こんにちは。
今回は前回記事「聖書は男尊女卑や差別を肯定するのか 〜「神の律法」によらなければ秩序は保てない〜」に関しましてある箇所についての訂正とお詫び、そしてそこから考えたことなどについて綴らせていただこうと思いました。
先ずは訂正箇所についてです。前回記事から以下に引用します。
新約聖書 ペトロの手紙二 二章六節から九節 新共同訳
また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた
正しい人ロトを、助け出されました。(なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。)主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。注 訂正の線と括弧は欽定訳聖書(および原典)を参考に私が加えました。
レビ記で明確にされている通り、神の律法において男女の営みとは夫婦間のみで許されている行為でありそれ以外で関係を持つことは死罪に相当する非常に重い罪や必ず罰をともなう罪であることをロトが承知していただろうことは想像に難くありません。神の律法はモーセの頃に定められたものという教会の嘘に騙されている方は「現実逃避をやめよ」の記事をご確認なさってください。モーセ以前から律法が存在していたことについてミカエルさんが四年も前に御指摘されてます。神様が定められた男女の区別という創造の秩序や新約聖書 マタイによる福音書 十九章四節から六節に記録されている主イエスの御言葉から考えれば営みが夫婦間のみに許される行為とすることは全く正しいことだと思います。なんら問題など起こらないですし、むしろこの神様のお定めになられた律法を遵守してこそ世の秩序が乱れることなくきちんと保たれることは誰にでも明白ではないでしょうか。誰彼構わず関係を持つのは理性がない獣と同等、ヘタをすれば獣以下の行為…。さて上記新共同訳、ペトロの手紙の当該箇所ではロトについて「正しい人」と述べてます。この箇所からロトという人物は神の律法を遵守する正しい人であったという理解が私の中にあり、娘の扱いについてあのような言動をしたロトについて「聖書は正しい人としてしまうのか」と当該箇所を初めて読んだ時、私からすれば決して良いとは思えない言動をする人を聖書が正しい人としてしまっていたことに私は衝撃を受け驚いたのだろうと思いました。しかしながら、これは私が聖書についての無知、理解の浅さなどに原因があったためというのが、つまり「読み手側に問題有り」が今の私の理解です。先ず、ロトの娘についての言動を聖書が正しいとしていると理解した私に問題があります。あくまでもこれはロトという人間の判断を記録しているだけに過ぎずこの言動について直接的に正しいなどと一言も書かれておりません。そしてもう一つの要因はこの新共同訳の日本語訳に大きな問題があったのだということで当時の私にはそこまで考えが及びませんでした。先にペトロの手紙をご紹介するにあたり「
正しい」の訂正線を私は加えました。欽定訳聖書ではこの箇所に「正しい」という英単語は含まれておらず、欽定訳聖書の通り原典にも「正しい」に相当するギリシア語は書いてありませんでした。
前回記事で自分の聖書理解とそれに基づいての考えを書くにあたり、文章の流れから新約聖書ペトロの手紙二 二章六節から九節を取り上げることになりました。この箇所を欽定訳聖書で七節を確認したところ以下の通りでした。
And delivered just Lot, vexed with the filthy conversationof the wicked:
私はいつも外国語の確認手段として「DeepL 翻訳」を利用しておりこの時もこの翻訳機能を利用して確認したのですが、それは以下のような日本語訳でした。
そして、悪人たちの不品行に悩まされていたロットだけを救い出した。
私はこの翻訳を確認して私が知っている「just」の意味も「〜だけ」だったため、見事に一致してこの聖句箇所には「正しい」を意味する単語がないのだと判断してしまいました。正に自分で書いたところの読み手側に問題ありです。本来であれば、ここからさらに欽定訳聖書で「just」と英語へ翻訳している原語のギリシア語の単語からその意味の確認をきちんとしなければならなかったにも関わらず記事を仕上げることに一杯の状態から確認を怠ってしまいました。そしてこの過ちを私が知ることができたのは、アメブロ「真理は聖書にある」の著者でミカエルさんの兄弟でもあられる栄助さんが貴重なお時間を割いて私の拙い記事をご確認くださっており、その間違いと過ちに気付かれて、部外者の私へわざわざご親切にご指摘をくださったからでした。御許可をいただきまして、御指摘いただいたものを以下にご紹介させていただきます。
こんにちは。
