新大阪に昼食を食べに行く(大阪府北部地震) | CLAYの日記

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老後の為の忘備録

2018/06/18
22:29
 18日は定例の大阪出張でした。
何時もの通り娘と同じ電車に乗って隣に座り、後ろ髪を引かれる思いで米原駅で別れる。
娘は迷惑だろうね(笑)…そして新幹線に乗る。
京都を出て加速し始めたところで急に減速…ん?
と思ったら激しい横揺れで新幹線は停止、照明も落ちて非常電源に切り替わる。
いやぁ~、新幹線がこんなに揺れるなんてかなり大きな地震かな?
その後程なくして携帯電話のアラートが鳴り響く。
 

 昼までは復旧不可とのアナウンスだったので、4時間閉じ込め。
社内の安否確認システムに加えて関係各所や家族の安全確認で小一時間。
ひと息ついてトイレ済ませて次は飲み物の確保か。。。
近くの二十歳くらいのお嬢さんがペットボトル持ってたので「車内に売ってるのか?」と聞いたら違うと。
調べると700系には自販機は無いらしい。
今度からペットボトルくらいは常備して電車に乗らないと駄目かなぁ。
動き出したのは12時40分くらいか?
この時点でもう一度会社に連絡入れると「今日はもう来なくて良い」とのこと。
新大阪で降りたらごった返してた。
 

 ホームの閉店してたkioskの惨状が酷さを物語るね。
やはり自販機は大事だね。
 

 こうなったら仕方ない、13時半になってたので先ずは腹ごしらえ。
地下の食堂街に入ると殆ど閉まってた。
 

 張り紙見ると地震の影響だと。
そりゃそうか…どうも自分自身の危機管理が甘いね。
 

 とにかく歩いて開いてた店に入る。
「お前、普通やったら行かんやろ?」と言う、草臥れたオッちゃんには不似合いなお洒落なワインバルでランチ。
当たり前だけど、酒は呑まないよ。
パシオン・エ・ナチュールと言うお店。
客層は若い女性ばかりで、皆さんスマホで写真撮ってた。
私は安いコンデジで撮る(笑)
 

 後はとんぼ返りだ。
夜の指定を直近のに変更することができた。
そして改札を通ると、それは自由席だった…成る程、非常時はそういう仕組みなのか。
 

 そして待つこと小一時間。
直近3本はのぞみだった。
こういう時はとにかく来たのに乗って行ける所まで行くのが定石。
京都で降りてまた小一時間待つ。
大阪では出てこなかったひかりが来る。
 

 そして米原到着が15時40分くらい。
在来線は全て運転見合わせ。
 

 それでも17時には復旧との事なので、この際待つか。
ホームで待ってる電車、開けてくれないだろうか。
 

 そして17時前にもう一度確認すると運転再開は19時にズレてた。
会社の後輩の退社時にピックアップして貰おうか。
…と思ってたら家内から連絡が来て迎えに来て貰えると。
久しぶりに愛情を感じた(笑)
駅前は迎えの車で一杯なので、道路まで出て待つ。
 

 18時半前に帰宅。
琵琶湖線の運転再開は22時に延びてた。
次男は早々に同級生に送って貰い、娘も21時頃に帰宅。
この後本震と言う予測もあるし、どうだろ。
まあ破滅的なのはもうどうしようも無いとして、半日程度閉じ込められても大丈夫なように飲み物とおやつくらいは鞄に入れようかな。

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6月21日追記
 新幹線の特急料金は往復共返金されてた。
やはり帰りの分を指定予約したのが良かったのかな?