新宿での用事を済まして、


帰りの電車で佐野元春のアルバムを聞きながら、


ふと、


何かのスイッチが入って、


自分の「音」に対するルーツを考えてみた。



というのも、


元春さんのソングライティングに最近興味が湧いて、


とりあえず手にした「COYOTE」。





quelyの戯言




なぜだかわからないけど、


その音の背景に、


不思議と地元の父を感じた、からだ。



ウチの一家はなかなかの音楽一家だと思う。


別に両親が音楽大学卒とか、


業界で活躍した経歴もなく。



いわゆる、


世に溢れた「音楽を楽しむ」側の人間。



思えば物心付いた時から、


我が家にはドラムセットがあったし、


自分の背丈と同じくらいのスピーカー、


どすっ、とかまえてた。



その配線の先には、


レコードやらCDやらカセットやら、


確かラジオのチューナーもあったな。



音の媒体ごとにかなりの大きさで、


その鉄の塊達がメタルラックで綺麗に整理されてた。



たかがCDを聞くのに、


一体いくつのボタンを押さねばならなかったのか!!


。。。今思えば懐かしい作業なんだけども。



自分の部屋には、ぽつんと、


両親に買い与えられたそれこそCDとカセット一体型のコンポ。



小学生ながら、


父の持つあの「音の要塞」とでもいおうか、


それこそ「無敵艦隊」の音質の良さは知っていたし、


同じCDでも全く違う音の世界。



父に内緒で休みの日には勝手にいじって、


かなりのボリュームで「音」に浸ってた。


(多分、普通にばれてたけど。。)



家では常に音楽が流れてた、


洋、邦、問わず。


かなり沢山の情報量だった。


ほんとここに書ききれないくらいに。



どんだけあるんだっていう量のCD、レコード。


それが当たり前だったから、


あんまり自分からは深く掘り下げなかったけど、


今思えば宝の山だったろうに。



少し後悔してるのが、


「これ誰の曲?」とか、


「誰のCD?」とか、


各々の楽曲の情報を頭に叩き込まなかった事。



だからこの歳になって、


ふと、


荒井由美、オフコース、


それこそ佐野元春とか、


古き良きフォークシンガー達。



洋楽でいうと、


TOTO、QUEEN、


マイケルジャクソン、ビートルズ、


ヴァンヘイレン、ディープパープルとか、


(ほんとに書ききれない!!)



「この曲、知っとる!!!」


っていう瞬間に仕事上度々遭遇するわけで、


懐かしいというか、


その曲が感覚剤みたいに、


あの頃の光景がぶわっと思い出される。


それが最近は、


たまらなく愛しく感じたりする。





間違いなくウチの音楽のルーツは「父」だ。





もちろん母もかなりの音楽好きだが、


父の与えてくれた音楽の影響は強い。



まるで空気みたいに、


小さい頃から、


父の流す「音」が当たり前に漂っていて、


それが五感を通じて、


根強く体に植えつけられているんだろう。



そんな事考えながら、


今自分がやろうとしている音楽に耳を傾ける。



まだ未完成なデモながらも、


不思議と感情がこみあげてきて、


危うく帰りの電車で泣きそうになった。



そして思った、


これがウチの「音」なんだな、と。



曲の頭から、最後まで。


どのタイミング、瞬間の1音をとっても、


間違いなく誰も真似できない、自分の「音」。



沢山の喜びや、


苦しいくらいの痛み。


何もかも終わらせてしまおう、とさえ思った事もあった。



その中で沢山の人達に出会って、


両親にも、友達にも、大切な人にも、


ほんとに沢山迷惑をかけた。



そんな自分が、


今の瞬間までの自分が、


出してる「音」。


肉体から零れた、


生きてる「音」。



それを目の当たりにして、


すごく胸が暖かくなって、


感謝の気持ちで一杯になった。




今ウチは沢山の人達に囲まれて音楽をしてる。


一人一人が「音」になって、


ウチの感性を高めてくれる。



そこには間違いなく自分だけの「音」があって、


その背景には間違いなく自分のルーツ、


父の「音」が鳴ってるんだと思う。





quelyの戯言



今度実家に帰った時には、


無敵艦隊に耳を澄ませ、


泡盛でも飲みながら、


「このアレンジいいね。」とか、


父と語り合ってみたいもんだ。


quely



















quelyの戯言


かき氷食べたい。


別に久々に「めがね」見たわけじゃないんやけど。


ぱっ、と浮かぶのはあの素敵過ぎる情景。



んで、とりあえず洗濯日和。


さっきからずっと洗濯機のドラムが動いたり、止まったり。


詰め込みすぎたみたいです。



てか、かき氷食べたい。


「かき氷が食べたくてしょうがない!!!」


って曲でも作ろうかしら。



すっかり梅雨は過ぎて、


そろそろ夏だ、なんて思ってたんやけど、


こっちは梅雨六月みたいやね。


地元は確か、とっくに終わってなかったっけ。



なんか最近いろいろあり過ぎて、


あっと言う間にこんな時期に。



扁桃腺痛めた時はどうしよう思ったけど、


県民の集まりに参加出来んでイライラしたけど、


いわばウチはジェットコースタ。



ある程度の山を越えて、


今は大分落ち着いてたりします。



夏から秋にかけてのビジョンをいろいろ想像しながら、


やらなきゃいけん事の多さにびっくりしたり(いい意味で)


時には一歩引いた視点で、極端に冷めきってたり。



早くいろんな人に聞いてほしい!!!