まるさんの最新記事を読みました。その中でペトロの手紙二 二章七節のロトという固有名詞を修飾している「正しい人」という形容詞について、まるさんはKJVや原語からは確認できないと言及されていました。しかし、原語を確認すると「正しい人」という言葉は存在しますし、KJVでもjustと翻訳されているのが「正しい人」の意味です。勘違いされているのだろうと思いましたので指摘しておきます。間違いが広まってしまう前に訂正すべきかと思います。
この御指摘をいただきまして取り急ぎ当該記事を非公開設定へ変更いたしました。本当にとんでもない間違いを犯してしまいました。当該記事をお読みいただきました方々へは深くお詫び申し上げます。そして御指摘いただけましたことがとても有り難く改めまして栄助さんへは心より御礼を申し上げます。さていただいた書簡には以下の通り続きます。
また、創造の秩序等を踏まえて、女性は不特定多数に向けて、聖句についての解説や教えるという行為をすべきではないとわしは思います。今一度、女として神に認められる仕事とは何かを考え直すべき時ではないでしょうか。
これまでの記事でも自分の聖句の理解とそれに基づく考えを綴ってきたのですが、正直なところ、そのようなところに差し掛かると、栄助さんが御指摘くださったような解説や教える行為に該当してしまうだろうかという思いがいつもありました。
新約聖書 ヤコブの手紙 三章一節 新共同訳
わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。
ありながらも、記事を作成中は、兎に角仕上げなくてはいけないという思いから文章の流れに矛盾が生じないように最低限整えるところまでがいつもやっとという感じで文章の持っていき方までは軌道修正まですることができず公開してました。
聖書にもいろいろ女性は登場しますが、聖書全体の分量から比べると女性に関しての記述は少ないと思います。その中で主なる神様への信仰を持つ女性は更に限られていると思いますが、それらの女性はごく身近に存在する同じ信仰を持つ男性や自分よりも年上の女性に従う、仕えるという様子が描かれていると思います。例えば旧約聖書ルツ記のルツは異邦人ですが姑のナオミに聞き従い、エステル記のエステルは女王の身分になっても育ててくれたモルデカイに聞き従う、新約聖書ヨハネによる福音書十二章の主イエスへの信仰を持っていたベタニアのマルタは晩餐において給仕という仕える仕事をしていたことが記されてます。仮にある仕事があり、その仕事が人間の視点からは女性でもできる仕事であった場合でも、神の律法に照らしてはっきりと男性がすべき類いの仕事であるならば女はしてはならないです。逆に、律法に照らして、あえて男性がするまでもない事柄とか、その仕事を誰かが成さなければ他の物事に何かしらの支障をきたすとか、円滑に進まなくなるような事柄や、必要不可欠な内容であるならばそのようなことこそ女性が気付いて積極的にすべき仕事と思います。男性が神様の御言葉に聞き従いお仕えして神様の御栄光を体現なさるために支障をきたすことがないように、専念できるように、より円滑に事を進めるために有益な補助など、すぐには役に立たなくても先を見越して後に役に立ちそうなことなど、必要となる雑務全般を女がこなしたり補うべきと思います(旧約聖書創世記二章十八節から二十二節参照)。このように書きましたがそれは女性が神様の御栄光の体現を目指さなくてよいということではなく、女性も常に自分の心のあり方と自身の行いから神様の御栄光が体現される品性を当然に目指すべきです(新約聖書マタイによる福音書五章四十八節、マルコによる福音書十三章三十七節参照)。
私は過去記事「悔い改めからその先へ 〜「生かされている」ことを知る人がとるべき真の選択肢〜」の中で「『見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。』(旧約聖書 マラキ書三章二十三節 新共同訳)に記されている預言者エリヤの働きをなさっておられるのは確かにミカエルさんであると私は確信してます。
」と書きました。そこで以下にミカエルさんがこれまでの記事で女のあり方について書き記してくださった箇所もありますのでそちらから引用してご紹介したいと思います。
次に意識改革について書きます。
AIやネット、スマートシステムだけがNWOの脅威という訳ではありません。各家庭、各個人に関係する点で言えば、女性の立場というものも重大な問題です。近年では、性に関する考え方が著しく破壊されています。同性愛や同性婚のみならず、男でも女でもない第三の性を設定すべきだというとんでもないことを認めている国があります。例えば、インド、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、ネパール等の国々です。この点については、こちら(HUFFPOST)を参照ください。聖書は、明確に男を最初の人間としてアダムを創造され、その次に男を助ける者として女であるエバを創造されました。女は、男を助ける者という立ち位置は神が定めたのです。以下のとおりです。
