皆さま
ここまでの話は、カトリック教会における悪魔及び悪魔祓いに絞ってきました。
とはいうものの、日本にも悪霊の祓いはありますし、神道の文脈で「お祓い」も行っています。
決定的な違いと言えば、エクソシズムの対象になるのは、元は神の創造物であり、自らの意志によって神に反逆した存在=悪魔一択。悪魔にも種類はありますが。
日本の場合、鬼、怨霊、妖怪などと呼ばれる霊的存在、加えて、生霊、死霊、動物霊など生者に憑依する憑霊など多種多様です。
また、仏教にも悪魔の概念が存在し、これを「魔」や「魔障(ましょう)」と呼びます。これは仏道修行を妨げる存在であり、仏教の教えを実践する上での障害や誘惑を象徴しています。
キリスト教、神道、仏教における悪魔や悪霊の概念にはそれぞれの宗教特有の違いがありますが、共通する特性も存在します。
1.超自然的存在
悪魔や悪霊は全ての宗教において、通常の自然法則では説明できない超自然的な存在です。彼らは人間の認知や理解を超えた力を持ち、物理的な現実に影響を与えるとされています。
2.人に悪影響を及ぼす
悪魔や悪霊は、いずれの宗教においても人間に対して悪影響を与える存在です。これには身体的な害、精神的な苦痛、道徳的な堕落などが含まれます。彼らは人間を苦しめ、正しい道から逸れさせようとします。
3.誘惑と試練
悪魔や悪霊は人間に対して誘惑や試練を与える役割を持ちます。キリスト教では悪魔が罪を犯すように誘惑し、仏教では魔が修行者の悟りを妨げる試練を与えます。神道でも悪霊が人間に災厄や不幸をもたらすと考えられます。
4.人間の弱さを利用する
これらの存在は、人間の弱さや欠点を利用して影響を及ぼします。例えば、欲望、恐怖、怒り、無知などの人間の内面的な欠点を増幅させます。
5.対抗手段の存在
いずれの宗教においても、悪魔や悪霊に対抗する手段が存在します。キリスト教では祈りやエクソシズム、仏教では修行や智慧、神道ではお祓いや祭儀などが用いられます。これらの対抗手段は、人間が悪魔や悪霊の影響を排除し、こころの平和や幸福を取り戻すための方法とされています。
6.象徴的な存在
悪魔や悪霊は、それぞれの宗教における悪や邪悪の象徴として機能します。彼らは物語や教義の中で、道徳的な教訓を伝えるための象徴として描かれ、信者に対して善悪の区別や正しい行いを教える役割を果たします。
キリスト教……悪魔(サタン)は神に反抗する堕天使であり、罪や悪の象徴です。人々を誘惑し、神から遠ざける存在として描かれます。
神道……悪霊や怨霊は、人々に災害や不幸をもたらす存在です。このため、祓いや祭儀を通じて鎮められるべきものとされます。神さまを祀るのは、一つには神として奉らないと祟られるからです。このような理由から怨霊と化した人物の魂を鎮めるために神社を建てました。
仏教……魔(マーラ)は修行者の悟りを妨げる存在で、煩悩や執着を象徴します。修行を通じて克服すべき障害として存在します。
これらの特性から、悪魔や悪霊は宗教を超えた普遍的な人間の心理的・社会的現象を反映していると言えます。彼らは人間の内面的な弱さや外部からの悪影響を象徴し、それに対処するための道徳的・霊的な指導を提供する存在として、各宗教において重要な役割を果たしています。
憑依現象に対する科学的解釈
悪魔憑き現象(あるいは憑依現象)は、歴史的には多くの文化や宗教において超自然的な現象と見なされてきましたが、現代の科学的な視点では、これらの現象に対して以下のような説明が提案されています。
1. 精神障害
統合失調症は幻覚や妄想(憑依妄想)を伴う精神病であり、これらの症状が憑依と解釈されることがあります。幻聴や幻視は、悪魔や霊の存在を感じさせることがあります。
2. 解離性障害
解離性障害は、ストレスやトラウマに対する防衛反応として、現実感を失うことや、記憶の喪失、自分自身を外部から見ているように感じる(離人症)を経験することを含みます。これが悪魔に取り憑かれていると感じる一因となることがあります。
3. 文化的および社会的要因
ある文化では、特定の行動や症状が悪魔憑きと解釈されることが一般的です。個人がその文化の中で育った場合、無意識にその期待に沿った行動をとることがあります。
