皆さま
当ブログは日本的霊性を探求するサイトですが、広く海外の霊性の動向についてもアンテナを伸ばしております。
今回はカトリック教会における「超自然的な現象」についてお話しいたします。
よろしくお付き合いくださいませ。
カトリック教会では、信仰に関わる不思議な出来事について厳格な真偽判定の手続きを定めており、正式に奇跡認定されることはめったにありません。
バチカン・ニュースによると、教区の司教や司教協議会、教理省は、ある現象が超自然的な起源を持つと宣言することはできず、唯一教皇だけがこの意味における手続きを認可することができます。
最近、この認可の規則の変更が行われました。
アゴラの記事には聖母出現の奇跡の例に、日本では秋田県で発生した事例が挙げられています。これは秋田の聖母マリアに関する奇跡として認定されたものです。
この事例では、終末預言と思われるメッセージ(神の怒り)も記録されています。
カトリック教会で認定された奇跡には、多種多様なものがありますが、特に有名なものをいくつかご紹介します。
ルルドの奇跡
フランスのルルドは、19世紀に聖母マリアがベルナデット・スビルーという少女に現れた場所として知られています。ベルナデットは、聖母マリアの指示に従って洞窟の泉を掘り起こしました。この泉の水は多くの奇跡的な治癒をもたらすとされており、現在でも多くの巡礼者が訪れています。カトリック教会は、医学的に説明できない治癒がいくつか認定されており、ルルドは重要な巡礼地となっています。
ファティマの奇跡
ポルトガルのファティマで、1917年に3人の羊飼いの子供たちに聖母マリアが6回現れました。聖母は彼らに「太陽の奇跡」などの預言を伝えました。10月13日に起こったとされる「太陽の奇跡」では、太陽が異常に動くのを目撃したとされる数万人の証言があります。カトリック教会はこの出来事を公式に認め、ファティマも重要な巡礼地となっています。
サン・ジェナロの血液の奇跡
イタリアのナポリでは、毎年サン・ジェナロの祭りの日に、聖ジェナロの血液が液状化する奇跡が起こるとされています。この現象は数世紀にわたって続いており、カトリック教会もこれを公式に認めています。この奇跡が起こらない年は、災害や不幸が起こる前兆とされることもあります。
聖ピオ(パドレ・ピオ)の奇跡
イタリアのカプチン・フランシスコ会の修道士、聖ピオ(パドレ・ピオ)は、20世紀に多くの奇跡を行ったとされています。彼はスティグマータ(キリストの受難の傷)を持ち、病人の治癒や予知能力で知られていました。彼の死後も多くの奇跡が報告されており、カトリック教会は彼を聖人として列聖しました。
これらの奇跡は、カトリック教会の信仰と歴史の中で重要な位置を占めており、信者にとって大きな信仰の柱となっています。教会は慎重な調査を行い、科学的に説明できないと判断されたもののみを公式に奇跡として認めています。
カトリック教会が認める超自然現象には、奇跡以外にもいくつかの種類があります。以下に代表的なものをいくつか挙げます。
聖遺物
聖遺物とは、聖人やキリストの遺物や関連する物品を指します。これには、聖人の身体の一部や衣服、使用した物品が含まれます。例えば、聖ペトロの骨、聖ヴェロニカのベール、聖遺物の奇跡的な効果が報告されることがあります。信仰に基づいてこれらの聖遺物に触れたり、近くにいることで病気が治癒したり、精神的な平安が得られたりすることがあるとされています。
聖人の腐敗しない遺体
カトリック教会は、いくつかの聖人の遺体が自然に腐敗しない現象を認めています。これらの遺体は何十年、時には何世紀も保存され、腐敗の兆候をほとんど示しません。例えば、聖ベルナデット・スビルーや聖ジャン・ヴィアンネの遺体は保存されており、カトリック信者の間で奇跡とみなされています。
スティグマータ(聖痕現象)
スティグマータは、聖人や信者の体にキリストの受難の傷が現れる現象です。これらの傷は自然に現れ、治癒せずに出血し続けることが多いです。最も有名なスティグマータの持ち主は、20世紀のカプチン・フランシスコ会の修道士、聖ピオ(パドレ・ピオ)です。彼の手足と脇腹にはキリストの磔刑の傷が現れ、これが奇跡と認められました。
聖母の出現
聖母マリアが信者や聖人に現れる現象も、カトリック教会が認める超自然現象の一つです。前述のルルドやファティマの他にも、多くの出現が報告されています。例えば、メキシコのグアダルーペで1531年に聖母がフアン・ディエゴに現れたことがあります。聖母は彼にティルマ(外套)に自らの姿を残し、これはグアダルーペの奇跡として知られています。
