皆さま

お金や物に対する欲求について、「欲しがることは悪いことか」「他者への奉仕が本当に善か」と考えたことはないでしょうか。

 

今回は、東洋の伝統霊性の視点から、このテーマについて具体例を交えながら探っていきたいと思います。

 

ここで扱う「自然欲」の概念とは、必要なものを自然な形で求め、無理に多くを求めない心のあり方です。

日々の生活で自分が本当に必要とするものにフォーカスし、過度な執着を避けることで、心に安定と満足をもたらします。

たとえば、生活に必要なだけのお金や物を手に入れ、それに感謝することで心が穏やかになるのです。

奉仕の精神も美しいものですが、無理に自己犠牲を強いることが過ぎると、かえって自分を消耗させてしまいます。

自然欲の概念では、まず自分を整え、心身のバランスを保つことで、周囲にも良い影響を与えられると考えます。

 

ヨーガ哲学における欲望の種類とその影響

ヨーガ哲学では、欲望は人間の成長や精神的な進化に影響を与えると考えられています。特に、身体の中には3つの「グランティ(結節)」が存在し、それぞれが異なる欲望や執着と関連しています。

ブラフマ・グランティ・・・食欲、性欲、富への欲望など、基本的な生存欲求に関連している。これらの欲望が強すぎると、利己的な行動や恐怖心を生み出す可能性がある。

ヴィシュヌ・グランティ・・・社会的地位や名誉、他者からの承認欲求など、感情的な欲望と関連している。過度な執着は、野心的な行動や他者への過剰な依存を引き起こすことがある。

ルドラ・グランティ・・・知的欲求や精神的な達成感に関連している。高い知性やスピリチュアルな経験への執着が強まると、自己中心的な態度や独断的な行動を招くことがある。

これらの欲望は、人間として生きる上で必要なものですが、過度な執着や固執は心のバランスを崩し、苦しみの原因となります。ヨガの実践を通じて、これらのグランティを解消し、エネルギーの流れをスムーズにすることが目指されています。

 


老子の「無為自然」との関連性

老子の「無為自然」は、物事を無理に操ろうとせず、自然の流れに従うことを大切にする思想です。

 

これは、宇宙や自然との調和を保ちながら、あるがままに生きる姿勢を指し、道教の基盤となる考え方でもあります。

 

お金や物に対する欲求も、無理に手に入れようとせず、必要な範囲で自然に満たすことが理想的とされます。

 

無為自然に従えば、心が静まり、物や状況への過剰な執着を捨てて穏やかに生きることができます。

 

例えば、家の中に物を増やしすぎず、必要なものだけを持ち、それらに感謝することは、無為自然の実践でもあります。自然欲に基づいた生活をすることで、心が穏やかで、無理のない充実感を味わえるのです。



仏教の「執着しない心」

仏教では「執着を捨てる」ことが苦しみを減らすための鍵とされています。仏教的な「諦念」は、物事をあるがままに受け入れ、執着を持たない心の在り方を表します。

 

この姿勢は、自然欲に基づいた生き方と調和しています。自然欲とは、必要なものを必要なだけ求め、過度な執着をせずに満足を感じる心です。

 

仏教の「中道」すなわち極端を避ける教えと同様に、自然欲もまた、欲望に振り回されず穏やかで調和の取れた生活をもたらしてくれます。

 

たとえば、月々の収入が生活に十分であるならば、それに感謝し、無理にもっと稼ごうと焦るのではなく、今あるものに満足することで心が安定します。自然欲を実践すると、心の静けさが得られ、満ち足りた感覚を持てるようになります。



神道の「清き明き心」

日本の神道においては、自然との調和が重んじられます。神道では、私たちは自然の一部であり、万物には神々(八百万の神)が宿るとされています。

 

神道で重要視される「清き明き心(きよきあききこころ)」(清明心)とは、純粋で曇りのない心であり、執着や欲望によって心が濁らないようにすることが理想とされています。

