千一夜語り第一夜:なぜこの世界に足を踏み入れてしまったのか | CLAYの日記

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老後の為の忘備録

2001年08月19日
 ネタも切れてきたので、いよいよジジィの繰言として恒例(?)の千一夜物語をしようかと思います(笑)。
ただ、寮生活をしていた1985年春までは、「年に2回の部屋替え」という悪習の為、膨大な書籍や資料の移動にネを上げて、殆どを処分してしまっており、現存していません。
非常に残念です。資料が集まり次第逐次改定していくつもりです。

前々夜(~1977年)
 「ゲジゲシみたいな巨大なICがあるんやでぇ、知ってるか!?」と悪友のF君が言っていた言葉を今も覚えています。
これがどうやら初期のCPUであったのではと後日思ったのですが、アマチュア無線と真空管ラジオ製作に勤しんでいた”チュー坊”の自分には縁遠い話でした。
今も残る夢の跡
 
 
主なCPUチップの流れ
 
 
前夜(1978年~1980年)
 田舎から大阪に出て、企業のアマチュア無線クラブにモグリで入部させて貰い、ここで初めて「パーソナルコンピュータ」に第二種接近遭遇。
部員のエンジニアが組み立てた「CompoBS80」というNEC製のパソコンで「ドライブゲーム」を堪能する。
 
 これは1975年に発売されたi8080プロセッサの国内普及を図るため、NECが発売したトレーニングキット「TK-80」(シンプルな名前…)を、「Basic Station」というビデオ、フルキーボードのインターフェース等を備えた筐体に組み込むことにより、「パソコン」として動作するものでした。
 
 「動作させるためにはプログラミング技術が必要であった…」などという聞いたような話ではなく、それ以前にキットである為、組み立てて動作させるというのが既に至難の業でした。
(これは”完全キット”でまだマシであり、日本橋には”ローズキット”(死語!)のAppleⅡ基板(モチ海賊版)なんてのもありました)
今のAT互換機の”自作”ではなく、山のような部品を手半田するという気が狂いそうな内容で、動作した後もトラブルに悩まされるのが常でした。

 事実、私が遊んでいた最中にもオーバーヒートでブラックアウトし、件の部員は焦っておりました。
「あー、こんなのも良いなぁ」と漠然と思ったのですが、目の玉飛び出るような金額を聞いて、当時学生だった私はまたセッセとアマチュア無線を楽しんだのでした。。。
「CompoBS80」の写真が無いので、「AppleⅡ」でご勘弁(笑)
アップル社製で当時のベストセラー機。
 

現在あるアクション・シミュレーション・ロールプレイング・ペット育成等の全てのゲームの基本が当時既にここにありました。
最古の表計算ソフト「BisiCalc」もこの上で動作しました。
何でそんなに良く知ってるかって? 後年通った夜学でちょくちょく授業をサボり、部室にあったAppleⅡで鬼のようにゲームをして遊んだからです!

 この後Apple社は「LISA」と言う超先進的なマシンを出したものの、値段が高すぎ(¥200万以上!)て全然売れず、慌てて「Macintosh」を発売、倒産を免れました。
 

黎明期(1981年~1985年)
 就職して初任給を貰い、その足で給料袋を手にパソコンを買いに走りました。
当時勢力を二分していたのがNECの「PC8001」とSHARPの「MZ-80」でした。
「ソフトウェアではなくハードウェアをやりたい!」という強烈な思いがあり、お店(京阪電車の「香里園」駅近の「ニノミヤ無線」今はどうなっているのやら)の人に勧められて「MZ-80B」という機種を購入しました。
 全てローン、その後もプリンターやらオシロスコープやらと、ローンの絶える時がありませんでした。
「次はこれが出ます!乞う御期待!!」なんて広告が出る割には、ものになった周辺機器は少なく、出てもメチャ高。
結局プリンターは精工舎のEP-80(だったと思う)で、I/Oポートの自作を皮切りに、EP-ROMライタ、これを元に開発環境のROM化(当時はシステムを毎回数分掛けて読み込んだ)等を行い、着々と現状を留めなくなっていきました(笑)
最終形態として「CP/M」(MS-DOSの8bit版みたいなもの)を移植しようと、自作インターフェースにジャンク品の8インチFDDを繋いで、BIOSの製作中に本体がオシャカになりました。
現存しないので、当時の広告からスキャンしました
 

 MZ-80Bのスペック
  CPU:Z80A(4MHz)もちろん8Bitです。
  RAM:64KB
  CRT:内蔵10インチ、グリーン
  表示文字数:40桁×25行又は80桁×25行
           (グラフィクスボード別売)
  K/B:今風に言えば92キー
  外部記憶:電磁メカカセットデッキ内蔵(2,000ボー)
  OS:ベーシックインタプリタをカセットテープで供給
  価格:¥278,000
※今で言うオールインワンタイプです。機械自体は好きでした。
 性能はトータルスペックで言うと、2001年型ハイエンドパソコンの1/10,000位じゃないかな?
 ベース形成期の技術力のかなりをこれで養いました。
 NEC製に比べ機械自体がシンプルだったのと、メーカーの誇大広告を待ってると何時まで経っても物が出ないので、殆どの周辺機器について自作を余儀なくされた結果です(笑)←今だからこそ笑える。
当時の殆どのパソコンに搭載された8bitマイコンの王者Zilog社製「Z80」!!
 

 メーカー名の「Zilog」というのは「インテル製ロジックの決定版」という意味。
因みに「Intel」は「Integrated Electronics」の略。
Intel社をやめた技術者達が作った会社が「Zilog」。
Intel式のニーモニックコードはタイプ数が少なくてすむ等良く考えられていたが、Zilog式の方が簡単で直ぐに覚えられた。
写真の一番上はZilogオリジナルのZ80-CPU。(40PinのDIP)
2番目はSHARPのセカンドソース品
3番目は同じくS社のZ80-PIO(パラレルI/O)
4番目は同じくS社のZ80-SIO(シリアルI/O)
一番下は同じくS社のZ80-CTC(カウンター、タイマー)
 というように、Z80シリーズとしてのペリフェラル(周辺チップ)が揃えられていたが、8255、8253等Intelの80ファミリーを使うことが多かった。
 当時Intel社を旗手とする「80系」とMotorolla社の「68系」の2系統があった。
「68系」の方が洗練されていて良いと言われたが、当時から現在に至るまで、こちらが優位にたったことはない。
産業用は80系一色で、私もi8085やZ80をよく使いました。

MZ-80Bが壊れたのを機会に16bit機(PC9801VX21)を購入することになり、ビジネス機としての可能性に目が行き、以降自作熱の方は急速に醒めていくことになります。
 また、MZ-80Bを買った後、TK-80へのノスタルジックからこれを入手しようとしたのでが、当時既にTK-85にモデルチェンジされており、これを買い求めました。
これを元に自作のワンボードマイコンを幾つか作りました。
TK-85も含め、当時の自作マイコンも残して置けばよかったと悔やんでます。
買っていないのに何故か我が家にあるPC8001
 

 機械自体はこちらの方がカスタムチップが多く、初心者がパソコンの仕組みを理解するのは難しかった。
 MZシリーズが煩雑にモデルチェンジしたのに比べ、こちらはロングセラー機で、後年には製作記事も多かった。
今考えるとやはり元々汎用コンピュータのメーカーだけあり、こちらの方が良く考えて作られていたと思います。
因みに次のモデルの初期型PC8801も我が家にあります。
古くなって捨てるときに、皆が私に恵んでくれたのです(笑