こんにちは。 

 

今回は人間の世界が何故こんなにも不幸な状態なのか、その根本原因について考えを述べたいと思います。根本原因を把握してその点を正さない限り、この世界で山積みのあらゆる問題にそれぞれ対処したところでそれらは大きな視点から見れば実のところ枝葉の問題解決にしか過ぎず、問題に共通する一つの根っこが存在するのであり、病気の治療法で例えれば、病気の原因そのものを除き身体を本来の状態へ導く根本療法ではなく、上っ面をやり過ごすだけの対症療法にすぎないことと同じ類となるからです。

 

先ず最初に日本の悲惨な現状について正確に把握出来ていない日本人が大多数を占めているのが現状でその点について触れておきたいと思います。日本人の皆さんの大多数はいまだに政府の対応は酷いと感じながらもそれでも私たち国民のために存在していると思い込んでいるようですが、そこがそもそも全くの見当違いであり、政府と報道機関は戦前同様の大本営発表状態で日本は「傀儡政府対日本国民」と言う構図の既に戦時下にあります。戦前の出来事で言えば、今の私たちから見れば非常に馬鹿げている戦闘機B29を竹槍訓練で迎え撃つこと、B29が現在の新型コロナで竹槍訓練がワクチンと言う名の毒注射や新生活様式に相当すると例えれば類推しやすいでしょうか。私自身がなんとなくおかしなことが多いと感じながらこの世界が如何に欺瞞に満ちているのかに本格的に気付くきっかけとなったのは傀儡政府によるこの「コロナ犯罪」でした。コロナ犯罪についての詳細をアメブロ「真の聖書福音と預言」著者のミカエルさんが以下の頁でまとめて下さってますから他人事と思わず今後もずっと関わってくることですから必ず確認なさることを推奨します。自分の選択はいずれ必ず自分に返って来ることはものの道理。また同ブログ記事「日本人の問題点一」から全五回に渡る記事でも日本の現状をまとめて下さってます。現実をきちんと把握出来なければ適切な判断、対応は不可能ですからご確認お願いします。そして大手報道機関の偏向報道、嘘情報からだけでは知り得ない日本の現状を知れば非常に厳しく受け入れ難く認知的不協和も生じるとは思いますが、現実ですから事実をきちんと受け入れるべきです。

 

 

私が世の中には沢山のおかしなことがあると言うことに気付くきっかけとなったのはもう随分前のことですが、毎年繰り返す花粉症と服薬の関係はその一つでした。根本原因の解決にならない症状緩和のためだけに毎年ひたすら服薬することに疑問を感じたのです。原因とされることだけが本当の原因なのか、本当の原因を改善する方法は他に存在しないのかなど。西洋薬で症状緩和するだけの選択肢以外を自分から探して考えるようになり、その過程で劇的に改善したのが自分で選んできた食事の内容をガラッと変えてみたことでした。また私は冬場になると肌の乾燥や湿疹が酷くなりこれも西洋薬を塗ることで対処してましたし、勝手に耳に入って来た情報だけから皮膚が弱いのはそのような体質だからと思い込んでいましたが、ある時目にした石鹸の蘊蓄をきっかけに乾燥や湿疹の大きな原因が自分の体質と言う内因性ではなく外因性であることに気付きました。使用していたシャンプーなどの洗浄剤、界面活性剤には「石鹸」と「合成界面活性剤」など複数あること、製品で使われている石油由来の化学物質である原材料に実は皮膚の症状の原因があったことを、使用する洗浄剤を合成界面活性剤の製品から化学物質無添加の石鹸へ切り替えることで自分の身体に起こった変化から知ることが出来たのです。これらの体験は、与えられる情報や漫然と取り込んでしまった情報を鵜呑みにすることなく精査し、かつ自分で更に情報を求めて比較して考えることの重要性、それを踏まえてでは自分は何を選択するのか都度意識して選ぶことが如何に重要なことかを気付かせてくれる経験でした。現代社会は多くのもので溢れて選択肢も沢山あり一見すると私たちにとって大変豊かに見えるけれど、実のところ、それらは必ずしも使う側には益になるものばかりではなく不利益を被るものもあり、むしろその方が多いのが現状で、本当に良いもの、本当に重要なこと、本当に大切なことなどはごく僅かであると言う概念を私の中に認識させてくれました。

