家庭の事情があり、15年間住んだ京阪神地区から滋賀県の実家に戻ることになりました。
1993年春のことです。
バブルは弾けまくってましたが、幸い京都に持っていたマンションも”軽症”程度で処分できたので、翌年には新たにローンを組んで、子供部屋や駐車場等の住環境の整備をすることにしました。
でも部屋割りをすると、世間のご多分に漏れず自分の部屋が取れない…物置の一角を区切って2畳の書斎を確保できましたが、こんなコクピットのようなところでは物も満足に置けない。。。
とは言え、土地だけは只同然で余りまくっている田舎、亡父が建てた以前住んでいた家や農作業場もあるので、全体の工事と一緒に、離れに自分だけのホビールームを作る(作ってもらう)ことにしました。
建築物を増やすことはしたくないので、旧家(軸組み工法)か農作業場(鉄骨トタン張り)のどちらかを改造することにしました。
屋根に登ってアンテナ立てたり、部屋で作業することを考えると、瓦屋根(傾斜)に畳よりも、鉄板屋根(フラット)に床の方が良いので、農作業場の二階部分に作ることにしました。
工務店の人に頼むと、「正気ですか?ここって夏は暑いし、冬は寒いし、人間は住めないですよ!」と言われてしまった(笑)
元より”住む”気はないので、「取り敢えずなんでも良いから部屋にして。格安でね!」ということで、全体工事に紛れ込ませて部屋を作ることにしました。
どーせローンだ、なんとかなるさ。
ところが、長年ほったらかしにされていたため、中は凄まじい荒れ具合で床が見えない。
江戸時代や明治時代の訳判らない物品が山積されていて、トラさん八っさんの時代劇の長屋に出てくるような布団の上にはイタチの糞が天弧盛り。。
「売れば金になる」とも言われたけれど、えーい!面倒だ!!捨ててしまえぇぇ!!!
乗用車しか持っていないので、これにゴミを満載して何度も産廃処分場を往復して、ようやく整理をつけました。
下左写真で吹き抜けになっている部分から向こうが部屋になります。
間取りは上右の通りで、ホビールームは3間×2間=6坪(12畳)となります。
やや狭い感じがするので、通路部分まで取ってL字型というのも考えたのですが、オーソドックスではないのでこれで我慢することにします。
棚などを作り付けにするとまた無駄な面積が出そうだし、費用も嵩むのでベタで部屋にすることにします。
ついでに反対側に仕切りをつけて物置にして、現在の物を整理して、自分の物も死蔵品はここに退避させる。
1994年の正月に工務店に母屋も含めて全ての工事の依頼に行きましたが、何分昔気質の大工さんで、着工は秋とのこと。
ついでに「あんた、電気工事が出来るんなら、自分でやんなはれ。安うつきまっせ!」と言われてしまった。。。
どうせ外部のどこかの電気屋さんに頼むんだろうし、下手なことされて腹が立つよりマシかと(笑)
それと、当時ISDN配線を町の電気工事屋さんが理解しているか疑問だった(というよりも、免許を持っているのか?)のと、使うかどうか判らない冗長配線にお金を払うのが勿体無かったので、この際自分で好きなようにやることにしました。
そんなわけで、春から夏は母屋の電気工事(含電話、TV)に忙殺されました。
ここまでやって、ホビールームの方はお任せというわけにもいかないので、こちらも当然自分で配線することになりますね。
大分気力がなくなってきたんだけど(笑)、下図の通り母屋の配線に比べれば子供遊び程度の僅かな作業量なので、残暑の中焼けた屋根裏をせっせと配線しました。
でも、木造と違って鉄骨だと、ネジ一つにも下穴あけてタッピングと、非常に労力が必要。
暑い中汗をたらして、更に熱い切子で腕に沢山焼けどをしながら配線作業をしました。
それでも電灯線(15A×1)と電話線は既に来ていたので、これに追加ということで、一番面倒くさい引き込みをしなくて済んだのは助かりました。