エクソシズム
悪霊や悪魔の影響から人を解放する儀式であるエクソシズムも、カトリック教会が認める超自然現象の一つです。エクソシストと呼ばれる特別な訓練を受けた司祭がこの儀式を執り行います。教会は、悪霊に取り憑かれたとされる人々を助けるためにエクソシズムを行い、多くの事例が報告されています。
神秘体験や幻視
多くの聖人や信者は、神や聖母、天使などと直接交信したり、幻視を見たりする経験を持っています。これらの経験は、個人的な啓示や信仰の深まりをもたらすとされています。例えば、聖テレサ・アヴィラや聖ヨハネ・オブ・クロスは、深い霊的な経験や幻視を持ち、これが彼らの霊的な指導に大きな影響を与えました。
これらの現象は、カトリック教会の伝統と信仰の中で重要な役割を果たし、信者の信仰を強める要素となっています。教会はこれらの現象について慎重に調査し、公式に認める場合があります。
このうち、エクソシズムについては、イタリアでの事例に関する資料も集めているので、別の機会に紹介します。
話を元に戻すと、ここで問題になっていることは、聖地巡礼ビジネスというか、たとえフェイクであろうと「奇跡」がおきたと吹聴すれば金儲けにつながるという構造があります。
聖母マリアの再臨地には多くの巡礼者が殺到し、病が癒される奇跡を願う。巡礼地には若者たちの姿も少なくない。教会関係者は、「若者たちは奇跡を追体験したがっている。科学文明が席巻する今日、若者たちは奇跡に飢えている」と説明する。その一方、フェイクの再臨現象も出てきた。聖母マリアの再臨地となれば、世界各地から多くの信者が巡礼にくる。表現は良くないが、現地の教会、その地域にとって大きなビジネスとなるからだ。
(中略)
「聖母マリアの再臨などの出来事はしばしば、信仰の成長、敬虔さ、兄弟愛、奉仕の精神など、多くの霊的な実をもたらし、民衆信仰の中核となっている巡礼地がある一方、疑わしい超自然現象による出来事の中には、信者に害を与える非常に深刻な問題が発生することもある。例えば、利益、権力、名声、社会的な有名性、個人的な利益を得るためにこうした現象が利用される場合だ」と述べ、「人々を支配したり、虐待を行う手段として利用されることさえある。また、これらの出来事には、信仰教義の誤り、福音のメッセージの不適切な短縮、宗派的な精神の広まりなどが含まれることもある」と語っている。
こうした自己顕示欲、権勢欲、物欲が渦巻くような状況は、特にキリスト教圏に限ったことではなく、日本でも同じでしょう。
伝統霊性の腐敗の構造はどこも悩みの種なのですね。
どの宗教であれ、神仏に対する強固な信仰(信念)があると、奇跡的治癒や予知能力、物質化など変異現象が起こることは否定しません。
そこに全く疑いの気持ちの入る余地さえもないレベルの強烈な信念を持っているようなときにです。
一般の人は、たとえ祈っても、心のどこかで「うまくいくはずがない」「かなうはずがない」「やっぱりウソっぽいな」などといった「雑念」が入ります。
祈りながら、そういう自分を疑っているわけです。
だから、奇跡など起こらないのです。
実現するイメージ100 Vs. 実現しないイメージ0
ここまで持っていかないと何も起こりません。少しでも「否定する自分の想念」が入ると終わります。
ましてそこに物欲が絡んできて「クレクレ参拝」しに行ったり、観光気分だけで「巡礼」などしていれば、何も起こらないのが当たり前。
趣味や遊びとして楽しむ分には何も問題はありませんが、願掛けや祈願という目的があるときには、真剣な取り組みが求められます。
本当に奇跡を起こす人というのは、余計なことなど一切考えていませんし、一心不乱に拝み倒しています。
それに、サイキックな傾向の強い人の場合、1つのことに集中する能力がずば抜けていますし、既成概念や固定観念を壊すほどのイメージ能力の持ち主が多いです。さらには、ガンガンに念じるというのではなく、深くリラックスした状態に自己誘導ができているのです。
これはある程度訓練を積めば身につくこともありますけれども、持って生まれた素質の部分が大きいというのが、経験的に言えることです。
ともあれ、信仰とは信の世界ですから、一切の疑念も振り払って自分の信念を究極まで研ぎ澄ましていけば、物事が劇的に展開することもあります。
そこには一切の邪気、邪念の入り込む余地などありません。そこまで一つのことに全集中するくらいの意志の力が試されるわけです。
念ずれば花開きます。
巫師麗月チャンネル
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