 

話しが逸れたので日本の現状に戻します。以下は二千二十一年(令和三年) の冬頃に私が綴った文章ですが、加筆修正して転載します。新型コロナ犯罪の始まりは二千十九年(令和一年)の冬頃でした。

 

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令和2年人口動態統計(人口動態統計令和二年 概要 年次推移 死因分類別)死亡数は前年より8,338人『減少』し、11年振りの『減少』。新型コロナウイルス感染症死亡数3,466人で死亡総数1,372,755に占める割合僅か0.3%。予防のワクチンも治療薬も既にあるインフルエンザで死亡数令和元年3,575人、令和2年956人。比較してみてもどこにも問題などないです。感染して、殆どの人が無症状・軽症で済むだけのこの新型コロナウイルスに一体全体どんな問題があると世の中の人は考えているのでしょうか。倒産・失業者増大を招いて経済破壊に至るような対策は明らかにおかしいです。

 

人々はテレビと政府が言っているからと言うだけで、その科学的根拠が一切ないにも関わらず、人間らしさからは程遠い「新生活様式」に従い続け、ほぼ受け入れてしまいました。政府やメディアから元の生活に戻しましょうとは今後も一切言うことはないと判断しました。内閣府HPのムーンショット計画を確認すれば元の生活へ戻す気などないことは明白です。なので国民が自発的に行動を戻さない限り元の生活には戻りようがないので、このおかしな状況に終止符は打たれないと思います。

 

支那では既に街中至る所にカメラが設置されて超監視管理社会の下地が地域によっては完成してます。また、海外例えば自由の国オーストラリアでは既にマスク未着用で逮捕されるようになり、伊、仏、独などではワクチンパスポートがなければ社会的不利益を被る社会になりました(現在は、平和ボケした日本人と異なり市民が行動を起こし抵抗することで、法律など撤廃されマスク未着用の社会に戻せているようです)。日本でも現在着々と超監視社会構築へ向けて準備を整えています。犯罪防止を理由とした公共交通機関等へのカメラの設置。新コロをダシにした顔の画像まで取り込み記録出来る体温計測機器は今後撤去されることはないです。全く必要ないマイナンバーカードを特典を盛り沢山にして国民全員に持たせようと必死なのは支那のような国による国民管理一元化のためです。今後は日本も有効性も安全性も確立していないワクチン接種を受けていなければ不利益を被るようなワクチンパスポートを普及させていくことでしょう。危機感のある市民団体はその危険性を訴えてますが人々は無関心でグルの大手メディアも報道しないので情報も広まりません。現金の利用を減らしてデジタル決済を促すことも管理する為の布石です。2024年に迫った新券切替もどんな風に国民を追い込むことに利用されるかわからないです。日本でも戦後財産税と預金封鎖がセットで実施されました。長い歴史から見ればついこの間のことです。法律の面で言えば2017年共謀罪(戦前の治安維持法に相当)が強行採決されました。共謀罪は「テロと無関係な犯罪を多数共謀罪の対象犯罪に指定する一方で、国家権力の犯罪行為や経済的強者がかかわる犯罪は最初から共謀罪の対象から除外しているという意味である。それは財界や国家権力の利益を守るために、一般市民の生活や言動を逐一監視し、もし国家権力にとって都合の悪い行動をとれば、即処罰・拘束できる体制(長州新聞より引用)」と言うものです。これについて日弁連は廃案を求めてますがメディアが情報発信に力を入れないので殆どの日本人はこの危険性を知らないと思います。デジタル監視の為のスーパーシティ法案も既にこっそりとスピード可決されました。これも殆どの国民は知らないでしょう。そしてこの春ついに憲法改正に関わる国民投票法改正案が成立してしまいました。自民党草案の内容は大変恐ろしい内容です。国民の生活を守る政治は間違っていると議員は発言してます。過去の自民党議員のこれらの発言を「小畑幸三郎さん ユーチューブ」で動画で確認出来ます。そんな改憲派自民党が毎回政権を取るような日本に明るい望みなど一切ないです。最高法規憲法九十七条基本的人権は削除され、ナチスを模した(緊急事態宣言とは似て非なる)緊急事態条項の創設が組み込まれてます。日本国憲法では先の帝国憲法の反省から拷問は絶対禁止となってますが、草案からは「絶対」の文字が外されました。共謀罪も成立したし、拷問死を受けた小林多喜二のかつての日本へ近い将来逆戻りです。資金力のある改憲派は今後メディアを利用して改憲の流れを作ると思います。日本国憲法は自衛権まで否定していないのでそれを理由に改憲など必要ないにも関わらず、例えば支那などの脅威を煽りそれを理由に改憲が必要だと世論の流れを作ると思います。国防など、戦争出来る体制を整えた時点で国連憲章敵国条項へ引っ掛かり、連合国(支那など)が問答無用で日本を攻撃しても良い口実を与えることになる問題があるにも関わらず、この問題についてもメディアが取り上げないのでメディアの改憲プロパガンダに流されて日本人は自分たちの首を絞める改憲支持する確率が極めて高いと今のマスク社会を眺めて私は考えます。

