皆さま
このブログの目的の一つは「日本的霊性」についての理解を深めることです。
このテーマについては、これまでに何度も取り上げてきましたが、なかなか奥深いものがあるので、少し視点を変えながらお話ししたいと思います。
よろしくお付き合いくださいませ。
スピリチュアルケア
これまで、このブログではあまり触れてきませんでしたが、霊性の概念は、医療・保健分野においても関連性のあるテーマです。医療と霊性との関係については、主に先進諸国において心の健康に関するさまざまな問題がでてきたことから注目されるようになりました。
厚生労働省が実施している『患者調査』によれば、日本における心の健康に関する問題が増加していることが明らかになっています。
たとえば、うつ病の患者数は増加し、特に2002年以降は顕著な増加が見られました。
同様に、ニートや引きこもりの数も増加しており、社会的な孤立や不安が広がっています。
加えて、自殺者数も懸念される水準で推移している状態です。
このような社会的な問題に対処するためには、単純な医学的アプローチだけでなく、心の健康に関する包括的なアプローチが必要です。
こうした心の問題は、単なる身体的な症状だけでなく、精神的、社会的、そしてスピリチュアルな側面も含んでいます。
そのため、個人や社会全体の幸福と安定を促進するためには、心の健康に対する理解を深め、総合的な支援を提供する必要があります。
その1つの観点として、霊性=スピリチュアリティが、心の健康と密接に関連しているのではないかと指摘されているのです。
たとえば、1998年の世界保健機関(WHO)執行理事会では、「霊的な幸福」(spiritual well-being)という概念が取り上げられ、それ以降、霊性への関心が世界的に高まっています。
医療の現場としては、特に終末期医療において、生きる意味や目的意識の喪失からくる苦痛であるスピリチュアルペインに対するケアが重要視されています。
ここで、霊的な幸福とは、自己、他者、自分より偉大な存在との結合により、連続した時間のなかで、人生の窮状においてもなお、意味が与えられ、自らの人生を肯定する人間の「生」の側面であると定義することができます。
霊的な幸福の概念は、医療や福祉の分野において非常に重視されるようになっています。
これは、個々の人々が自己の霊的な側面を認識し、その側面を発展させることで全体としての幸福を向上させることができるという考え方に基づいています。
以下に、医療や福祉の分野で霊的な幸福の意義をいくつか挙げてみましょう。
1.ホリスティックなケアの促進……医療や福祉の専門家が患者やクライアントを対象に提供するケアは、単に身体的な側面だけでなく、精神的、社会的、そして霊的な側面も含めたホリスティックなものであるべきです。霊的な幸福の概念は、患者やクライアントが全人的にケアを受けることを促進し、彼らの全体的な健康を向上させるのに役立ちます。
2.意味や目的の提供……疾患や障害を抱える人々にとって、自己の霊的な側面に目を向け、それを発展させることは、人生の意味や目的を見出す手助けをすることがあります。医療や福祉の現場では、患者やクライアントが自分の人生に意味や目的を見出すのを支援することが重要です。
3.ストレス管理と心の安定……霊的な実践や信念は、ストレス管理や心の安定に役立つことがあります。これにより、患者やクライアントがストレスや不安を軽減し、心の平穏を得るのに役立ちます。
4.倫理的なガイダンスとサポート……医療や福祉の分野では、患者やクライアントの霊的なニーズや信念を尊重し、彼らが自己決定を行う際に倫理的なガイダンスを提供することが重要です。霊的な幸福の概念は、そのような倫理的な支援を提供するための枠組みを提供します。
このように、霊的な幸福=スピリチュアル・ウェルビーイングの概念は、医療や福祉の分野において、個々の患者やクライアントの全体的な健康と幸福に貢献する重要な要素になっているわけです。
しかし、日本ではこのような取り組みは立ち後れているとも言え、霊性に関する理解不足もあいまって医療・保健分野の主流になっているとは言えない現状があります。
医療における霊性は、患者の人生や価値・信念に深く関与することに主眼が置かれています。霊性を意識すると、自分の人生に意味や目的がみえてくることで、日々の生活が生き生きしてくるからです。
しかし、霊性を生の意味や目的といった実存的な問題(人間の存在そのものに関する究極の不安)だけに絞っているのは、非常に狭い捉え方だとも言えます。
それに、医療における霊性概念は、主にターミナルケアの文脈で扱われることが多く、もっと言えば終末期の患者の死の受容プロセスに焦点づけられているという意味においても霊性を限定的にとらえているといえます。
霊性とは全体としての人間を記述するための概念であるにもかかわらずです。
死の受容と言いつつも、それが死後のいのち、生まれ変わりといった宗教観に関わる問題と正面から向き合おうとしておらず、医療者自身の霊性意識を深める取り組みがあまり見えてきません。
キリスト教文化ならホスピス、仏教文化ならビハーラという施設もあります。
それはそれでベースとなる霊性の枠組みがしっかりとあるわけです。
が、宗教性を薄めるという場合、すべての人間にとっての普遍的な霊性と何かについて共通理解ができているのでしょうか。
たとえば、無神論者にとっての霊性とはなんでしょう?