また、集団ヒステリーや集団妄想が、特定の集団内で悪魔憑き現象を引き起こすことがあります。
4. 神経学的要因
てんかん、特に側頭葉てんかんは、宗教的または超自然的な体験を伴うことがあります。てんかん発作中に感じる異常な感覚や幻覚が、憑依と解釈されることがあります。
5. 心理的要因
精神的なストレスやトラウマが、異常な行動や精神状態を引き起こすことがあります。これが悪魔憑きと解釈されることがあります。
しかし、それだけで憑依現象をすべて説明できるのでしょうか。
アメリカの精神科医、リチャード・ギャラガーは「悪魔」と対峙してきた経験に基づいて、この憑霊現象に関する独自の取り組みを行ってきました。
参考文献
リチャード・ギャラガー (著), 松田和也 (翻訳) 2021 精神科医の悪魔祓い: デーモンと闘いつづけた医学者の手記 国書刊行会
彼の書、『Demonic Foes』(邦題:精神科医の悪魔祓い)における悪魔憑きの超自然的な側面について、以下に要約します。
興味のある方はご一読ください。
1.異常な身体的能力
患者が通常の人間の力を超える力を発揮する例があります。これは、物理的な法則を超えた現象とされ、科学的に説明が困難です。
2.未知の言語の使用=異言
患者が学んだことのない古代の言語や外国語を流暢に話すことがあります。これも超自然的な知識の伝達と見なされています。
3.予知や透視
患者が未来の出来事を予知したり、遠くの場所で起きていることを詳細に述べたりする現象が報告されています。
4.身体的な変容
患者の顔つきや声が劇的に変化し、まるで別人のように見えることがあります。これは悪魔の存在が表に出てきていると解釈されることがあります。
5.ポルターガイスト
患者の周囲で物が勝手に動いたり、音が鳴ったりする現象です。これらは悪魔の存在が周囲に影響を及ぼしていると考えられます。
6.霊的存在との対話
患者が見えない存在と会話したり、その存在から指示を受けたりすることがあります。これには、悪魔や霊的な存在が関与しているとされています。
7.身体的な攻撃
患者が見えない力によって傷つけられたり、身体に痕が残ったりする現象です。これは悪魔の攻撃と解釈されます。
8.儀式やエクソシズムの効果
エクソシズム(悪魔払い)の儀式が実施されると、患者が劇的に反応することがあります。この反応は、悪魔が排除されるプロセスと関連付けられます。
ギャラガー自身が目撃した現象として、物が突然動く、異常な音が聞こえるなど、現実の物理法則では説明できない出来事が含まれています。
エクソシズムの儀式が患者に対して有効である場合があり、これは宗教的儀式が精神的な治療法として機能する可能性を示唆しています。
『Demonic Foes』は、悪魔憑きの超自然的な側面や超常現象を、ギャラガー氏の専門的な経験と観察を通じて詳細に探求しています。これにより、科学と宗教の間に橋をかけ、理解を深めるための独自の視点を提供しています。
巫師の憑依解除事例
ところで、私たちは、これまでにいわゆる霊的危機に陥った人々、とりわけ憑依現象に悩む人たちの祓いを実施したことがあります。これについて簡単に説明をしておきます。
日本の憑きものにも様々な種類がありますが、蛇憑き、狐憑き、犬神憑きなどを手がけてきました。
医者の「診断と処方」になぞらえれば、祈祷の現場において、診断は「霊視」であり、処方は「祓い」ということになります。
私たちの場合、巫女と審神者に分かれて相談者と対面することになります。
相談者が訪れると、まずは霊視をはじめます。巫女が相談者のそばに寄り添い、その人に憑いている(かもしれない)霊と対話するのです。
まずは相手(の霊)と自分の意識の波長を合わせて、霊的危機が本当かどうかを見分けます。そして、本当に憑いていたら、表に出なさいといい、意識を相手に集中します。そうしたら、相手の言動に異変が生じ始めます。
逆に、こちらが何も問いかけていないのに変な言動をするような場合は、演技だとわかります。そんなときは、「『演技』はやめなさい、あなた正気でしょう」とぴしゃり。するとだいたい相手は正気に戻ります。