 

来年一月一日にはRCEPも発効されてしまいます。RCEPでは支那が大きな力を持っています。RCEPの危険性について以前少し触れました。TPPの時はメディアが取り上げて危機感を持った人や農家の方などが反対運動をしてくれましたが、TPP以上の不利益を被るRCEPについてはメディアがデメリットについて積極的に取り上げないので殆どの日本人はこの危険性を知らないです。RCEPを知ったところで平和ボケして危機感のない日本人はどんな内容か調べる人は殆どいないです。ただでさえ経済が疲弊し失業者も増えているところへ外国人が家族同体で、実質無期限で日本に滞在出来るようになる、実質移民の大量受け入れ開始です。差別するわけではないけれど、日本語も話せない、文化も全く異なる外国人が大量に入ってくれば問題は多発して治安もどんどん悪くなる埼玉県川口市殺人未遂で不起訴処分)のは海外の移民政策を振り返れば明らかです。日本は現在五十人に一人が既に外国人だそうです。日本人と外国人の人口比率が逆転するのももう間近だと思います。ただでさえ人口減少しているのに、ワクチン接種開始から人口動態統計の死者数が毎年の平均値よりも大幅に上回り急増している事実もメディアは伝えないのでワクチンは安全と思い込み、政府やマスコミの言うことを疑うことを知らない日本人は今後も次々追加接種すると思うので死者数は更に膨れていくと思います。これで外国人の投票権なども認められるようになれば、数で負けて日本人の為の政策などされなくなり、日本人の血税で外国人を助けて、自分たちの子どもに明るい未来などない社会を引き継ぐことになります。

 

日本の自給率の低さはご承知の通りです。そこへ持ってきて「種子・化学肥料・農薬」の3点セットは殆どが海外に依存している現実があります。これらの輸入が、昨今の異常気象・これから高い確率で起こされるであろう戦争(先の戦争同様、共謀罪成立や改憲準備、国民の分断など既に前哨戦に入っている)などにより、輸入が途絶える危険性は今後非常に高いです。お金を蓄えていればどうにかなるような問題ではない事は明らかです。そう言う事態になればみんなが自分や家族が生きる為だけに精一杯になります。今から準備を始めても遅いくらいなのに、目に見えて事態の悪化が判るようになった時点ではもう為す術もないです。

 

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以上が私が知り得たことを当時まとめたものになりますが、政府や報道機関が意図的に嘘をつくことがないと信じて疑わない皆さんの認識と比べていかがでしたでしょうか。

 

