テッド・チャン著『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』を読んで | フォノン通信

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☆SF作家テッド・チャンの短篇集『息吹』に収録されている

『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』を読んだ感想をまとめてみたい。

 

★テッド・チャンの作品といえば傑作と評価された『あなたの人生の物語』があるが、この短編集が出版されたのは2003年のことである。

 

そして待望の短編集の『息吹』が出版されたのが2019年である。

 

☆短編集『息吹』に収録されている『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』は短篇というより中篇小説といっていい長さがある。文庫版で176ページある。

 

この作品は、ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞を受賞している。

 

☆以下の記述にはネタバレが含まれています。

これから先入観なしにこの小説を読みたい方は注意してください。

 

★テッド・チャンは、この作品でデジタル生命体である“ディジェント”と人間との交流を描いている。

 

★人間の主人公は、アナ・アルヴァラードとデレク・ブルックス。

 

アナの仕事は、仮想ペットである“ディジェント”の訓練係である。

 

一方、デレクはブルー・ガンマ社のディジェント用のアバターをデザインしているデザイナーである。

 

★デジタル生命体“ディジェント”は、別の用語でいえば「人工生命(ALIFE)」である。

 

ディジェントは、実体はもたず“データ・アース”という仮想環境の中で動作する。

データ・アース上で“生きている”と言ってもいい。

”ディジェント“を動かしているのは人間がプログラミングして出来上がったソフトウェアであるが、高い自律性をもっている。

 

★このディジェントは、ゲノム・エンジンと呼ばれるものを持っているとされているが、このゲノム・エンジンがどういうものなのか具体的な説明がないので想像するしかない。

 

”ディジェント“は、人間と同じように育てていく必要がある。

 

初めは知能がほとんどないゼロの状態である。

 

それを訓練していくことで知能も運動能力も向上していく。

 

もちろん人間と普通に会話できる。

ディジェントは人間との交流の中で成長していく。

 

最終的にはディジェントは、人間と同じくらいのレベルの能力を持つようになる。

 

★デレクが育てているのはマルコとポーロという名のディジェントで、二体のアバターはパンダである。

 

★アナが育てているのはジャックスという名のディジェントでアバターはロボットである。

 

ほとんどのディジェントのアバターは、人間に親しまれやすくするためにパンダや仔ライオンなどの動物であるが、アナが育てているジャックスのアバターだけがロボットである。

 

★ディジェントは物質的な実体はないが、「意識」を持ち、人間のように喜怒哀楽があり、痛みを感じる存在としてテッド・チャンは描いている。

 

★ここには哲学的な問題があると思う。

 

ディジェントが「苦痛」を訴えたとしたら、ディジェントは「本当」に「痛み」を感じて苦しんでいるのだろうか。

 

人間は他の人間の痛みを想像できるが、それがデジタル生命体の「痛み」であるとしたらどう判断すべきなのか。

 

それがバーチャルな世界の出来事であっても痛みを感じているディジェントを想像し、痛みを取り除いてやりたいと思うのではないか。

 

★やがて成長したディジェントの中には法人と認められ、人間の補佐を受けながらも会社を経営するディジェントも現れる。

 

★仮想環境で動作しているデジタル生命体が、現実世界で法人として認められる。

 

そういう未来をテッド・チャンは描いている。

 

★デレクが育てているマルコは、自分も法的な権利が欲しいと言い出す。

 

ここでは人間とディジェントとの葛藤が描かれる。

 

★ディジェントが“生きている“仮想環境のデータ・アースが、運営するブルー・ガンマ社の経営悪化に伴い閉鎖されることが決定してしまう。

 

★しかたなくアンとデレクは、仮想環境・私設データ・アースを作る。

 

しかし私設データ・アースはアンやデレクとほかの仲間たちのディジェントを育てていく仮想環境としてはふさわしくなかった。

 

★データ・アースに代わる仮想環境には“リアル・スペース”があるが、現状ではこの“リアル・スペース”でアンやデレクのディジェントたちが生きていくことはできなかった。

 

なぜならアンとデレクが育てているニューロブラスト型ディジェントは、仮想環境の“リアル・スペース”で走らせるようにプログラムされていなかったからである。

 

★マルコ、ポーロやジャックスたちをリアル・スペースで生かしていくには、ディジェントたちに新たなプログラムを移植してリアル・スペースに適したデジタル生命体に作り直す方法しかなかった。

 

しかし、それには多額の資金が必要だった。

 

★本来はディジェントには性別はないが、プログラムの移植に絡んで出てくる問題が「性」の問題である。

 

アン、デレクたちが資金を調達しようとしていることを聞きつけたバイナリー・ディザイア社が資金の提供を持ちかけてくる。

 

バイナリー・ディザイアは、バーチャルとリアル双方のセックスドールを製造販売している会社である。

 

世の中にはディジェントとセックスをしたいと考えている人もいる。

 

バイナリー・ディザイア社は、ディジェントを教育・訓練して人間との性的な接触ができるようにし、必要とするユーザーに提供することを目論んでいた。

 

そのためにディジェントを提供してくれるならば資金の提供をするというのがバイナリー・ディザイア社の条件だった。

 

★デレクは悩んだ挙句、デレクはバイナリー・ディザイア社との契約書にサインをすることを決意した。

 

ディジェントのマルコはそれに同意した。

 

これでバイナリー・ディザイア社から資金提供されれば他のディジェントもプログラムを移植でき、”リアル・スペース“上で生きていくことができる。

 

★アンは、バイナリー・ディザイア社とは契約せず、ジャックスの成長を見守りながら過ごしていくことを選択した。

 

☆以上、この小説の概要を私流にまとめてみた。

 

★バーチャルな仮想環境の中に存在しているデジタル生命体と人間との交流を描いた『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』は非常に優れた作品であると思う。

 

最近の生成AIの進化を見ていると、人工生命についてもブレークスルーが起こればこの小説に描かれたようなことが近未来に起こっても不思議ではないと思うのである。

 

★僕の評価は星4つの傑作です。 ★★★★☆