皆さま
次にお話しするのは、「信念の力」を使って目的を実現するための言霊を発する方法についてです。
よろしくお付き合いくださいませ。
Q.祈願をする場合、「断ち物」はやはりしたほうがいいのですか?
A.神様に願い事をするならば、なにか好きなものをひとつ断つというのが流儀です。しなくてもいいけれども、どうしてもその分だけ弱まります。つまり何かを自分は耐えますとか、こういう努力をしますということをまず神に言わなければ動いてくれないのです。
また、一番好きなものを断つことが念を高めるということになるのです。お酒の好きな人ならお酒を断つ、お茶の好きな人ならお茶断ちというのもあります。その他、コーヒーというのもいいし、甘いものが大好きな人なら甘いもの断ちをします。
食事を抜く必要はないけれど、食べ物の中で好物を断つというのはOKです。たとえば四つ足の動物の肉は食べないというのもありです。鶏肉はいいけれども、牛、豚、羊は食べないというように。
Q.賭け事やゲームを断つというのは?
A.そういうことが大好きでそれがないと生きられないという人はそれでもいいでしょう。ですが、なるべくなら生理的欲求に関係するものを断つのが本来的です。生理的欲求は生存本能に関係してきますから。
Q.願掛けのそれぞれのコースの使い分けなどは?
A.それは当然長いほうが効果的です。日常生活におけるささやかな願い事であれば七日間コースでいいでしょう。七日間をインスタントコースと呼んでいます。
今の自分の状況から考えて本当に大きいこと、これはちょっと難しいだろうという難易度の高い目標で、すぐには叶わないかもしれないけれども、でも絶対不可能ではないからやりたい、などという願い事であれば、なるべく長い期間をセットしてやったほうがいいでしょう。
出張や旅行があって長い期間できないという場合は、短いコースを何度もという方法でも結構です。ただ、やはり連続して行うのが一番です。
Q.満願成就の日はなにをすればいいのですか?
A.最後の日はお供え物をちょっと豪華にしてください。塩、水、お米の3点セットにお酒やお菓子とか果物とかを添えます。
そして大事なことは、前にも言ったようにお願いごとが叶ったら必ずお礼参りをするということです。
Q.家で祈願をする場合の祈り方は、神社での作法と同様でいいのでしょうか。
A.そうです。もうひとつ、願いごとというよりも、そこの神社の神様と意識を交信させる、交流させる、いってみれば直接直談判ができるという、とっておきの祝詞があります。
2つあって、ひとつは「一切成就祓(いっさいじょうじゅのはらい)」ともうひとつは「三種太祓(さんじゅのおおはらい)」です。どちらも祝詞としては簡単で素人でもいいやすいものです。祝詞集に載っているものを使えば大丈夫です。
「一切成就祓」は願いごとが成就しますようにという意味の祝詞です。すべての穢れとかを全部祓ってしまって、完全に身も心も清らかになり、どうか願いをかなえてくださいと、そういったときに唱えるものです。
「三種太祓」は、その神社の神様と向き合うといいますか、交信するときに唱えます。神と直談判ができるのです。
唱えるのは両方でもいいし、一方でもいい。願掛けをするのなら一切成就のほう。もっと神様と向き合いたいのだったら、三種太祓いでしょう。時間がないというなら、こちらです。神様に直接お願いごとができますから。
両方唱えるなら最初に「一切成就祓」で、次に「三種太祓」の順序です。これを唱えた後、願いごとを口に出してもいいし、周囲に人がいるのであれば、心の中で思うだけでもいいです。
Q.神さまにはどんなことでも願っていいのでしょうか。
A.例外はありますが、基本的にはどんなことでもOKです。人間関係、病気平癒、恋愛、結婚、合格、勝負ごと賭け事、訴訟沙汰など。具体的な成就のイメージを明確にできるかどうかです。なので、漠然と「運がよくなりますように」というのではあいまいすぎます。
Q.子どものいじめなどはどうでしょう。
A.それはまたちょっと別に考えたほうがよいのではないでしょうか。いじめ問題とか、不登校とか、引きこもりとかいうのはむしろ別ところに要因があることが多いのです。家庭の要因とか、学校の要因など。それはもう心理学的なものですよ。それを神の力を借りて改善するというのはいかがなものかと思います。