次に、日本のおかしな現状、いろいろなことに気付き日本の行く末を考え、自分の思いに従い活動をされている方へ歴史について確認して頂きたいことがあります。それは日本の間接支配の始まりを戦後GHQからと思い込まされている点です。この認識でいる人の多くが、戦後GHQの間接支配の指摘をする新しく出てきた政党、例えば参政党などを支持して積極的応援することで日本を取り戻せると考える方が多いように見受けられますが、これも全くの見当違い。間違った歴史認識が皆さんの判断を誤らせています。日本の間接支配の始まりは戦後GHQからではなく、売国奴薩長の明治維新、国家転覆からです。この歴史についての確認はミカエルさんのブログ「真の聖書福音と預言」の「このブログを検索する」機能を利用して鍵となる言葉で検索して頂くと沢山の情報が見つかりますのでご確認下さい。売国明治政府は詐欺信用創造を利用する日銀を創設して、日本政府が日本銀行(日銀券)を利用することで、国際金融資本が日本人から搾取出来る仕組みを作りそれが今日にまで至ってます。日本政府は貨幣の製造及び発行を出来るにも関わらず、現在政府が発行しているのはその証である日本国の刻印がある硬貨のみ。しかも硬貨は製造、発行までは出来ますが、これを通貨として機能させるためには日本銀行へ一度納めないと通貨として機能出来ないように法律で仕組まれています。故に、素人考えですが「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」第四条三項、第五条、第六条などを政府が硬貨のみならず紙幣も製造、発行そして日銀を利用しないで通貨として機能出来るような内容に法改正すれば通貨発行権を取り戻すことになるのではと思いますが、兎に角この信用創造を含めたおかしな点をどの政党、議員も一切指摘しないことが政治は茶番に過ぎないことを証明していると私は考えます。この点について「債務貨幣制度」の研究をされていた経済学者山口薫さんは同志社大学から追放されて裁判で争ってます。私のような一般人でも理解できる問題点を果たして他の経済学者は理解出来ないのでしょうか。理解出来ないならば経済学者の看板をおろした方がいいと思います。話しを戻しますが、このように国は明治維新から既に間接支配下にあるため国会での与野党のやり取りは日米合同委員会で指示を受けた任期切れのない官僚が台本を書いて議員が国会で茶番を演じているに過ぎず、現実は既に日本が「傀儡政府対日本国民」と言う構図の戦時下にあり、新しい政党はそのことに気付かせないためのいまだに政治でどうにか出来ると錯覚させるため、国民が自分たちで行動を起こさないように持って行くこと、時間稼ぎが目的だろうと思います。

 

では、冒頭に述べた「根本原因」に話しを移したいと思います。先日ある方からご質問を頂き差し上げた返信を編集して以下に転載します。

 

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社会の良く仕方や、人間の原点って、どんなものだとお考えですか?

 

どのように書けば上手くお伝え出来るだろうかと思いました。「原点」とは精選版日本国語大辞典によると「物事を改めて考えたり、行動したりするときなどに立ち帰るべきもとになるところ。」とあります。二つのご質問に一言で答えるならば、全ての人間が、あなたがこの世界で唯一の存在であることと同様に、唯一の存在である本物の神に立ち返ることです。答えとしては実に簡単なんです。ただ簡単に答えられることとは裏腹に、実際には、それがいろいろな意味に於いて現実の世界に落とし込むと言えばいいのかな、人間の原点とは人間本来の生き方と言い換えることも出来ると思うので、実に難しいことになります。その唯一本物の神のご性質、わかりますか。慈愛と公平・公正の義なるご性質で、これらのことを唯一人間にも求められる方(ミカ書六章八節「人よ、何が善であり主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと、これである。」)です。このご性質を、その他の神々と呼ばれるものは一切持ち合わせておらず、人間にも一切求めることはない、即ちまがいものです。そして多くの日本人は神社、寺などへこれらまがいものに対して単に先祖からの習慣だからとか、よく考えもせずに参拝に行くでしょう。このことを真剣に考えれば本当に悪習慣以外の何ものでもありません。そこで願うことは、多くの人は自分や身内の御利益に関して願っているのではないでしょうか。社会が良くなるように願っている方も勿論いるのでしょうが、その願いの根底にあるものはおそらくやはりそれが「自分のため」にもなるからだろうと思います。でもこの回答だけだとなんだか宗教めいてなんのことやらって感じてしまうのかなと思います。

 