旧約聖書 創世記 2章18節
主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
新約聖書 コリントの信徒への手紙一 11章3、9節
ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
(中略)
男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
上記聖句から分かるとおり、女性の位置と役割は、男性を助け、補助することです。これこそが神の創造の秩序であり、人間はこのような神の秩序に則ってこの地上では生きるべきです。しかし、神に敵対するサタンとサタン崇拝者の人間たちは、神の秩序を破壊することを喜びとしており、そのサタンの思想を実現させようとしている人間が増え、神の秩序を消し去ろうとしています。サタンを積極的に崇拝しなくても、キリストから遠い者は例外なくサタン崇拝を自覚なしに行っています。偶像礼拝だけがサタン崇拝なのではありません。私が過去記事「自我との戦い」で書いたように、主イエスは自分を捨てるように教えられました。自分だけが良ければ他人はどうでもいいという利己主義、自分が神よりも正しいと思う高慢、自分自身に加えて家族等の身内まではかわいがるというような人間は、キリストからは遠い人間であり、これもサタン崇拝なのです。なぜなら、自分だけ、または自分と身内だけで他人を顧みないのはサタンの秩序に従っているからです。各人間は神によって創造された被造物であり、それぞれの役割と召命を与えられており、そのことを弁え、創造主の主なる神を愛して神の律法、掟、戒めに従いながら全うすることが神の御心を行うことになります。特に、男性の上に立とうとする女性はサタン崇拝者です。同様に、欧米で顕著なとおり、男性がレディーファーストと称して女性を無条件に担ぎ上げるのも神に反逆しています。キリスト教が最も広まった欧米で、神に反逆する思想が栄えるとは皮肉なものです。それだけ、世の諸教会、諸教派がキリスト教を掲げているのは上辺に過ぎず、カトリック、プロテスタント、その他キリスト教を掲げるカルト宗教について私は複数の過去記事で弾劾し、その実体は反キリストであるということを暴いてきました。
引用 真の聖書福音と預言「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」
万物の創造時に神様が定められた秩序があります。真理であられる神様が決められた秩序は神様同様に永遠であり不変の完全なる秩序であることを理解して間違っていた認識を改めましょう。この秩序に基づく男性の領域というものがあること、女性はその領域を侵してはならず、女性が創造された経緯を理解して男性に従い仕えることが神様の御心に適うことです。一方の主なる神様に似せて創造された男性は妻を自分のように愛することが求められていることを上記の記事でご確認いただけます。
また、神の創造の秩序を守らねばなりません。特に、女性は気をつけましょう。もし忘れたなら、ウーマン・リヴについて書いた過去記事「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」と婦人の身なり等について書いた「現代の世俗化と真のクリスチャンの生き方」を復習してください。また、神に祈る時に女性がかぶり物をかぶること(コリント一11章)も、女性各人はよく考えるべきです。かぶり物をしている女性は、イスラム教徒で多いですが、果たしてクリスチャンの女性でいるでしょうか。髪型や髪色を見せびらかしたい、かぶり物は格好悪い、かわいくない等の理由でかぶり物をかぶらない女性が多いのではないでしょうか。もし祈る時以外であればかぶらなくて良いと屁理屈を言うつもりなら、主イエスの御言葉に逆らっていることになります。主イエスの御言葉に逆らったり、主イエスの教えにとどまらない者は反キリストであるということを過去記事「反キリストについて」で思い起こしてください。
新約聖書 ルカによる福音書 18章1節
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
主イエスは上記のように「絶えず」、英語ではalways、即ち、いつも祈らなければならないと仰っています。目の前に手を組んですることが祈りではありません。そんなやり方で祈るように指示している聖句はなく、私には奇妙に見えます。手を組んで祈るのは人間のくだらない慣習に過ぎません。なお、祈りは人の目に触れないように、隠れるようにしなければならず(マタイ6:6参照)、人前にいる時は声に出さなくとも心の中で祈ることも隠れてできる祈りで、いつもできます。他人に見てもらおうと人前で祈る人は偽善者である(マタイ6:5参照)と主イエスは仰っています。また、パウロも以下のように述べています。