本当に憑いていれば、その時点で身体が震えだすなどの変化が発生し、相談者の身体を借りていろんなことをしゃべりだします。
憑いているのは死霊の場合もあれば生霊の場合もあります。のみならず、野狐や蛇などの動物霊もこの世界ではまだまだ健在です。ちなみに、動物霊の場合も相談者の口を借りて人の言葉を話します。
こうして、巫女がその正体を判定し、審神者に伝えます。そして「祓い」がはじまるのです。
最初は禊の祓詞から大祓詞に移行して、そこからは密教系のマントラや経文を唱えたり、あるいは陰陽道の祭文を詠んだりもします。相手によって臨機応変に決めていきます。
だいたい標準的なセットはあるのですけど、その中で反応しやすい祝詞・祭文を使います。
宗教の系列は関係ありません。神道か仏教かという区別もここでは意味がありません。神仏習合です。役に立つものであれば、全部利用します。
祝詞をあげたとたん、相談者はふたたび豹変し、のたうちまわって暴れて大騒ぎになります。
その間、巫女が相手を押さえつけながらその状態の変化を読み取って祓い担当に指示を与え、祝詞や呪文を切り替えていくのですが、ときに、件の憑霊が巫女に乗り移ってしまうこともあります。
巫女の役になる者は、霊媒体質であることが必須条件です。そうなれば、今度は審神者役が、相手(憑霊)と対峙することになります。
相談者には砂や塩などを持たせたりすることもあります。それは相手が嫌がる呪物で、出てきやすくさせるもの。
そして、霊と対話をします。なぜこの者に取り憑いたのか。そして、どうしてもらいたいのかと。こちらとしては、できることとできないことを相手に伝えて対処します。
たとえば、その霊が成仏させてほしいのならば、それに応じた祝詞や祭文をあげます。
野狐の場合だったら、(稲荷系の総本宮である)伏見稲荷大社に帰してあげればいいわけで、稲荷系の祝詞をあげる。
女性に化けた野狐のイメージ
蛇霊だったら龍神系の祝詞を、という具合。
供養してもらいたいという死霊の場合は、仏教の経文を読む。これで納得して相談者から外れてくれたらいいのですが、かなり抵抗する場合もあります。
そういう場合は、調伏するしかありません。
相手との対話と説得を中心とする「浄霊」が基本ですが、憑いているものが悪霊化している場合は、説得は無駄骨となるため、強制的に憑依状態の解除、つまり「除霊」になります。
こうして、まさに修羅場としか形容しがたい光景が繰り広げられまます。
その間、ラップ音があたりに響き、見えない人がトコトコ歩き回る音がする、戸が勝手に開いたり閉まったりする、祭壇の周囲も大変な状態になってきます。
しかし、ここまで憑霊を引っ張りだしたからには、完全にケリを付けるまではやめるわけにはいかないのです。
落とすことに関しては、もう何時間かけてでもやります。
私たち巫師の世界では、結果がすべてです。仮にしくじったとしたら、私たちの信用は完全に失墜します。
これまでに、一番強力だった事例は多重憑依者のケースでした。
相談者は以前、ここに来たことのある方の姉で、「ここのところ具合が悪いから見てくれ」という相談でした。ここまではよくある話ですが、祈祷所に着いたとたん、彼女の様子はまるっきり変容してしまいました。
急に全身が震えだす、頭が痛いと訴える、そんな反応が続いた後でわれを失う。失ったら様子が変わっている。いろんなことを口走る……そんな具合で、とにかく様子が尋常じゃない。さっそく巫女がその場で〝視て″、すぐに取りかからなきやいけないというのです。
こうして、午前2時間、午後2時間を2回、食事や休憩をはさんで1日6時間、スタッフ総出でのまさに死力を尽くした憑き物落としが始まりました。
まずは相手を押さえつける。動かないように、ここで呪術を使います。巫女は「神占」のほか「禁厭」(呪法)、「祈祷」の資格も保持しています。審神者役の宮司も神社で修行を積んだ有資格者です。
自分の力ではなく、神様の力を借りて相手を押さえつけるのです。すると相手は、ほどいてくれ、助けてくれといろんなことをいってきますけど、それはいわせておく。
そして、こちらでは宮司がふたりがかりで〝拝み倒す″のです。すると、やっと祓いが成功したと思っていたら、また次が、またまた次が……と、どんどん芋づる式に憑き物があらわれ出てきました。