社会の良く仕方、それは人間が「原点」に立ち返る、即ち「本来の生き方」に立ち返ることで、結果的に社会は自ずと良くなっていきます。私に言わせればその「原点」が唯一本物の生ける神と言うことであり「唯一本物の生ける神に立ち返ることが人間本来の生き方」になります。何故神に立ち返ることが問題解決になるのか、それはこの世界の全ての問題は表面上では確かに異なる形で点在しているけれど、実のところそれぞれの問題に共通した一つの「根っこ」があるからです。諸々の問題は、ある植物が土の上のあちらこちらから生えている状態に例えられ、その辺りの土を全て掘り返してみたら別々に生えていたと思い込んでいたものが実は土の中では一つの「根っこ」から伸びていたと言うことと同じです。この共通した一つの「根っこ」が、全ての人間が持っている「自己愛」なんです。例えばあなたは次のように書かれてましたね。

 

典型的な例として一つ挙げるなら『あのマルシェは売れるから参加しよう』『こっちのマルシェは売れなくなったからやめよう』みたいに、自分の利益第一で参加するマルシェを決める出店者。残念なことに多くの出店者がこの傾向を抱えています。

 

「自分の利益第一」はどこから来るのか、正に各人の「自己愛」に起因している、私はそのように考えるけれど、あなたはどう思いますか。主イエスが全ての人間、当時を生きた人間から現代に生きる私たちへ向けて説かれたことは「悔い改め」なさいと言うことでした(マタイによる福音書四章十七節)。

 

 

く・いる【悔いる】

[動ア上一][文]く・ゆ[ヤ上二]自分のした行為について、まちがいや悪い点があったことに気づき、残念に思ったり反省したりする。後悔する。「前非を―・いる」

https://kotobank.jp/word/悔いる-482250#goog_rewarded

 

あらた・める【改める】

[動マ下一][文]あらた・む[マ下二]

1 新しくする。古いもの、旧来のものを新しいものと入れ替える。「日を―・める」「第一項は次のように―・める」

2 悪い点、不備な点をよいほうへ変える。改善する。「態度を―・める」「悪習を―・める」

3 服装や態度をきちんとする。「居ずまいを―・めて拝聴する」

4 正しいかどうか詳しく調べて確かめる。吟味する。「罪状を―・める」「財布の中身を―・める」

https://kotobank.jp/word/改める-427965

 

 

「悔いる」ためには自分に悪い点や間違った点があったことを先ず認識する必要があります。認識するには比較対象が必要です。その比較対象、基準となるものが、人間は「如何に生きるべきか」についても人間へ教えている書物、人類史で最も読まれてきた聖書に書かれています。だから全ての人間が自分で旧約聖書から新約聖書までを通読確認する必要があります。聖書を確認することでやっと自分の悪い点や間違った点に気付くことが出来ます。そうして初めて人間は自分のこれまでの行い(生き方)には「改める」ことが必要なんだという思いに至るわけです。ただ、聖書を確認するに辺り、どれだけの人が「自分ごと」として読んで受け取れるのか、読書して同じ本に対する感想が十人十色であることと同様に、聖書の読み方、聖書に向き合う姿勢も千差万別であるのが現実故に、私が先に述べたような読み方や解釈をしない人もいるでしょうし、実際のところ、そう言う方の方が多いのではないかと思います。だから随分前にあなたには一般的なクリスチャンと私の聖書理解は全く異なりますとお伝えした通りです。

 

