秦霊性心理研究所
所長 はたの びゃっこ
前回の記事では、いわゆる引き寄せの法則に関する言説をとりあげ、それが19世紀のアメリカにおけるニューソート運動の延長線上にあること、心理学的な観点から見ると自己成就的予言の概念をあてはめれば説明できること、それを過信したり妄信することによって認知バイアスが増幅され、自己や他者に対する見方が歪められることなど、具体的な論点を示しながら考察しました。
私たちは霊性の実践に携わる者たちであり、加持祈祷などの活動をベースに、その理論的な根拠なり、効果の裏付けとなるデータも得ています。この分野では25年以上の実績はあります。
単に祈っていればなんでも解決するとか、祈りによって意識の超越が起こるとか、霊性が深化するとかなどと、いきなり飛躍した論理から述べているのではありません。私たちは先哲が残した業績に学び、つねに研鑽しながら、加持祈祷に関する理論と実践を編み出してきました。
それには、学術的な分野での知見にも目を通し、自分たちの実践活動においても仮説を立ててこれを検証し、エビデンスの積み上げをする努力も必要だと考えているわけです。こうした実証主義的な態度がなければ、多くの人々に役立てる知見は得られないと考えています。
「知らなかったわからなかったというのは罪。知識だけあって行動しないのは空しい。知識があって行動するものだけが優れた人」と言ったのはソクラテスですが、この格言は真理の一つであると私は思います。
引き寄せの法則を今回取り上げたのは、これを金科玉条のように持ち上げる人々がいる一方で、批判的な見解や知見も多く出されていて、実証的な根拠がないと断じられているためです。思考停止、あるいは無批判にある信念を受け入れてしまうのではなく、少し立ち止まって考えてみようとする姿勢が必要なのではありませんか?
ポジティブ思考や感情が、人の行動傾向や幸福感にどのような影響を及ぼすのかという点に着目して、私は実証研究を行ったことがあります。今回は、その内容の一部を公開します。
調査対象
国立大学の心理学講義を履修している大学生305 人に調査への協力を依頼した。そのうち、303 人(男性 122 人、女性 181 人)から、有効回答を得た。有効回答率は 99.3%である。年齢は、18歳から 25 歳、平均年齢は、19.91 歳である。
心理テスト1・・・内的統制尺度
これは、自分の身の回りで起こる出来事を、自分の主体的な意志によってコントロールすることが可能であると信じているかどうかをみるためのテストである。以下のような項目が調査票に盛り込まれた。自分の意志で出来事をコントロールできると信じているほど高得点になるように換算された。
補足.内的統制(internal locus of control)とは、自分の能力や努力によって強化が統制されているという信念である。内的統制型の人は、物事の結果(成功・失敗問わず)は自分自身の能力や努力によって決まると考える。内的統制型は、外的統制型に比べて、成功・失敗を自分の行動や特性に随伴しているものと捉え、周囲の環境に対して統制可能感を抱いている。内的統制型は、建前を気にするものの勤勉性と知性が高い傾向がある。
一方、物事が起こった原因が自分の外にあると考えることを「外的統制」(external locus of control)という。外的統制型の人は、物事の成功や失敗は他人や周囲の状況によって変わると考えている。結果の原因は自分ではコントロールできないと思っているため、周囲に大きく影響されやすい傾向がる。他人の言動や行動を常に気にする傾向もあります。
内的統制と外的統制は、自分の行動をコントロールしていると見なす意識の所在が、内(自己)か外(他者)かで「自己解決型」と「他者依存型」とに分類する考え方に基づいています。
項目例
- 幸福になるか不幸になるかは自分の努力次第だと思う
- 努力すればどんなことでも自分の力でできると思う
- 努力すれば自分は立派な人間になれると思う
これは建設的思考,いわゆるポジティブ思考の程度を測るために構成された心理テストである。以下のような項目から構成されている。「ポジティブ思考」が強いほど高得点になるように換算された。
項目例
- 不確かなときにはたいてい良い方向に考える
- いつも物事の良い面を見ようとする
- 自分の将来に関して楽観的である