加えて、ケアに携わっている医療者自身の宗教観や死生観をどうケアに反映するべきかについて明確な指針が立っていない限り、名目だけのスピリチュアルケアになってしまうだけです。
そのことを脇に置いてしまっては、全人的あるいは全体的なケアなどできません。
少なくとも、臨死体験や転生型事例に関する研究について学んでおくことは必要なことであると考えます。
死に直面している患者に死と死後の問題について、参考となる情報を提供することは重要なことだからです。
かなり手厳しく述べましたが、これが日本の現状だということです。
日本的霊性(Jスピ)
日本人にとっての霊性とはどのようなものなのかついて見ていきます。
急激に進んでいるグローバル化の波によって、異なる文化や考え方が交流され、相互理解が深まることがあります。
これにより、異文化間の対話や協力が促進され、多様性が尊重される社会が形成される可能性があります。
しかし、その反面、グローバル化によって、世界中の文化が同化される傾向があります。これにより、地域独自の伝統や文化が失われる可能性がでてくるわけです。
よく考えてみると、グローバルスタンダードと呼ばれているものは、結局、西洋的な価値基準に根ざしたものではないでしょうか?
欧米の価値基準が幅を利かせて、何でも欧米的なものがすばらしい的な見方を私たちは無批判に受け入れているのではありませんか?
とりわけ、全世界的に文化が同じになってしまうと言うことは、どこの国へ行っても同じチェーン店のショップがあって、同じ食べ物を購入することができ、ローカルなものが駆逐されてしまっている状態を意味します。
お国柄とか地域の個性とか、私たちが長い年月をかけて育んできたモノが、事実上の世界標準に置き換わってしまって画一化されるのです。
霊性の概念についても、人類に普遍的なものと地域に固有のものとがあります。
日本人は、昔から外来の文化を取り入れ、これを既存のモノと同化していくことで、神も仏も混在する独自の霊性文化を構築してきました。
日本的霊性と呼ぶときには、日本という国において育まれてきた民族としての精神性、伝統文化を指します。
そして、日本的霊性を守るとは、外来のモノに左右されることのない民族のアイデンティティを受け継いでいく事も含まれます。
よって、霊性については、人類に普遍的なものだけではなく、日本の文化を反映したローカルな霊性も必要になります。
急速なグローバル化によって失われるかもしれないローカルな文化にも目を向け、霊性にしても何でも世界統一の基準にしてしまうのではなく、それぞれの国や地域に固有の文化としての霊性を再確認していこうというのが、当ブログの揺らぐことのない信念です。
立教大学の研究者グループは、こうした日本人にとっての霊性概念のコアに何が含まれるのかについて、従来の研究を踏まえた上でインタビューに基づいてデータを集めています。
以下は、分析の結果得られた7つの霊性のコアです。
日本人の霊性概念
コア1.他者とのつながり
(1)個を超えたつながり⇒周囲とのつながり、個を超えた繋がり、共に生きている、個を超える、共時性
(2)先祖との融和⇒先祖との融和
コア2.自然との一体感
⇒自然に対する感受性、自然との一体感、自然との融和、癒し、パワーをもらう、絶対的受動性、自分と向き合える、畏怖する存在、神秘的なもの
コア3.畏敬の念
(1)目に見えない大いなる存在⇒目に見えない世界への意識、目に見えない存在、大いなる存在、目に見えない力、謙虚な気持ち、霊、魂、縁、運
(2)畏敬の念⇒感謝の気持ち、畏敬の念、感謝と愛、生かされている気持ち、謙虚な気持ち、清々しい気持ち
(3)宗教的なもの⇒腑に落ちる、信念、抱擁力、信じること
コア4.死を超えた希望
(1)死を超えた希望⇒目標、生を実感、生きる意義、生きる意味や目的、命の永続性、生まれ変わり
(2)死の受容⇒死の受容、現状の受け入れ、運命、無になる
コア5.安心
(1)幸福な人生⇒よりよく生きる、幸福な人生、いきがい、育む、幸福感、満足感、何もかもそろっている、喜びの共有、家族や友人の存在
(2)安心⇒安心、安寧、拠りどころ、家族や友人の存在、自然
コア6.物質主義からの解放
⇒物質主義からの解放、無心、足るを知る、精神性の重視
コア7.自律
⇒自分自身に対する客観的視点と理解、依存からの解放、プライド、他者評価への依存からの脱却
参考文献: 和 秀俊・廣野 正子・遠藤伸太郎・満石 寿・濁川 孝志 2014 日本人の持つスピリチュアリティ概念構造の探索的な分析~心の問題から生じる社会問題の解決に向けて~ 立教大学コミュニティ福祉学部紀要,16, Pp. 39-50. に基づいて構成