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 6章18節
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章17節
絶えず祈りなさい。
上記のように、絶えず祈るために目をつぶって手を組んでする必要があるでしょうか。否、まったく不必要です。
引用 真の聖書福音と預言「古代イスラエルと現代イスラエル」
上記記事では神様の秩序遵守に加えて女性の身なりについて気をつけるべき点を教えてくださってます。女性は化粧を施し装飾品を身に付けて自分を飾ることが大好きな人が多いと思いますが、大事にすべきは外側の見た目ではなく、内側の目には見えない心のあり方、品性であることをご確認いただけます。旧約聖書イザヤ書三章十八節から二十四節の聖句を確認すれば、内側の心を磨かずに外側の見た目をいくら飾り立てたところで無益であることもわかります。
旧約聖書 イザヤ書 三章十八節から二十三節 新共同訳
その日には、主は飾られた美しさを奪われる。足首の飾り、額の飾り、三日月形の飾り、耳輪、腕輪、ベール、頭飾り、すね飾り、飾り帯、匂袋、お守り、指輪、鼻輪、晴れ着、肩掛け、スカーフ、手提げ袋、紗の衣、亜麻布の肌着、ターバン、ストールなどを。芳香は悪臭となり、帯は縄に変わり 編んだ髪はそり落とされ 晴れ着は粗布に変わり 美しさは恥に変わる。
外面の上辺だけを立派に見せかけた中身の伴わないファリサイ派の表面的な行いを主イエスが非難されたことにも通じる点と思います。
新約聖書 マタイによる福音書 二十三章二十七節、二十八節 新共同訳
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
③女尊男卑
昔の日本は、父を家長とする家庭が当たり前でした。父親に威厳や権力があるのが伝統的な日本の家庭です。これも古代イスラエルの痕跡の一つです。
(中略)
遺伝子のことは主イエスの救いにおいては何ら関係がありません。そして、性別も救いに関係無いのですが、神の創造の秩序を守らない人はいけません。最近、特に女尊男卑の傾向が強く酷いです。過去記事「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革」で述べたとおり、欧米から端を発したウーマン・リヴの影響が日本にも来て、もの凄い害悪を及ぼしています。サタンは最初の女であるエバを騙して罪を犯させ、エバを使って間接的にアダムにも罪を犯させて人間が堕落して神の怒りを買い、楽園を追放されて神と共にいることができなくなりました。この教訓を忘れないで欲しいです。女性が分を弁えずにいると、いさかいが起こり、家庭崩壊の原因になります。「知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれをこわす。」(箴言14:1)と聖書にあるとおりです。また、女性を優先した結果起こった痴漢冤罪(女性の言い分だけで証拠不十分で男性を有罪にする事件が多発)、満員電車で圧迫されて苦しいのを皆が我慢している中で余裕がある女性専用車両、露骨に性差別をする女性専用求人や女性専用賃貸物件、レディースプランと称した特別の食事メニューや旅行の割引等、数々の不平等が平気で推進され、男性は優しいのでそれについてあまり文句を言わないですが、もしこれが仮に逆だとしたら女たちは男尊女卑だと声高に叫んで怒り狂うでしょう。こんな女性が増えたこの世は腐っており、神の創造の秩序に反しています。
引用 真の聖書福音と預言「正月と日本人の現実」
ミカエルさんの記事の中で御指摘されているウーマン・リヴは現代人には正しいことを主張しているように誰しも思うのではないかと思われますが、ことの始まりは以下の動画で説明されているような悪しき思いから世に仕掛けられた事でした。以下は二分弱の動画です。
「ツイッター名作選587ウーマンリブ、男女共同参画の問題点」
旧大阪市交通局(現大阪メトロ)の身だしなみ規則には、女は化粧無しは原則不可やとあり、これはそこだけでなく広く多くの企業や官公庁の就業規則や服務規程でそういうアホな規則があるんやないやろか。つまり、これは女には化粧を強要する訳やな。言い換えれば、女は化粧無しではみっともない顔だから化粧抜きで出勤するな、必ず化粧をして出勤しろと言われてるのに等しいと思うべき。みっともなくないなら、化粧を強要する意味無いし、化粧無しでええやん。女自身も化粧すれば見栄えが良うなるし、悪くないと思い、反論せえへんのやろな。そういう心理につけ込まれて騙され、不当な規則を押し付けられてることに気付かんと盲目的に従うてるんはアホ丸出し。女権拡張論者(フェミニスト)どもは、これに対して意見無いんかな。「化粧が必須なんておかしい、化粧を強要されるのはおかしい」って怒るべきところやろ。もっとも、一般的に女権拡張論者どもの他の主張は拙者は支持せえへん。なぜなら、彼女らの言い分は身の程を弁えへん愚かな主張であるし、神の創造の秩序に逆らい、本来あるべき社会を破壊してきた根源やさかい。米国から起こったウーマン・リヴ運動もその一環で、支配層が世の女たちの自尊心を故意に焚きつけたに過ぎひん。せやから、女が男とまったく同等の地位や権利を得ようとする運動に乗っかる人らも悪人や。そういう活動こそ、支配層の罠にかかり、世の悪化の一助になってることに気付いてへんのやから。