部屋の造作は秋から工事に入りましたが、母屋とは別の大工さんがきました。
この人、母屋の方を担当してくれている人よりも年配なのですが、仕事は滅茶苦茶速くてしかも雑!(笑)
まあ母屋の方は念入りにやってくれていて、こちらはスピードと費用重視でさっさとやってくれているので結果的には助かりましたが…
入って左側
完成した部屋の入口
入って右側
完成した状態は上の写真の通りです。
費用を浮かせるために、クロスが不要なベニア板にしました。
作りとしては安っぽいですが、クロス張りよりも丈夫だし自分自身あまり気にならない性質なので十分です。
壁と天井には50mmのグラスウールを入れてもらいました。
天井裏が極端に浅い(50cm程度)なのと、天井の断熱材が50mmでは薄くて不安だったのですが、まあこんなものかと。
部屋に入る吹き抜け部分は危ないので手摺りをつけてもらいましたが、上部にホイスト(hoist)があるので、手前のは着脱式になっています。
部屋の中の物で、新しく買ったのは本棚だけです。セール¥2,980があったので、7つ買い揃えて組立てました。
たまたま壁面に7つぴったり入っただけで、実際には蔵書を全て収容できずに、前後2列に置いたりして結構苦労して押し込んでます(笑)
これ以外、写真に写っているもの全てが元からの在り物です。
古いところでは、小学校の入学時に買ってもらった学習机や、旧家で使っていた水屋、照明器具。
後は私も含めて兄弟3人が皆一人暮らしをしていたので、使わなくなっていた遊休品です。
テーブル、ソファベッド、応接セット、カーテン、冷蔵庫、電子レンジ、オーブン、上敷き、時計など等、全てが立派に動いています。
水周りが来ていれば、完璧に住めます。
でも、流石に寒暖の差が大きく、夏は50℃、冬は氷点下になり、置いておいたビデオデッキが壊れてしまいました(爆)
ということで、精密機械物は置かないように気をつけることにしました…と言っても、パソコンはありますが、こちらは何故か大丈夫なようです。
ダイレクトドライブだからだろうか。。。
中身が出来たので、1994年が暮れるまでにTVのアンテナ、アマチュア無線のアンテナを建てました。
当初15mのタワーを建てようと考えたのですが、撤去が面倒なのと、そこまでして楽しむかというところに疑問を感じ(実際2,3年しか持たなかった…)、自分一人で面倒見られる程度のものに落ち着きました。
無線機はHF帯のを中古で、144/430MHz帯のを10W機処分セールの折り(25Wに法改正された時)に買い揃え、アンテナなどを含めて一式¥15万程度で整備しました。
屋根馬はTV用ではなく、アマチュア無線用で、マスト径はφ35を使用しています。
10W電信の21MHzで、マーシャル諸島とQSOできたのが最長記録でした。
元々が自作派で、交信すること自体にはあまり興味がないので、今は休止状態となっていることを考えると、当初安いと感じた投資も結構高くついたように感じます(笑)
その後工廠の整備・拡充(元々亡父の遺産があり、工具類は豊富)、発着が楽なように小型のスクーター(Axis90)の購入、ブロードバンドに対応したLAN回線の引き込みなど、着々と進展を見せ、現在のような状態となっています。
活用状況はほぼ週末のみで、平日は殆ど使用せず(ほぼ予定通り)、週末の夜の憩いの空間です。
散らかし放題の子供部屋みたいで、子供の頃は親に怒られて仕方なく部屋の掃除もしていましたが、今では家内も母親も諦めて黙って掃除をしてくれています(笑)
費用は母屋の工事と合わせて行ったのであまり細かいことは判りませんが、どうやら¥50万程度のようです。
独立して立てると、半分の6畳間のものでもこの程度はしてしまいますので、2階部分にある「樹上の隠れ家」的安心感も考えると安いでしょう…きっと。