 

 

お金や物を持つこと自体は悪いことではありませんが、それに過剰な執着や利己的な欲を抱くことが、清らかさを失わせる原因となります。

 

神道の概念に基づくと、必要なものだけを自然な形で受け取り、感謝することで、心が清らかで明るく保たれます。

 

例えば、毎日使っている物への感謝の気持ちも、自然欲の実践の一環です。お茶碗やタオル、仕事道具など、普段使っている物に「ありがとう」と感じることで、物に対する執着や不満が軽減され、今あるものへの感謝が深まります。こうして心を清めておくと、心身ともに余裕が生まれ、自然と穏やかな気持ちで過ごすことができます。

 

「清き明き心」(きよきあかきこころ)は、古代日本において尊ばれた心の在り方を指す言葉です。これは、うそ偽りのない、何も包み隠さず、つくろい飾るところのない心、すなわち誠実で純粋な心を意味します。 

この概念は、日本の伝統的な倫理観に深く根ざしています。例えば、神道では、神々はありのままの心を愛でるとされ、「清き明き心」は「正直」や「誠」の起源とも考えられています。 

また、『万葉集』などの古典文学にも「清き明き心」を表現した詩が見られます。これらの詩では、自然の清らかさや人間の純粋な心情が詠まれています。 

このように、「清き明き心」は日本の文化や思想において、誠実さや純粋さを象徴する重要な概念として受け継がれています。
 

 

自然欲に基づいた生活の具体例

自然欲を実践するためには、身の回りにあるものや生活の必要を見極め、感謝しながら過ごすことが大切です。

 

たとえば、家計簿をつけて「今月はこれだけで十分だ」と満足することや、物を大切に扱い、必要なものだけを持つことも自然欲の実践です。

また、自然欲に基づく生活では、過剰な所有欲を手放し、自分にとって本当に必要なものを見極めることが重要です。

 

例えば、新しい服や物を買うときも「これは今の自分に本当に必要か?」と問いかけてみましょう。

 

この姿勢は、過剰な買い物や無駄遣いを防ぎ、心を穏やかに保つ手助けとなります。

 

自然欲に基づいた生活を送るためには、日常の中で以下のような実践が効果的です。

1.必要なものを見極める

 

新しい物を購入する際、「本当に必要か?」と自問し、必要なものだけを選ぶことで、無駄な消費を抑えられます。

2.感謝の心を持つ

 

既に持っている物や環境に感謝することで、過度な欲望を抑え、心の満足感を高めることができます。

3.自然との調和を意識する

 

自然環境を大切にし、無理のない生活を心がけることで、心身のバランスが整います。

4.他者との調和を大切にする

 

他者への思いやりを持ち、無理のない範囲で助け合うことで、社会的な調和が生まれます。

 

 

日本的な霊性のコアとなる要素に、物質主義からの解放があげられます。

 

これは無心、足るを知る、精神性を重視することに他ならず、常により多くのものを求め、所有し、消費し続けることが美徳とされる現代の風潮の対極にある意識の有り様です。

 

いくら貪っても、一向に満足できず、ますます強欲や貪欲さを強めていくことで、「自分が得たものを失うこと」への不安や恐怖から逃れられないようになっている人も見受けられます。

結局のところ、自然欲に基づいた生活を送ることで、私たちは心の豊かさを育むことができるわけです。

 

無理なく、必要なものだけを求めることで、過剰な欲望に振り回されることなく、心の平安と調和を感じられるでしょう。

皆さまも、自然欲に基づき、今あるものに感謝しながら、心豊かで穏やかな日々を過ごしてください。

 

小さな感謝を積み重ねることで、自然と心が満たされ、周囲との調和も生まれてくるはずです。

 

過度な物質主義や消費主義から離れ、心の平安や調和を求める生き方として参考になれば幸いに存じます。


 

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