皆さま

 

再び舞台を地元、四国松山に戻します。日本の憑霊信仰の中でも狸にまつわる神社のお話です。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

大宮八幡神社
 

所在地:愛媛県松山市久谷町上野町
 

祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、武内大臣、豊玉姫命、他三柱
 

由緒:もと窪野村にあり、社領三千石を有した。土岐頼政が祈願して社をこの地に建て、社地八町四方に桜千本を植えたという。古来芸州厳島神社と深い関係があると言われ、当社の神主は厳島神社に参向し御衣を拝して帰り、七月朔日より七日間更衣の神事を執行したという。(「神社名鑑 下巻」より)





地元松山の人にとっては、ここは伊予狸信仰の地としても知られています。伊予狸信仰は江戸時代から昭和の初期までは大流行しましたが、今ではすっかり廃れてしまいました。

 

松山の人々の心の中からも、お狸様のことは忘れ去られてしまったのでしょうか。

 

いいえ。今でもお狸様を信仰している人々のお世話で、しっかり受け継がれている場所も松山にはまだまだ残っています。

 

その1つが大宮八幡神社にお祀りされている金平狸です。

 

大宮八幡神社の楼門

 

拝殿

 

 

その由緒は以下の通りです。
 
恵原の金平狸は、この大きなビヤクシンに鎮座している有名な狸のことである。金平は男狸で、彼はインテリで字が読めソロバン上手の学者狸で、それに感心なことに家主大宮八幡の宮司大西家の代々に対し絶対服従のお使い狸として評判が高く、また主神思いのほか恵原の人々にも常に親切で迷い子の世話、病人の使い、老人をいたわる心のやさしい狸であったから大明神の位を得て、今でも人々の信仰を集め、このように立派なお堂やお籠堂まである。法名を金森大明神という。

(境内の由緒書きより)
 
 

大宮八幡神社は強い神霊エネルギーにあふれている場所です。拝殿で参拝を済ませてから、社殿左にある金平狸のお籠もり堂に向かいました。 

 

金平狸の鳥居とお籠もり堂


 

大宮八幡神社は、今でもご眷族様であるお狸様の気配をはっきりと感じることができる神社です。

 

金平狸のお堂の内部 ここで神籤が降りた

 

 

八幡神社と言えば、鳩が本来神さまのお使いになっているのですが、狸信仰の地は神社だったりお寺だったり、特定の神仏のお使いという位置付けにはなっていません。

 

お狸さまだけでお祀りされているところも多いです。

 

――――

 

ここで、社寺への巡礼に際して、私たちが気をつけていることについてお話しします。これは四国の巫師たちには共有されている構え、鉄則のようなモノです。

 

 

巡礼に際して人の噂や風評は当てにしません。

 

外見のきらびやかさに惑わされて、その神社、寺院の霊的な作用について見当違いの判断を下してしまうこともありますし、先入観にとらわれて、正しい判断ができなくなってしまうこともあるからです。たとえ、その場所に岩が一つだけしか置いてなくても、その岩にものすごいエネルギーがこもっていることもあります。
 

よく、みんながあそこは素晴らしいところだから、というので自分も行ってみたら、何にも感じなかったとします。でも、何も感じなかったのは、その場所の「波動」が悪いのではなく、自分に関係(縁)がなかったり、感じとる力がなかったり、自分の意識状態とずれているために分からないのです。

 

その場所と合う、合わないは人によって違います。だから、余分な情報を仕込まずに、自分の感覚、自分の心の眼でその場所の雰囲気を感じてみればいいのです。


特に霊的な分野で仕事をしたり、信仰をもっている人の場合、ある場所に行けば、必ず誰でも波動を感じることができる場所も存在します。そこへ行っても何も分からない、感じないのは、それが自分に合わないためではなく、霊的な感受性や霊力がないためです。
 

本当はものすごく浄化作用のある神社、寺院なのにもかかわらず、あそこに行って気分が悪くなったとか、体調を崩してしまったと主張する人がいます。それはその場所の波動が悪いとか、邪悪であるとか、自分の悪いカルマのかかわっている場所だった、というのは私たちの経験と照らし合わせてみてもおかしな話だと思います。


これはむしろ、その場所が元々浄化、祓いの場であるために、自分の邪気、邪念が出てきてしまって、身体に変調をきたしているだけのことが多いです。

 

ただ、そこで間違ってはいけないないことは、それが「前世のカルマの浄化」とは無関係です。もし、カルマがその場に行くことで解消されるとするならば、逆にものすごく気持ちがよくなるとか、感動するとか、何とも言えない感情の高まりを経験するのが本当の意味での霊的な反応です。


身体に変な反応が来てしまうのは、その場に赴くときの意識(霊的チャンネル)の切り替えができていないから、身体に来て「受けて」しまうのです。素人の人はともかく、霊的な世界でやっている人の場合、土地の影響、気場の影響がどのようなものか十分知っています。その場にいるときに意識を切り替えていれば、自分と合わない波動を受けることは起こりません。

 

それに、事前にどういうつもりで巡礼をするのか、その目的意識さえ明確にもっていれば、自分に合わない所に行く前に守りが働いて、無関係な場所に行かなくてもすむようになるはずです。


最後に、もう1つ大事なことは、霊的な仕事をする人の巡礼は、無理をしてまで行くものではないということです。

 

時期、タイミング、事前のメッセージを大切にしていると、自然に向こうから「お呼び」がかかって、スムーズにトントン拍子に段取りが運び、重要な学びもできるようになります。


自分の直感では胸騒ぎを覚えたのに強行したり、何が何でも全部回ってやろうとか考えずに、自然な流れでゆったり構えていれば、あとは「向こう」が段取りを整えてくれて気持ちよく巡礼ができます。

 

巡礼は仕事がらみでも、趣味であっても、苦しい想いをするものではなく、聖なるものを肌で感じたり、その場で深い洞察を得たり、癒されたり、楽しんだりするために行くものなのだと思います。
 

 

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