早くいろんな人に届けたい!!!


なんて気分でいながらも、


ちょっとづつ蛇口をひねるのは性に合わない。


どうせなら一気にたたみかける。


くらいの意気込みで。



quelyの戯言



普段全くといっていいほど本を読まない。


そんな中やっとの思いで、


鬼束ちひろさんの「月の破片」読み終わりました。


今思えば、


彼女の音楽にはかなりの部分で支えられてた時期あり。


自分の内面とか、感情とか、


文章にするんは本当に難しい。


そもそも目に見えない世界のお話やから、


「文字」なんてモノで縛るのもよくわかんないけど。


でも、内から外に吐き出すひとつの手段、


として捉えたら、


直接口に出すなんかより、


よっぽど素直になれるんかも。



それは曲を書いたり、


歌詞を紡いだり、と同じ感覚なんだろうな。



「表現者」としてのベクトル。


結局は横一列なんだろうか。



あんまり背伸びし過ぎるんも、


周りが見えなくなるから、


「こんなウチですいません。」


なんてテンションで生きるのも、


一理あるのかもしれない。



とりあえず6月。


それまでは我慢である、うん。



てか、かき氷食べたい。


んで、猫バスに乗りたい。


猫バスに乗って、かき氷食べたい。


quely





















quelyの戯言


上京してはじめて海へ行きました。


湘南の海へ。


これまた憧れだった江ノ電に揺られながらの旅。



「実現」と「現実」の確かさ。


そんな言葉じゃ軽いかもやけど、


地元では到底考えもしなかった、


「きっと素敵なんやろうな。」なんて、


まるでファンタジー映画でも観るような、


淡い淡い妄想の世界。




「いつか行けたらな。」



なんて考えてたら、


自分のまったく想像もしなかったタイミングで、


その地に立ってた。



体だけ先に存在していて、


思考が後からついてくるような不思議な感覚。



「海」というあまりにも強大な存在感を肌で感じながらも、


そのほんの手前で、仲間達と騒ぐ。



「水」の怖さ、強さ、儚さ、


今はきっといつも以上に感じ取れるはず。



それでも、


まるで何も知らないかのように、


ただその瞬間だけを感じながら、


夕日に染まる江の島を眺めていました。










去った4月17日の「song about you」


来ていただいた方々本当にありがとうございました。


自分の中でもいろいろ考えさせられたライブになりました。


これからも、


もっともっと音に向き合って精進していけたらと思います。



当日のライブ動画2曲、ボスがUPしてくれました。


「amaoto」

http://www.youtube.com/watch?v=Ve2Wiz52Sro


「STARTLINE」


出演が急遽決まって、

quely自身もなかなか上手く気持が整理できない部分が多々ありました。

でも後ろで支えてくれたバンドのみなさんのお陰で、

無事当日を迎えられました。


出来はどうであれ、

「歌う」という意味では自分なりに何か掴めたか、と。


「音」を皆で創り上げていく、

尖っている部分を互いに押し合って、引き合って、

優しく、丸く仕上げていく。


久々に「音楽」したな、と思いました。

いろんな人の感覚の中で、

共存し合っていく「音楽」。


しばらくそこに存在していたいもんです。




自分の「音」は自分でしか描けない、

まして100%誰かに伝えるなんて、

これまた100%不可能。

だから自分の「音」は自分で作る、表現する。

誰にも干渉させない。



そう思ってた上京したての自分。

確かに、

いい意味でのプライドとか、

自信とかも大切やと思う。


でも、ほどほどにね。


今は自分でもビックリするくらいに、

いろんな人間が創る「音」に耳をすまして、

あわよくば、

その中に「quely」を見つけだしたい。



心確かに、そう思ってます。



quelyの戯言


先日、3年振りに足を運んだ清水寺。

(でも肝心な本堂が写ってない)

前に来た時は10代。

その頃は、

今の自分の現状なんて想像もしてなかっただろうに。


3年振りの京都は、

変わってるようで、変わってなかった。


変わったのは自分。

間違いなく自分自身。


ゆっくり進む自然の中で、

儚くもそれなりに生きてる気がしました。

queiy