これは、この世界の本質を善であると信じる(性善説)か、悪であると信じるか(性悪説)という個人の世界観に関する信念をみるためのテストである。性善説を信じるほど高得点を取るように換算された。
項目例
- 人間の本性は悪だと思う
- 戦争はなくならない
- いつの日か民俗や宗教の壁を越えて人類は連帯するだろう
☆脅威の評価・・・ここ半年間の間に、“最も強くストレスを感じたこと”として選んだ出来事を思い出してもらい、そのとき、あなたはその出来事に対してどのように感じたか、「ややつらかった」、「かなりつらかった」、「非常につらかった」の3段階で回答を求めた。
☆コントロール可能性・・・ここ半年間の間に、“最も強くストレスを感じたこと”として選んだ出来事を思い出してもらい、そのとき、あなたはその出来事を自分で何とかできると感じたか、「全くできると思わなかった」、「あまりできるとは思わなかった」、「かなりできると思った」、「完全にできると思った」の4段階で回答を求めた。
さらに、自分が直面したもっとも強いストレス源に対して、具体的にどのような対処行動(ストレス・コーピング)をしたのかを質問した。
補足.対処行動(ストレス・コーピング)とは、ストレス反応やストレスの原因に対してうまく対処しようとする行動。コーピングはメンタルヘルス用語で、「問題に対処する、対応する」という意味。ストレスコーピングは、ストレスの原因(ストレッサー)にうまく対処しようとすることを指す。ストレッサーによって過剰なストレスが慢性的にかかると心身へのさまざまな悪影響が考えられるため、健康を維持するにはうまくストレスコーピングすることが必要になる。
ストレス状況への対処行動には10種類のものがある。
- 被支持、協力・援助の依頼・・・「自分の立場を人に理解してもらった。」、「人に問題の解決に協力してくれるように頼んだ。」
- 開き直り・あきらめ・・・「なるようになれと思った。」、「どうしようもないのであきらめた」
- 再検討、努力、計画・・・「状況を思い返し、それを把握した。」、「現在の状況を変えるよう努力した。」、「どうしたらよいか考えた。」
- 注意の切り替え、問題の価値の切り上げ・・・「今直面している問題から得られるものを捜した。」、「今の経験はためになると思うことにした。」
- 自己制御・・・「気晴らしや憂さ晴らしになるようなことをした。」、「自信を回復できるようなことをした。」
- 攻撃、正当化・・・「問題を起こした人を責めた。」、「自分には責任がないと思った。」
- 待機、静観・・・「状況が変化して何らかの対応ができるようになるのを待った。」、「事の成り行きを見守った。」
- 情報収集・・・「情報を集めた。」
- 逃避・・・「現在の状況から逃げた。」
- 問題の価値の切り下げ、思考回避・・・「ささいなことだと考えた。」、「過ぎ去ったことはくよくよ考えないことにした。」
結果
ストレスへの対処行動に、個人の信念やストレスフルな出来事に対する評価がどのような影響を与えているかを明らかにするための統計的な解析を行った。
分析の結果、強い関係とは言えないが、内的統制の信念を持っている人ほど、開き直りやあきらめ、逃避、問題の価値の切り下げ・思考回避と言った消極的なストレス対処をしなくなり、再検討・計画・努力、注意の切り替え・問題の価値の切り上げ、情報収集といった積極的、能動的なストレス対処行動を採用する傾向が見られた。
これに対し、楽観性(ポジティブ思考)は開き直り・あきらめ、問題の価値の切り下げ、思考回避といった消極的な対処を増やし、自分の直面している問題から有効な解決を図ろうとする行動・思考パターンは出て来にくいことが明らかになった。
暗黙裡の世界観(性善説)は情報収集を減らす影響が認められたが、全般的にストレス対処行動には影響を及ぼしていなかった。
また、こうしたストレス対処行動と、個人の主観的な幸福感との関係を検討したところ、再検討・計画・努力を多く行い、開き直り・あきらめを行っていない人ほど、幸福感が高いことが示された。
さらに興味深いことに、楽観性(ポジティブ思考)は自分の人生に対する満足度、精神的な充実度(生きがいなど)といった個人の主観的な幸福感を強化することが認められた。しかし、内的統制の信念や暗黙裡の世界観は主観的な幸福感に対しては影響を与えていなかった。
以上のデータから、自分が直面している悩みや問題に対して行動面で積極的に対処していこう とする傾向は、主に自己の主体的な意志を重んじる内的統制の信念であって、いわゆる楽観性(ポジティブ思考)ではないということが明らかになった。