日本人は洗脳されているので念の為書きますが、義務教育であたかも事実であるかの如く教え込まれるビッグバンは未だに「仮説」にしか過ぎないのが事実であることを踏まえて書きます。旧約聖書のモーセ五書には、慈愛の神が人間が幸せであるために万物の創造時に定められた完全な理(例えば自然にも、人間が傲慢な思いに基づき手を加え壊すことさえなかったならば、そこには完全な理があることを私は感じるわけですが)、秩序、別の言い方をすると人間が如何に生きるべきかをお定めになった神の律法(それに対して人間の作る法律にはなんと悪法が多いことか、あなたならご存知でしょう)が書かれてます。その律法の中でも特に重要なものを主イエスが次の通りお話しされました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 (マタイによる福音書二十二章三十七〜三十九節)」そして「 それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マタイによる福音書十六章二十四節)」ともお話しされました。即ち、これらを一言で言い換えるならば「自己愛を捨てなさい」と言うことです。以上のことから、ご質問頂いた私の回答は「全ての人間が主なる神に立ち返ること」と言うことになるわけです。自然栽培に於いて種は最も重要だと思いますが、人間の原点について考えるためには、人間は突如偶然に発生した点として存在するものではなく、途切れることのない連続した歴史の流れの中にあっての存在、故に繋がっている歴史をとことん遡る必要があり、原点を考える必要があると言うことになり行き着くところはこの世界の成り立ちは、偶然に出来たと言うビッグバン仮説なのか、万物の創造主が目的を持って良きご計画の上に造られた世界と言う創造論なのか、答えは二つに一つと言うことになり、私は創造論が真理であると言う結論へ至りました。

 

だいぶ長くなってしまいましたが、私の言わんとすることは伝わりましたでしょうか。先に上げた御言葉の続きは非常に大切なので、あなたにも速やかに、真剣にお考え頂きたいので、それを以下にお伝えして一旦私の返信とさせて頂きます。マタイによる福音書十六章の続きです。私は自分の生きている間に、私たちの救い主、主イエスが再臨されると言う聖書預言解釈を支持してます。私は、ご自分の信念の筋を通すことを大切になさる、あなたやあなたが信頼なさっているあの方にも、畑に於いて種を大切になさるように、先ずは何よりも人間の原点である神に立ち返ることを考えて頂いて、その上で、神から各人に与えられたことを活かされて自分がなすべきことに力を尽くして頂きたい、それが願いです。畑、野菜を守る目的はそもそも「いのち」のためだと思いますが、違うのかな。

 

マタイによる福音書 十六章二十四〜二十七節

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。

 

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また以下に別の方へ差し上げた意見を編集転載します。

 

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いかに良いものを安く買うか、という動きが増えています。良いものを安くするために大手はたくさん仕入れて単価を下げます。想いを持って行っている個人の小さなお店は大量仕入れができないので、価格は下げることはできません。自然栽培でも、オーガニックでも、安く買える方に人は集まります。

 

傀儡政府の意図的なコロナ犯罪により彼らの目的の一つである日本経済破壊の悪影響もあると思いますが、それを脇において、「安く買える方に人は集まる」を言い換えると所謂「今だけ、金だけ、自分だけ」ですよね。他人の「今だけ、金だけ、自分だけ」は側から見るのでよくわかるけれど、自分のことって人間はなかなかわからないものだと思います。これの根本原因があるんです。それは誰もが持っている「自己愛」なんです。だから神でありながら人となられた私たちの救い主、主イエス・キリストは全ての人間に向けて「悔い改め」なさい、と説いて回られました。具体的に言えば、自分ではなくて、第一に慈愛と義の唯一の神を全心で愛すること第二に隣人を愛すること、即ち「自己愛を捨てなさい」と言うことでした。

世界中で旧約聖書の「幕屋」と言うものの造り、神の社の造りが同じものは、五畿内に残るような最古の神社などであり、日本にしかありません。日本は本来一神教であり、神輿にしても、正月に餅を食べる習慣もこれらは全て旧約聖書由来です。

自然栽培では種は特に重要ですよね。同じように、日本人が今存在するのは祖先がいるからであり、種に相当する祖先について考えて、いま全ての日本人がきちんと向き合うことが大切ではないかなと思います。種に相当する祖先は原点であり原点をなおざりにしたままで、皆さんが思い思いのことを論じても、それは種のなおざり状態に起因する枝葉の部分を論ずることに相当することだから、日本と日本人はいつまで経っても良くならないですよ。私はそのように聖書通読を経て考えました。

日本人の皆さんが先ずは自分で人間の本来の生き方を記した聖書に学び、聖書の記述に照らして自分を振り返る、そして各自が自分の悪かった点に気付き「悔い改める」ことで自ずと社会が良くなって行きます。但し全ての人間が自発的に「悔い改め」を選んだ場合ですが。