これがいきなり宇宙に飛ばない、日本人にとっての霊性概念のコアです。足下をしっかり見つめ、地に足をつけつつ魂の成長をめざすためにも、今の自分がどう位置づけられるのか振り返ってみるといいでしょう。
ここにあげたような要素を育み、強化し、維持するためには、これらを普段の生活の中で実感を伴って経験していることが前提となります。
霊性とは霊的な実践を通じて体感的に学んでいくものです。しかも、学びが日常生活の一部になっている状態を目指します。
それに、霊的な概念は、非日常性、変性意識状態などにも通じるので、霊的感受性にも関係してきます。
たとえば、「カルト2世」の問題は、組織的宗教による自律性の剥奪に該当するものと考えられ、その意味において霊性を侵害するものと解釈できるのです。
また、霊能者にまつわる問題点は、安心、物質主義からの解放、依存しない生き方を脅かす、あるいは侵害しているという点で、アンチスピリチュアルです。
依頼者・クライアントを霊的な依存状態に誘導するようなふるまいは、彼らの物欲を満たすための道具にしていくプロセスに他なりません。物欲全開の悪徳の人がいることは残念です。
さらにツッコミを入れます。
スピリチュアルなグループや教団の中で、一人の指導者や教祖に対する強い依存が生じることがあります。信者は指導者の言葉や指示を絶対的な真理と受け入れ、自己の判断や自己の成長を犠牲にすることがあります。
このような依存関係では、個人の意志や自己表現が抑圧され、心理的な依存や個別の判断力の低下が起こる可能性があります。
スピリチュアルな信念や実践によって、人は心の安定や安心感を得ることがあります。しかし、過度の依存が生じると、人は自身の心の状態や幸福感をスピリチュアルな要素に完全に依存し、それ以外の手段や健全なコーピング戦略を見落とすことがあります。
このような依存関係では、個人の心理的な弱さや自己肯定感の低下が生じる可能性があります。
また、スピリチュアルな信念や実践を共有するコミュニティやグループに所属している人々は、同じ価値観や興味を持つ仲間との絆を強く感じることがあります。
しかし、過度の依存が生じると、人はスピリチュアルなコミュニティ外の人間関係や社交活動を避ける傾向があります。これによって、個人の社会的なつながりや多様な経験が制限され、孤立感や社会的な問題が生じる可能性があります。
スピリチュアル界隈を眺めてみても、自律とは真逆の依存へ陥る可能性を指摘することができるのです。
このように、現代日本の抱える問題の多くは、上の7つの霊性カテゴリーに反する行動、意識が優勢になっていることに尽きます。
霊性崩壊が深刻化していると言えるでしょう。
生まれかわりの信念
上にあげたような日本人の霊性概念の中でも、死を超えた希望、すなわち命の永続性、死後の世界や生まれ変わりに関する信念が自殺に対する意見や態度にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
この点について、興味深い知見があるので紹介します。
堀江 宗正 2014 日本人の死生観をどうとらえるか──量的調査を踏まえて 臨床死生学・倫理学研究会(東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター, 主催: 上廣死生学・応用倫理講座), 2014.4.16, 東京大学
この報告では、インターネットユーザーの男女1038名(20歳~59歳)を対象に調査をおこない、データを得ています。
質問項目「死後も魂は残る」と「宗教を信じている」を組み合わせて、調査対象者を4つのタイプに分けています。
タイプ1.宗教も死後生も信じる……………… 12.7%
タイプ2.宗教は信じないが死後生は信じる… 40.3%
タイプ3.宗教は信じるが死後生は信じない… 4.2%
タイプ4.宗教も死後生も信じない…………… 42.8%
このような分布になりました。
堀江 2014 調査対象者の4つのタイプ
つまり、宗教も死後生も信じない=何も信じない人が4 割で男性が多く、加齢とともに微増するということ。
宗教は信じないが死後生を信じる人=非宗教的スピリチュアリティに関心がある人も4 割ほどいて女性が多く、男女では年齢が若いほど多いという結果になっています。
この4つのタイプと自殺に関する項目との関連を見たところ、「自殺は絶対すべきではない」という意見において、統計的な有意差が得られました。
すなわち、自殺に対して否定的な意見を持つ人は
タイプ1…77.3%
タイプ2…73.9%
