを詰めて、瘤への血流をストップすることが出来ました。

 

よって、この瘤からの出血は今後起こらない、ハズ。

 

確かにね、画像見せてもらったら、

 

車で言う『ヘアピンカーブ』でした滝汗

 

術後、本人にも会わせてもらい、話も出来ましたが、

 

ハッキリ言って、いっちゃってましたゲッソリ

 

いろんな記憶がごちゃごちゃになってて、、、

 

『猫がね、結石になっちゃってて、ご飯をあげたんだけど』

 

『食べなかったから私が食べたのかな?』

 

少し話をすると、この話に戻ってくる。

 

そういえば、祖父も脳出血を起こして、その時は

 

『電線にね、すずめが3羽止まってて』

 

を繰り返してたなぁ。

 

『電線に、スズメが、3羽とまってて、あそれっ!』と脳内で歌ってたayuちゃんです(笑)

 

そして母は話が止まらないのよ。

 

10分の面会というのに、、、

 

私『疲れたでしょ?』

 

母『疲れてない』

 

私『眠たくない?』

 

母『全然!』

 

そして、『猫がね、~』と始まる滝汗

 

結局、倍の20分ほど面会をし、18時半頃にゃん宅へ帰りつきました。

 

ここでちょげてるにゃんを盛り上げ、ご飯をあげ、雨戸を閉め、

 

心配してくれていたお向かいさんへ報告

 

19時半ころ自宅に帰ると…

 

普通にご飯を食べている父ムキー

 

『おー、ご苦労さんっ!』

 

『遅いからどうしたのかと思ったよ。』

 

『事故にでもあったのかと。。』

 

えっ?!私ですか?

 

今日は母の手術。

 

帰りが遅かったら手術で何かあったのか?と心配するのが普通だと思うのですが。

 

私が事故にあったかも?って…

 

相変わらず理解不能なひと。

 

今回の母の入院も、

 

母が緊急入院したって言った時、『どこに入院したんだ?!』って。

 

普通は何があったの?事故?怪我?とまず聞くもんじゃないか?

 

母が自動車事故にあった時も、身体は大丈夫か?じゃなくって、


『誰にやられた!?』と聞いたしねぇ。

 

どっと疲れ、スーパーを経由してにゃん宅に戻ると弟からラインが入ってた。

 

『病院から電話が入ったんだけど、車内なので出られず、どうしたの?』と。

 

電話に気づかなかった。

 

ちょうどその時、一人祝杯をあげようと、スーパーで大人の飲み物を選んでてゲラゲラ

 

とりあえず、もしや急変?と思って急ぎ折り返すと、とんでもないことに!

 

母が、

 

家に帰りたい

 

カテーテルを入れる足が前回と違う(数日で同じところは切らないでしょ)

 

部屋が勝手に変わってる(そりゃ術後に大部屋に戻らないでしょ)

 

と大騒ぎ。

 

もうね、理性が崩壊してるからね。。

 

そして『私を犯人扱いして!!』と大怒りムカムカムカムカムカムカ

 

のため、手に負えず、連絡をしたと。

 

犯人って??

 

あっびっくり

 

術後は無意識に何をするか分からないのと、身体を動かすと、カテーテルの入口に触るので、

 

手は手袋をはめ、と腰は固定(拘束)していますと言われた。

 

これか!

 

お縄になったと思ったらしいわ。

 

それにしてもすごい想像力笑い泣き

 

相当の噛みつきようで、先生にまで食って掛かったらしい。。。

 

私を呼んで話をさせろと。。

 

しかし、この病院は面会NGなので、

 

電話でよく話を聞き、納得はしていないけど、とりあえず収まった。

 

そんなことで、祝杯のアナゴ握りと大人の飲み物を前に『待てっ』体制。


とんでもなく疲れた一日だった。。


でもこれでホッと一安心、と思っていたけれど…


甘かった_| ̄|○


後遺症なのか?


いっときのことなのか?


色んな問題が出てきて…


電話もガンガンかけてくるし💧


もうね、常に着信音が聞こえてる気がするのー


始めは早ければ今月中に退院という話も出てたけど、


そりあえず、それはなくなり。


普通の生活ができるのか?、と。


先が見えたら、また続編をお話ししますね。



来週はにゃんの往診もあるし、


流石のayuちゃんもグッタリです( ̄▽ ̄;)


 

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