目に見えない力や霊的な原因によるものとは違って、それはまず親が努力しなさいということです。いじめでいうならまず学校側と交渉する。そうやってちゃんと行動に移していかないと、いきなり神頼みしたって改善されません。
何でも神頼みで解決すると思っている人がいるようですけど、神さまと向き合うのは人間の努力を超えたモノなのです。
問題によって医療、心理、教育、法律など現実的に考えて、適切なところに行くことが大事ですね。
人間の力でできること、努力すればできることは人間がやりなさいということです。人間の力ではどうしても変わらないというか、どんなに努力したって変わらないということについて、神、仏に対して拝むわけですよ。
Q.病気の場合は自分でも治癒に向かって努力するということですね。
A.もちろん医学的な治療ということはまず行って、それに「プラスアルファ」ということです。神頼みだけで病気が治るというものではありません。「祈りの力」に関する研究についてはすでに紹介しています。
病気も、遺伝的なものに関係するようなことはなかなか治らないこともあるのです。これは宿命的なものです。
たとえば、余命宣告を受けた人がいるとして、本人や家族が心を一つにして生きようという気力を保ち続けることができるかどうか。適切で最善の医療を受けられるようになるかどうか。本人にとって一番最適な治療法と巡り会えるかどうか。こうしたことに祈りの力は関係してくるのです。
統計的には余命を見立てることができるでしょうが、それを越えて生きられる人もいます。そこに「目に見えない力」が介在していることをブレない信念として抱き続けることができるかどうかですよ。
信念とは「信じて念じる」と書きます。読んで字のごとしですよ。
Q.祈願の内容の続きですが、合格祈願はどうでしょうか?
A.前にも言ったことですが、合格祈願は最後の一押しです。志望校が合格圏内ではあるけれど、ちょっと心配であるとか、そういうときの最後の一押し。まったく実力とかけ離れたレベルの高い学校に、奇跡的に入るということはまずできません。あくまでも本人の努力がまず大事です。
ちょっとここは難しいというようなところを受験するというときに、そういう祈願をしたら、何かの拍子に受かってしまうということはあります。
Q.金運や宝くじの当選についてはどうでしょうか。
A.金運については、これもまずは「勤勉に働くこと」が前提です。かつ、最終的な目標を持つことが必要だと考えます。自分の欲だけでやみくもに願っても結果は出ません。クレクレ念が出るだけです。
汗をかきながら働くことによって、お金を手にするのが前提で、何もしないのに天からお金が降って湧くといった願望は、宝くじの1等に当たるのと同じ程度の確率しかありません。つまり、自分の生業に集中するとか、一生懸命になって努力することから、プラスアルファの幸運が生じるということですね。
宝くじについては、あれは確率論的にいって難しい。もちろん当たった人には、夢のお告げではないけれども、そういうのが何か来るということもあるとは思いますけれども。
それをみんなが同時に念じたらどうなるかということですよ。そんなことはあり得ない。当たる本数が決まっているわけですから。そういうものに頼るのではなくて、地道に自分の体を使うという意識的な努力が必要なのです。
お金に困っている人ほど、焦ったり、わらをもすがる思いで神頼みしたりする人がいますが、自分が全く努力することなしに大金をつかむなど不可能に近いと思います。
地道に努力していればご先祖さまのおかげ、神さまのおかげで思いもよらないお金が舞い込むことはあります。それも普段からの心がけの問題に通じます。
Q.縁結びなどはどうでしょう。結婚相手を見つけて欲しいとか。
A.縁結びとか、縁切りで有名な神社もあるから、そういったところは、もちろんそういった霊験というのが出てくる可能性はあります。
縁結びについては後に述べますが、宿命的に縁の薄いという人もいますから、なんともいえないのですが。
結局、神頼みというのは、やっぱり「後方支援」的な意味合いがあるのです。だから、まずは人間の努力、そこを強調しておかないと、最近は安直・安易に、手を合わせれば何とかなるという考えで神頼みをする人もいるから困るのです。
また、自分が何をする、その代わりにお願いしますという気持ちが必要なのです。
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