ポジティブ思考は主観的な幸福感や生きがい感を強める傾向が認められたが、行動面では問題に対して開き直ったり、あきらめたりし、思考面では問題の認識を自我防衛的に切り下げたり、深く問題を考えないといった形でしか対応しない習慣を強化してしまっているということである。
考察
留意しなければならないことは、ここで言う内的統制の信念は現世的な信念に関わるものであり、自己のカルマや前世の問題といった側面における「自由意志」にまでは(当然ながら)範疇に含まれていません。
ただし、転生型事例の研究の記事で述べたように、仏教的なカルマの法則は必ずしも当てはまらず、自己決定によってカルマの作り直しをしている事が示されているので、結局は自分が自らの行いを振り返り、全ての責任を引き受けて、これを変容していかなくてはならないようです。
主観的に今の自分を幸せだと言い聞かせることはできても、具体的な問題解決のためのアクションと成果を伴わなければ、それはただの自己満足以外の何者でもありません。
また、主観的に幸福であると感じている状態は、必ずしも外的,客観的にそれが体現された自己実現者、自己超越者としての自分を必ずしも保証するものでもないのです。
実際に自分が抱えている問題や悩みと向き合い、これを克服するために努力をしていこうという思考習慣の背景には、「自己の主体性の自覚」が要件の1つであることが、データ的にも示されたと言えるでしょう。
まとめ
私の得ているデータによれば、「ポジティブ思考」だけでは、現実に目の前で起こっているストレスの原因、悩みや苦悩を解決できないと言えます。もっと年齢層を広げてみれば別の結果が出るかもしれません。
ただし、自己責任という概念は、本来「自分の行動には自分に責任が存在することや、自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うこと」という意味です。
何でも自分が悪いのだと責めるようになると、今度はうつ状態になり、「この世から消えてしまいたい」、「自分の存在価値などない」「すべてをぶち壊してしまいたい」など平常心を失うことになります。
そういう意味で、世間で言われている自己責任論というのは、全てが個人の責任であり、自分が引き起こしたことの尻ぬぐいは自分でしろと言っているようなものです。
これはこれで、極端な発想になり、他力による救い、サポートを求める自体が甘えであり、間違いだという冷酷なバッシングにもつながるのです。
もちろん、自分の行いには「自業自得」という側面もあり、冷静に考えれば身から出た錆の場合もあるかもしれません。
でもよく考えてみて下さい。
一生懸命に頑張って、頑張りすぎて、心身を病む人がいます。
だから、時には肩の力を抜いて、頑張ってきた自分をいたわり、自分を褒めること、自分にご褒美をあげることも必要です。
かといって、自分の身に起こった出来事を全て周りのせいにしたり、「こんな自分にした世間が悪いのだ」という考えに走ると、自暴自棄にもなります。
私が言いたいことは、自力と他力のバランスをとってほしいと言うことです。
自分の信念、信仰をどのような局面に立たされても決して曲げない「心のバネ」、そして「精神的支柱」を打ち立てることが必要です。
「状況を思い返し、それを把握する。」
「現在の状況を変えるよう努力する。」
「どうしたらよいか考える。」
などの自己分析力を失わないようにして下さい。
また、客観的に今の自分の状態を振り返り、視点を変えてみることも問題の解消に役に立ちます。
「今直面している問題から得られるものを捜した。」
「今の経験はためになると思うことにした。」
このことが自分自身の生きる力を奮い立たせる秘訣なのです。
自分の限界まで頑張ってきたのに結果が出ないのは、誰のせいでもないことにも気づいて下さい。人間、生きている限り、イヤな出来事がまとまって降りかかることがあります。
そこで開き直ったり、諦めたりするのではなく、最後の最後には自力でやってきたことが「他力によって報われる」日が必ずやってきます。
土壇場まで追い詰められた人間には「火事場の馬鹿力」も働きます。この馬鹿力こそ「他力による救いの手」なのです。
自力と他力の問題については、霊性の重要なテーマでもあるので、別の機会に改めて論じます。
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