タイプ3…72.7%
タイプ4…61.3%
でした。
つまり、宗教も死後生も信じる人がもっとも自殺に否定的で、宗教も死後生も信じない人は自殺に否定的な人が相対的に少ないという結果になったのです。
死後生、生まれ変わり、自殺者の魂の苦しみを信じる人は、そうでない人に比べて「自殺は絶対すべきではない」と答える人が多かったのです。
「自殺者の魂の苦しみ」という考え方は、キリスト教やスピリチュアリズム系の思想ではよく言われます。しかし、仏教ではそれほど強調されないものです。
そうした違いはあるものの、宗教を信じている人でも概して自殺に否定的でした。
このことから、宗教や死後生を信じる人は、そうでない人よりも自殺に強く反対するということが言えます。
「生まれ変わり」の信念は自殺を促すという、評論家などが唱える「俗説」は明確に否定されたのです。
死生観には、死に関する経験、自殺、死のタブー、遺言、死刑、死後生など、様々な要素が含まれています。
一般には、「死んでも生まれ変わる」という考え方を支持する子どもが一定の割合で存在するとされていますが、このことが直ちに自殺を引き起こす原因になっているから危険なことだと断定するのは的外れな指摘と言えます。
確かに日本ではアニメやゲームに死に関するシーンが出てきて、死後の世界を描いていたり、何度でもリセットをかけて「復活する」こともできますし、「転生」をテーマにしたメディアの情報もありふれたものになっています。
そういう情報に接触することによって、子どもが死後生や生まれかわりの信念を受け入れる可能性はあるでしょう。
ですが、転生型事例の研究を見れば分かるように、子どもが言葉を覚えた頃から自発的に「前世の記憶」を語り始め、その内容が事実関係と一致していて、前世の家族や友人のことを細かく見分けて、個人的なエピソードまで言い当て、身体的特徴や行動的な習慣まで過去生人格と酷似しているなどの特性は、どう説明するのでしょうか。
これはもはや外部から植え付けられた「信念」とは別物なのです。
子どもが生まれかわり思想を親や身近な人物から教わったり、絵本を読み聞かせたり、メディアから情報を得て、「前世の記憶」を創作したのだ、とは解釈できない事例が世界中から報告されているのです。
評論家などは、こうした事例についておそらくは知らないのだと思いますが、自殺の件についても、自分から死を選んでも悩みや苦しみからは逃れられず、「反省部屋」で内省を余儀なくされ、次の世でもトラウマを抱えて悩むことになるといった事例報告を読めば、「前世の記憶をもつ子どもたち」が自殺に対して否定的な意見を持っていることは容易に推測できるはずです。
死ぬことで悩みや苦しみからは決して逃れられず、悩みの続きを別の場所で味わうことになるだけだからです。
おわりに
以上、霊性をキーワードに色々と述べてきましたが、霊性を学ぶとは、つまるところ、自分の経験や霊的な実践を通じて獲得した智慧が体現されるようになることです。
おそらく、これからの時代、個々人がスピリチュアルな経験や信念を持ちながら、特定の宗教や組織に所属していない状態がメジャーになっていくでしょう。
スピリチュアルな人々は、通常、宗教的な信念や慣習には縛られず、自分自身や世界の意味や目的について探求する傾向があります。
彼らは、日常生活の中での自然や人間関係、精神的な経験を通じて、より大きな存在や意味について考えることがあります。しかし、特定の宗教の信条や儀式には頼らず、自らの内面的な探求に焦点を当てる傾向があります。
アメリカではSBNR=「Spiritual but not religious」と呼ばれている人々は、宗教的な組織や権威に対する信頼が低いことが一般的です。
彼らはしばしば、自己の内なる声や直感、または自然界や他の人々とのつながりを通じて、スピリチュアルな成長や理解を追求します。また、個々人の経験や信念が尊重されることも重要視されます。
SBNRの考え方は、近年特に西洋社会で注目を集めています。けれども、日本では大昔から神も仏も何でもありで混ぜこぜの状態が続いてきたわけで、特定の宗教に固執しない精神性を持っていますね。
伝統的な宗教への関心が減少したら、個人の探求や自由な信仰が尊重されるようになっていくものです。既存の宗教的な枠組みにとらわれずに、自由なスピリチュアルな旅を楽しむことを選択していく方向に変化していくのでしょう。
いずれにしても、霊性に関する理解なくして、人間とは何かを知ることはできません。
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