神は人間が悔い改めて自分に立ち返ることを忍耐されて待ってきましたが、いつまでも待ってはくれません。作物の栽培で人間が計画を立て作業の期限を設けるように、神も神の良きご計画をお持ちで期限をお持ちです。だから皆さんも速やかに、宗教団体には所属なさらずに先ずは聖書を通読確認なさって下さい。宜しくお願いします。

 

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以上、冒頭にあげた「人間の世界が何故こんなにも不幸な状態にあるのか」ですが、さまざまな問題にある共通の「根本原因」は、私たちを創造して下さった神に背き、主なる神を忘れ去り、神が人間の幸せのためにお定めになり守るように御命令された人間本来の生き方、神の慈愛と義の律法に従う生き方から道を逸れてしまっていること、言い換えれば全ての人が「不信仰な状態」にあることが原因せす。最も重要なことなので詳細を繰り返すと第一に慈愛と義の唯一の神を全心で愛すること第二に隣人を愛すること、即ち「自己愛を捨てる」と言う御命令に背いていることが根本原因となります。この根本原因を改めなければ、即ち主イエスが「悔い改め」なさいと説かれたことをきちんと理解して主なる神の御命令に従わなければ、次から次へと違う形で永遠にいくらでも問題は発生してくることになるため、この世界は結局のところ平和な幸せな世界になどなりようがないと言うのが結論、私の考えになります。そして聖書では次のように人間へ諭します。

 

ヨハネの手紙一 二章十五〜十七節

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

 

最後に、日本人の神への認識が間違っていることに触れたいと思います。

先に少し触れましたが日本人が神社や寺へ参拝する目的はその多くが自分や身内の利益の祈願が主な目的となっているのではないでしょうか。現代人が生まれた時にはこのような神への姿勢が慣習でそれが常識となっているわけですが、常識とは多数に共通認識されることで常識になると言うだけのことであり、常識に正しさがあるかどうかは全く問われず真実か否かは全く重要視されず、神への認識は実際間違っており故に神へ向き合う姿勢は全く間違った態度と言うことになります。

 

先ず神と呼ばれるものは沢山ありますがそれらは二種類に分けられ、私たち人間を含むこの世界を造って下さった万物の創造主で即ちこの世の主権をお持ちの唯一本物の神がおられます。そして唯一本物の神でなければそれ以外の神と呼ばれるものは全て紛い物、偶像であり、そのことを旧約聖書イザヤ書四十四章を確認することで誰でも理解出来ることと思います。ところで人類史とは支配する者とされる者の歴史です。ある王国がありその権力の座につく者が王国内の民の生殺与奪の権も握っており、だから王から命令が下れば民にとってそれがどんなに理不尽なことであっても、王の命令には絶対服従が普通のことであっただろうと思います。このことから類推すれば、この世界の創造者で唯一本物であられ主権をお持ちの神とは私たちの生殺与奪も思いのままと言うお方であることを理解出来るのではないでしょうか。共通認識を持つために念のため触れますが、創世記二章七節には「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」とあることからわかるように人間は肉からなる部分と霊的な部分からなっており、霊的な存在の主なる神の息により人も生きるものになります。神の下では同じ人間であっても、国王と言う権力の座にあり生殺与奪の権を持っている人間が出す命令に従うのであるならば、私たち人間を創造して下さった主なる神に付き従うことは至極当然のことであり、そのような畏れ敬うべき方に対して日本人は正しい認識も持たず、日頃は神という存在を露ほども思わず、自分の好き勝手を気が向いた時に願い求め、拝むにしてもその対象が紛い物と言う正にこれは異常な状態であり、その異常であることにすら気付けていないのがこの日本の現状と言うことです。主なる神とは肉においての命もさることながら、霊的な部分である魂の生殺与奪の権もあると言うことを日本人はしっかり認識するべきです。知らない無知な状態とは誠に恐ろしいものです。以下の通りです。

 

マタイによる福音書 十章二十八節

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 

以上、私の拙い文章ですが、これをきっかけに皆さんが唯一本物の生ける神について真剣にお考えになり、速やかに主イエスの説かれた「悔い改め」を選択なさり、主なる神へ立ち返られることを切に願います。最後までお読みくださりありがとうございます。