皆さま

 

脱物質主義の立場から意識を考えると、意識は物質的な現象だけで説明できない非物質的な性質を持つと見なされます。つまり、意識は物質だけでなく、意識が存在するための物質的な基盤の存在を必要としないという立場です。

脱物質主義の立場では、意識は単なる脳の活動や神経システムの結果だけでなく、それらに超越する何かであると考えられます。意識は宇宙全体に普遍的であり、物質の境界を超えて存在すると見なされることがあります。これにより、意識の本質的な特性やその起源について、物質主義的な説明だけでは不十分であると主張されます。

脱物質主義には様々なバリエーションがあり、宗教的(霊性的)な視点から意識を解釈する場合もあります。例えば、二元論では物質と意識を別個の実体として捉え、汎心論では意識と物質が相互に関連しながらも独立した実体であると見なされます。

 

汎心論の立場では、物質と精神は両方とも異なる実体として認識されますが、物質と精神の間にはある種の相互作用が存在し、互いに影響を与え合うと考えられます。

物質的な現象は物理的な法則に従い、精神的な現象は意識や心の活動に関連付けられます。しかし、両者は完全に分離されておらず、相互作用があるため、物質的な出来事が精神的な出来事に影響を与え、逆もまた然りです。

今回は、物質と精神の相互作用に関わる問題について考えます。

 

よろしくお付き合いくださいませ。


Q.私たち個人の意識が、エネルギーとして同調して物質に影響を及ぼすことを示す客観的データはあるのでしょうか。

 

A.アトランタオリンピックの開会式、9・11テロの報道に関する実験結果などがあります。これはランダム・ナンバー・ジェネレーターという、0と1の信号をランダムに出す装置を使った実験です。この装置は量子トンネル効果により予測不可能な変動電圧が発生します。これがサンプリングされ、高電圧と低電圧が0と 1の2進数またはビットのシーケンスに変換され、無作為にほぼ50%ずつ出すようにつくられたものです。高速電子コイン投げ機と思ってもらえば良いです。

 


図.Radin,D. 1997 The Conscious Universe: The Scientific Truth of Psychic Phenomena San Francisco: HarperEdge. より

 

上のグラフは、1996年、オリンピックのテレビ中継が始まったという時刻に測定を行ったものです。スタート・オブ・セレモニー(開会式)が始まった時刻とエンド・オブ・セレモニー(開会式が終わった)時間というのがあって、注目して欲しいのは、最初は下がったのが、だんだん上がっていっていることです。

 

この図では切れていますけれども、セレモニーが終わったら下がるのです。

なお、"Control"と書いてある方のグラフは開会式の中継終わった直後に、乱数発生装置の1台に記録されたデータの流れを表しています。


このグラフは、発生した0か1の信号がどちらかに偏っているほど上がるように示したグラフですから、本当だったら、ほとんど山とか谷がない。何もないフラットな状態のはずです。ところが、0か1のどちらかに偏りがあるとこのように波が出ているでしょう。これは簡単にいえば信号の出方に狂いが出ているということです。

みんなが注目していて熱狂するとか、感動するとか、その逆でもいいのですが、みんなの強い感情が同調して機械を狂わすという結果が出ているのです。
 

つまりこういった大きなイベントが起こっているときには、従来の物理法則は崩壊するということです。物質系に精神が影響しているという間接的な証拠です。アメリカのプリンストン大学で行われていた研究(PEAR)が有名ですね。

 

 

Q.例えばスポーツの試合などで、観客の声援というのはばかにならないということでしょうか。
 

A.ばかにならないどころか、大変な後押しになります。実際の声援だけでなくて、プラス「思い」が後押ししますから。結局、思いが強いから勝つのです。強い気持ちが。開催国や、ホームゲームが強いのはそこです。
 

従来の心理学では、単に人間の祈りによって気持ちがよくなるとか、精神状態がよくなるというところ、そこを考えて終わっているけれど、それに対する疑問というか、問題提起をしているのです。

 

その人が主観的に気持ちよくなるとか、そういったレベルの問題なのかというと、やはりそうではないということを言いたいわけです。思いは物理にも影響を及ぼすということです。

Q.意識が物理的影響を及ぼすことを証明した実験はほかにもありますか。

A.実際に「祈ること」が肉体に作用するか否かを調べた実験があります。デヴィット・フォンタナというアメリカの研究者が紹介しているのですが、バードという研究者が1988年に行った祈りの効果に関する実験です。

 

これはサンフランシスコ総合病院の心臓疾患患者393名が対象となっています。「統制群」と「実験群」の2つのグループに分かれています。通常の医学的な処置を受けているのが統制群です。実験群は、だれかわからないけれども、2000人以上の祈り手から、その人の病気が治りますようにと「祈られている」人たちです。
 

祈願する人は基本的に教会などの熱心な善意の人たちと聞いています。祈願している人には、実験の目的などは一切知らせず、相手のファースト・ネームだけを教えて、簡単な医学的所見と予後について知らせただけということです。
 

実験は「二重盲検法」という形で、患者も祈るほうもお互い、だれが、だれを、どうやっているというのはわからない状態で行ったものです。
 

それで10カ月間祈ってもらったら、これだけ差がついたというわけです。死亡率というところだけ統計的には差はなかったのですが、あとは実験群のほうが軒並みよいのがおわかりでしょう。心臓疾患の場合は予後が良好、どんどん回復に向かっていっています。人工換気というのは、人工呼吸器のことですが、実験群はゼロなわけです。つまり、10カ月後には全員がもう呼吸器をつける必要がなくなったのです。


Fontana,D. 2003 Psychology, Religion, and Spirituality. Wiley-Blackwell に基づいて作図

つまり、祈りは心理的な気休め、無駄な行為ではなく、「通じる」こともあるということを表した実験結果だと思います。

 

実はこういう研究がほかにもいろいろあるのですが、たとえばシッチャーたちが1998年に発表した実験は、20名のAIDS患者に対して、40人のヒーラーを使い、10週間の遠隔ヒーリングを実施したものです。この研究でも患者はヒーリングが行われていることを知りません。結果としてヒーリングを受けなかった患者よりも、ヒーリングを受けた患者の症状の緩和が生じており、統計的に有意な差が認められています。
 

また、人間の場合だと、暗示の可能性ということが100%否定できないから、祈りが人間以外の動物に対しても作用するかどうかという研究もあります。ベンソンという研究者が1996年に発表した実験がそうです。動物だけでなく、微生物、酵母にも有効であったと結論付けています。

 

当然ながら、科学的唯物論の立場に立っている主流の科学者からみると、こうした精神と物質が相互作用するなんて「ありえない」と断言します。

 

しかし、脱物質主義科学の立場から研究を行っている人からは、そういった科学の前提そのものを越えようしようとしているわけで、意識に関する研究が進展することで
新たな世界観も生まれてくると思いますね。

 

 

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