皆さま

 

今では知っている人も少ないとは思いますが、四国と言えば憑き物信仰が幅を利かせていて、とりわけ犬神憑きについては根強いものがありました。

 

今回は、憑き物信仰との関係の深い神社に参拝したときの記録を公開いたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

賢見神社

所在地:徳島県三好市山城町寺野113

祭神:主祭神…素戔鳴尊、応神天皇; 奥社他 大奥行場…大天狗・山の神・水の神・荒神・不勲尊他、多くの神々を祀る。

 



 

由緒:仁賢天皇の三度午年九月(五世紀末)と神社明細帳に記されるも、定かではない。 明治二十一年に本殿他を、昭和五十年幣殿・拝殿を改築。平成九年絵馬殿 平成十年社務所を新築。絵馬殿内には赤穂浪士等の絵馬が掲げられている。家内安全、交通安全、邪気退散(犬神つき等)病気平癒に霊験あらたかと云われている。静寂な神前に独特な祝詞・金弊の鈴の音が響く。毎日お詣り(月詣り)の方も多し、土・日・祝日は多くの方で賑わう。


 

私たちが現地に行って情報を収集してみると、この神社は「憑き物落とし」、特に犬神憑きのご祈祷で地元では有名な神社です。

 

徳島県西部の山深い場所に賢見神社はある

 

 

今ではこの点をあまり強調していない様子ですが、巫師界隈では昔から犬神憑きを解除する祈祷で有名なところでした。

 

賢見神社の社殿 ご神紋は丸に二本の交差した剣

 

具体的には、動物霊に憑依された人を神社内の宿泊施設に泊まってもらい、一定期間ご祈祷をすることもあると宮司様から伺っています。

 

この神社の祈祷の祭に奏上される祝詞は、独特の発声法とイントネーションがあり、日本語として認識できないフレーズも含まれています。

 

拝殿内部 ここでご祈祷が行われる。祭壇に多くの供物が供えられていた。
 

 

加持祈祷の仕事に関わっている私たちとしても、非常に興味を惹かれる神社です。


動物霊に憑依される、あるいは動物霊を相手に憑けるということは、神道や仏教などの伝統霊性が扱ってきたものです。

 

これを憑霊信仰と言います。

 

動物憑きについては、2のタイプがあります。

1.憑き物「使い」……憑き物行者こそが憑き物筋であり,憑き物落としはすなわち憑き物使いであると信じられていた。東北,九州に多い信仰。行者は動物霊を召喚し,これを操作して,相手に憑けたり,落としたりする。
 

2.憑き物「持ち」……動物霊が代々家に憑いており,その家に所属する人に憑くと信じられていた。その家の人から恨まれたり,妬まれたりすると,自動的,無意識的に動物霊が飛んでいって相手にも憑いて害をなすという信仰。中国,四国地方はこのパターンが多い。それが社会的差別の源泉となった。


 

犬神憑きの症状については、いくつか文献が残されています。

 

17世紀の「伽婢子」(おとぎぼうこ)によれば,犬神憑きの症状として、

1.高熱が続く。


2.錐で刺されたり刀で切られるように胸が痛む
 

3.この病を癒すには,犬神を飛ばした相手を捜し求めて,相手のほしがるものを何でもよいから与える必要がある。
 

4.さもなくば,病は続き,最後には死に至る。

との記述が残っています。

また,日本民俗学辞典に所収の「土佐国淵岳誌」には
 

1.痛風のように関節痛がひどくなる。


2.高熱が出る。
 

3.うわごとを口走る。

との記述も残っています。

石塚尊俊氏の「日本の憑きもの」によれば、概して東日本はクダ・オサキ・イヅナの地盤であり、また西日本でも、山陰はトウビョウ狐や人狐、西日本はヤコ、瀬戸内は蛇のトウビョウの繁栄地であるから、犬神としてはやはり四国をもって本拠とすべきであろうと述べています。

 

 

 

 

そうした中でも徳島県は特に犬神憑きの甚だしい地域の一つでした。
 

さらに言うと、四国では土佐の長曽我部氏が領内の犬神「使い」と「持ち」を徹底的に調べ上げ、これを死刑に処したばかりか、一家までも根絶するという大弾圧政策をとっています。

 

それでも、その追っ手から逃れて山間部に逃げ込み、かくまってもらったという言い伝えを私たちは聞いています。弾圧から逃れて生き残った犬神筋の人々の子孫が今でも暮らしている場所も知ってます。

 

どこにあるとは言いません。詮索好きな人たちが荒らしてもらっては困りますので。

 



少なくとも昔の人々は,動物霊に対しては「カミ」として畏敬の念をもって接していたのです。

 

自然や動植物にも霊魂が宿っているとする原始のアニミズムから憑き物信仰は生じています。

 

動物霊も正しく祀れば家の守護神になるし、邪心を以て使役すれば呪詛の手段にもなるのです。

 

要は人間の心の状態で如何様にでも変幻してしまうのが、動物霊がもっている性質です。

 

 

そのような憑霊信仰も、明治以降は迷信の一種とされるようになり、高知県出身の精神医学者が「祈祷性精神病」という病名で撲滅を図ろうとしました。

 

 

 

 

 

とは言うものの、精神疾患と霊的危機(Spiritual Emergency)との違いはあります。それを区別して見ることは可能です。

 


賢見神社に参拝に行ったときの話に戻ります。

 

私たちが訪れたときには、境内に入るところに飼い犬がいました。他の参拝客に対しては尻尾を振って出迎えていましたが、私たちが境内に入ろうとすると、急にけたたましく吠え始めたのです。

 

参拝が終わって帰るときにも同じ調子でした。

 

 

どうやら、この犬は憑いているモノを感知する「センサー犬」の役割を担っているようです。

 

だって、巫師には必ず「何かが憑いている」のですから……。

 

 

犬も猫も霊的な感受性の強い動物です。今時の人間が鈍感なだけですが。

 

 


拝殿で参拝の後、周囲の建物を眺めていると、多くの犬を眷属として引き連れた神の絵が飾られていました。

 

 

この神様がおそらくこの神社の事実上の主祭神なのでしょう。


周囲は険しい山に囲まれた地域にあり、私たちが参拝したときには人も少なく、静寂の中で拝むことができたのは幸いでした。



参考文献


(1)石塚尊俊 「日本の憑きもの-俗信は今も生きている」(復刊)未來社,1999 
注.初版は1959年である。


(2)中山太郎 (編著)「日本民俗学辞典」(増補版)パルトス社,1998
注.初版は1933年、昭和書房から出版されている。

 

(3)松田修・渡辺守邦・花田富二夫 (校注)「伽婢子(おとぎぼうこ)」 岩波書店,2001

 

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