そのたびに口走っている言葉の内容も声色もまったく変わるのです。
あれやこれやで出てきた憑霊は10体以上だったでしようか。『殺してやる!おまえを潰してやる』と叫んでいたかと思えば、次に『私はおばあちゃんじゃ。供養してくれ』といいだす。
今度は『私はおまえに殺された』というのがあらわれるという具合……
そうこうするうち、巫女にも乗り移って、〝あっちに行ったり、こっちに憑いたり″と、錯綜した憑霊状態に陥ってしまいました。
そして最後にあらわれた大ボスは、大蛇でした。こういう場合、蛇のような動きをするのです。はいずり回って、ぐっと、背中の骨が折れるかと思うぐらいに頭部をお尻のほうまでしならせて。まさに人間業じゃなかったです。
ともあれ、丸3日の祓いによって相談者は劇的に快復を果たしました。
その後、再発することもありませんでした。霊的危機から抜け出すことに成功したわけです。
実際、祓いというものを体験して、祓いとは何か、こうすれば祓えるのかということが、ここで感覚的に掴めました。
それにしても、ここでいう大蛇とはいったい何だったのか。
私たちの解釈によれば、それは実際にいた動物の崇りといったものではなく、人間のある意識や想念、邪気邪念といったものが長い間蓄積され、地層のように積み重なっていたものが、人蛇の姿となって現れたものだと考えています。
それを私たちは『意識場』と呼んでいます。そういう場に干渉されたら、人は身体的、物理的にも変容をおこしてしまうのです。
憑き物は基本的に、その人の深層意識に潜んでいるものであり、その人の作り出したものであるし、その人とは別の存在様式でもあります。
それは、深層心理学でいう「コンプレックス」の構造にきわめて近いと私たちは解釈しています。
コンプレックスは、ある感情を核として形成されている、イメージや記憶の複合体であり、まるでブドウの房のように幾重にも連なっています。
それぞれの房の中に、憑き物が隠れているが、それを1つずつ引き出していき、最後に根っこにある「本体」を抹消することで、悪霊の祓い=祈祷は完了するのです。
まとめ
宗教文化の違いによって、憑霊現象にも大きな違いもあります。
ですが、当ブログで提案している「意識の拡張モデル」にそって説明するなら、私たちの意識の中には個人レベルのコンプレックスやトラウマなどに留まらず、特定の家系や民族、文化の中で形成されてきた意識の層が何重にも重なっていて、それがときに霊的危機という形で、憑依現象を引き起こすことがあります。
この記事に書いたとおり、祈祷性精神病という概念では説明できない憑霊現象は起こります。
それゆえ、精神医学との連携は必要であり、通常の精神医学的な対処で軽快するものもあれば、医学の範囲を超えた現象を引き起こす事例も存在します。
神秘体験にしても、それが病理的なプロセスによって生じるものもあれば、意識の拡張によって急激に起こる霊的危機と見なした方が説明のつく現象もあることを、知っておいた方が望ましいケースも存在するのです。
さらには、物心相関と解釈できる超常現象も、こうした非人間的意識場が介在する場合には発生することがあります。
私たちの見立てによれば、憑き物と呼ばれている現象の多くは精神医学の領域で対処可能なものが圧倒的に多いわけで、何でも霊のせいにしているわけではありません。
しかしながら、少数ではあるけれども、人の邪気・邪心が他者と同調することによって引き起こされる憑霊現象も存在するのであり、私たち巫師は古来より、その憑きものたちと対峙し、これを解除するための祭祀を受け継いできました。
キリスト教圏には、その文脈によって理解できるエクソシズムという解除の方法論があるのと同様に、日本にも憑き物信仰をよく理解していないと対処できない現象もあります。
今でもこのような現象は起こっています。
少なくとも、私たちは人間の意識というものに対してまだまだ無知であることを肝に銘じ、さらに真摯な姿勢で探求を進めてまいります。
(完)
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