失敗した大いなる実験 | セカンドバースからの道しるべ

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先日、黒川伊保子さんの著書 【英雄の書】を読みながら、

子どものときの自分の行動を思い出していた。

 

 

失敗の章に、

 

その感性を研ぎ澄ます2歳児は、

オトナから見たら、とんでもない「失敗」と「いたずら」を繰り返す。

 

例として、

 

ミルクのコップを倒す、ティッシュボックスからティッシュを引きだす、、、

「おおいなる実験」なのである とあった。

 

 

 

似ているイメージの写真です。

 

 

母方の祖父母の家で、コタツの線を電源に差し込むとき、

プラグが一瞬光ったびっくり

 

 

当時、確か4歳か5歳だったと思う。

 

 

ゆっくり差し込むと、

コンセントの二口刃受の間に薄い黄色い光がハッキリ見えた。

 

 

何度も繰り返した後、

ヒカリに触れてみると、どう感じるだろう、、、

感触はどんなんやろう?

 

 

人差し指を二口の真ん中に置き、ゆっくり、、、ポーン

 

 

ビリッっと、痛っ!!! 思わずコンセントを離した。

だいぶ痛くて、びっくりしたーー!!!

※危ないですので、マネをされませんよう

 

 

 

 

後から祖父母の家に来た姉に話すと、

「アホやなー、痛いに決まってるやん」っと一喝、あきれ顔で笑われた。

 

 

ヒカリの掴み具合 ってどんな感触か分からんかったから、、、という実験の理由。

”感電”という、身の危険が分からなかったときの 失敗 という体感で掴んでいた。

 

 

姉の言う通りだ、

やってみないと分からなかった、アホ。

 

 

子どもの頃の記憶の中で ”瞬時の痛い体感”歴第1位で、

注射を大きく引き離している。

 

 

異なる痛みはその後たくさん体験してきたけれど、

ベースは、「やってみないと分からない」。

 

 

何度も失敗して分かっていった仕事の方が、

身につき忘れない。

 

 

それに、いつでも遅くはない、

成し遂げるまでやればいいのだから。

 

 

諦めてきたことがいくつもある私だったが、

自分を知ること、いくつになっていても遅くはない と思う。

 

 

「諦めない」 それを、SBFで学んだ。