久々にライブします。


4月17日(日)

高田馬場Live cafe mono


Ans企画ライブ
「Sing about you」


出演
O.A. quely
平原佑樹
青山祐己
たかだこういち
Ans

open/17:30
start/18:00


Adv.\2000(1drink別)
Door\2300(1drink別)


沢山の想いが集まった素敵なライブに。


お時間ある方は是非。






さてさて、


自分の内面世界に困惑している。



「ねぇ あなたどこに いる の ?」


ぐーっとひっぱって、


えいえいと追いやって、


ケラケラと笑って、


ぽつん。


ぽつん、だ。



さあさあ、と



両手を伸ばしきって、



自分のテリトリーを確かめよう、とする。


干渉し合って、



擦り合って、



破壊し合って、



これでもか、



これでもか、と




どうやら



それでも我慢するんだ。


どうやら



爆発しないんだ。


どうやら



1回きりだから。


どうやら



あまりにもくだらなさ過ぎて、



あまりにももったいなさ過ぎるから。



どうやら認識すらしないらしい。


笑える。









ふと、


「声」について考える。



「音楽」という枠組みの中での、



「声」という「表現」について。



直感的なイメージを出来るだけ、



数少ないブレイクを挟まずに産み出す。


それが「声」。


また一方、



イメージを描いて、



脳へと伝達、



そこから触覚へ、



さらに物体へ。



という方法での表現。



「楽器」を用いての表現。




ある。



そんなんもある。



ずっとずっと難しいと思ってた。



後者の表現の方が、ね。



「声」はすごく直感的なイメージがする。



モノを描くような突発力。


それが「楽器」という概念になると、



すごく精密的なイメージがする。



モノを創るような計画力。



大分違う気がする、



実際にイメージ通りの「音」に辿りつくまでのスパンが。







でも最近こんな話をボスから聞いた。


「声」は自分では客観的に聞けない。



聞くことが出来ない。



だから一番難解だと言う人もいる、と。



一番身近に感じるようで、



本当はすんごく崇高な存在なのかもしれない。


「音楽」という世界に溢れる、



いろんな「音」の紡ぎ方。



その中でウチが選んだ「声」という方法。


歌い手で本当に良かったと思った。





いろんな思いや、



いろんな苦しみや、



葛藤が生む葛藤の流れ。



終わりはないんかもしれないけど、



それでも歌うんだと思う。



そんな思考回路でライブを迎えられたらいい。



quely



quelyの戯言

















quelyの戯言

世界を創り上げるために、


いくつもの時間を浪費する。


朝目覚めて、


また同じ日々の繰り返しだ、と。


でもそれは見えない実像の世界に


これまた必要以上に守られてるから。


いつか無に移り変わるその日まで、


たとえ出会う事のないあの人も、その人も。


自分を取り巻く目に見えない「人生」の、


一部を構築してくれているのかもしれない。




胸が痛い。


胸が痛い。



もともと100%は理解しあえない中で、


沢山の可能性を共有しながら不特定多数で創り上げた、


喜怒哀楽の素晴らしい世界。



壊れるのはあっと言う間。


本当に空しいくらいに、


壊れるのはあっと言う間。



目を閉じてふと、


しらん顔している間に、


世界は大きく変わってしまった。



多くの言葉にならない痛みが聞こえる。


モニター越しの電子的伝達であるはず、が。



どうしてこんなに苦しいんだろう。



でも、


ウチが思ってる以上に、


世界は強い。



世界が生み出した人間も、


人間が生み出した世界も、


絶望と比例するように、


(いや、それ以上か)


光、


捉えはじめている。



今は、手にとれない淡い光でも、


拾い集めて1本の閃光となれば、


物体を断ち切る事が出来るというのならば、


その逆、


繋ぎ留める事も出来ないはずがない。



きっと、出来る。






「今、自分が何が出来るか。」


ずっと考えてる。


金銭的援助も、


物資的救済も、


素敵な事。


きっと多くの人間が、


この行為によって、


きっと多くの人間の、


「明日」を繋いでいる。



しかし、


その裏では、


まるで弄ぶかのように、


情報を錯乱させる、


影の人間達もいる。



首を絞めてやりたい、本当に。



でも、


どんなに訴えかけても、


涙をながしても、


影の人間は光を嫌う。



その注意力を少しでも、


直面すべき現実の向かう先に、


注いでしまおう、と思った。



影は光によって生まれる、


どんなに光溢れる世界でも、


影は確かに脈を打つのだから。




「基本的ステータス」


さらに加えて、


何か秀でたモノを人間は持つ。


そのギザギザした流れの中で、


「痛み」なんて削りとってしまおう。



各々の肌色で、世界を丸く。


失われる前の、さらにその先の世界へ。



だから、


ウチは「音楽」で何かをしたい。


そのスタートに限りなく近づいている。


もう少し、


もう少しだ。



1人じゃきっと無理だから、


違う世界の、


素晴らしい人間と創り上げていく。



quelyの戯言


最後に、


被災者の方々が無事でありますように。


多くの悲しみに心からご冥福をお祈りします。


1日でも早く笑顔溢れる世界に。


quely

















quelyの戯言

いつからか、


空が空じゃなくなってから、


今が瞬きの間に過去に変換されて、


この上ない贅沢を曖昧な意識的映像として、


荒々しく刻みつける。



それを「幸せ」と呼ぶのか。



誰も知らない苦悩、苦しみは、


表ざたになって、


誰かにわざとらしく伝達して、


始めて「名前」が付くんだろう。



それを「痛み」と呼ぶのか。



身体的拘束を受けているような、


濁った苦しみ。


しばらくの間を得て、


今はあの時の苦しみを、


愛おしくすら感じてしまうのは、



それこそ「記憶」と呼ぶにふさわしい。



誰かが誰かに干渉して、


干からびた感情に水をやるか、


追い打ちをかけて腐敗させるか、


危険な賭け事を楽しむくらいなら、


荒れ果てた荒野を一人歩くのもいいのかもしれない。



それを「孤独」と呼ぶのか。


それを「幸せ」と呼ぶのか。



今は間違いなく、


後者に近い立ち位置で構えている。




quelyの戯言


「文化庁メディア芸術祭」


この前、行ってきました。


当日は雨のように雪が降って、


六本木に着く頃には、


違った世界が少し顔を出していました。


都内屈指の作品達が集まったこの芸術祭。



燦々と光る作品もあれば、


少し燻ってる作品、


視線もやらずに過ぎた作品、


存在意義を上手く理解出来ない作品。


いろいろでした。



本当に芸術の分野は深く、荒々しい。


受け手側の感覚にどう入り込んで、


かすり傷1つでも負わせるか。


やり過ぎると、弾かれる。


遠慮過ぎると、埋もれる。



そのいい按配。


一生かけても紐解けないんやろうな。




世の中はデジタルに汚染されている。


もっともっと製作者の痛み、


葛藤が伝わるような、


あくまでアナログな部分を温存していくべきだと強く思う。


手書きの螺旋美、


絵の具の流線美、


ボルト1本の歪みまで。


触覚と対話して始めて生まれるカタチ。



物と人間の思考の間に、


デジタル信号なんてあまり必要ない。



生々しい作品故、


五感を持っていかれそうになる、


触れたくても触れられない、


そういう距離感。



それは音楽にも言える事。


デジタル信号の中の、


嘘、偽りないアナログ粒子。



作る側の意識も含め、


大切にしていきたいもんです。





人間としての感情、


人間としての言葉、


夏頃、


形となって会えるのを楽しみに。


パー、グー、グー、ピース。


quely



quelyの戯言