(中略)
すべて仕組まれており、これらによって日本古来の文化や習慣を消すことが出来るし、日本国内で日本人と外国人と対立を生んだり争いも起こるからな。悪魔と悪魔崇拝者は毎度、民の間で分断して統治することを実行する。明治維新もこの分断統治の手法でやられた。ええ加減見抜けよ。外国人に日本で我が物顔に振舞わせてはあかんし、移民受け入れや自由貿易協定(TPPやRCEP等)は反対すべきこと。今既に日本には移民が多過ぎやし、あちこち買収されて、過去記事「日本乗っ取り計画、日本人抹殺計画」で示した懸念のとおり支那に乗っ取られる危険性が出てきてる。朝鮮系偽日本人が多い日本政府と経団連は、意図的に日本人男性の稼ぎだけでは不足を感じさせるように仕向け、夫婦共働きを間接的に促す。そして、家庭で親は不在になって子供は放置されて好き勝手にやる。その結果、子供は両親から教育は受けず、学校や教科書等といった偽りの教育ばかりを信じさせるように支配層は仕向けている。正しい教育である聖書教育を疎かにされてるのも世が悪い要因や。聖書を学んで実践せんから、世に悪がはびこるんや。そのせいでくだらん受験戦争やら学歴格差が生じ、ほんまは頭が悪く、倫理観が無い高学歴で誇りだけが無駄に高い使えへん人材を生み出す結果になった。学歴がある官僚、大企業の重役ども、医師、法曹といった職に就いとる奴らが金と権力を握った今の世がええ世の中か。全然ちゃうやろ。
(中略)
しかし、明治維新後に西洋かぶれした明治政府どもが中心となって日本古来の文化や価値観が破壊させ、西洋かぶれさせるように仕向け、日本人の倫理観が極度に悪化して今に至る。すべては価値観や身なり等が西洋化し、悪魔崇拝をする世の支配層の仕掛けに乗っかった結果や。それで家族の結束は弱まった。夫婦間は冷え切り、子供もそないな両親を見てて尊敬せえへんし、愛情というものが分からへんようになる。小さい頃から親との会話が少ない子供はこうなることが多い。そして、国や国民という全体のことを考えず、自分のことばっか考える利己主義に陥り、隣人愛が無い、慈愛が無い、人としての思いやりが無い大人に育ち、金がすべてと思う拝金主義になったり、社会的地位や名誉を得ることに固執するようになる。こんなんが増えた原因は、西洋かぶれして先祖が子育てを間違えた結果や。
引用 真の聖書福音と預言「憲法の人権意識を強く持ち、神の秩序を守れ」
律法どおり、通常は、祭司以外に神殿に備えられていた聖別されたパンを食べることが許されてへんが、その時の祭司の言葉は、「女から遠ざかってるなら」(サムエル記上二十一章四節〜五節参照)という条件を付して、それを満たすならば聖別したパンをあげても良いという言葉であった。ダビデと供の者はその時逃亡中の身であり、女と関わる事が無かったため、その条件を満たし、普段なら食べる事が許されへんであろう神殿の備えのパンを食べる事が例外的に許された。この事を現代で言うと、愚かな人間たちが「女性軽視だー、差別だー」等と反発しそうやけども、この聖書にあるような価値観が当たり前であり、今でもあるべき価値観であり、反発する者は例外無く反キリストや。神の秩序は永遠に変わらぬ故、昔と今も同じであるべきなのに、現代人は過去の人と比較して明らかに酷く堕落しており、過去記事「憲法の人権意識を強く持ち、神の秩序を守れ」でも非難したとおり、支配層のウーマン・リヴ運動をはじめとし、支配層が傀儡である政府を使い、女をどんどん社会進出させる法整備をし、女たちに自分たちの分を弁えさせる事をさせず、男に張り合うようにさせ、調子に乗らせて高慢にし、女も働くようになることで女も徴税の対象にし、子供の教育を家庭から引き離して洗脳された外部の教師等に任せるという事態になり、それを異常でおかしいと思わぬ洗脳民が増え過ぎており、目を覚まして改善せえへんようなら、人間の質はもっと悪くなるであろう。話が逸れたが、聖書から分かるのは、祭司アヒメレクもダビデも、女が汚れの要因である事が共通認識であり、女と交わっていない状態が清いというのが常識であることや。もっとも、こう言うたからといって、男色を許容する意味では絶対にない。また、男が女と交際や結婚をすべきではないという意味でもなく、それらは普通にしても問題は無いが、男が女と交わると男は身が汚れる状態になるという事です。そして、この認識は旧約時代に限らずで、新約聖書をよう読んでも気付ける事やが、女や子供は数に入らへんのです。主イエスが、大勢に対して数少ないパンや魚を分け与えた話にもあったとおり、女と子供は人数から外されてる(マタイ十四章二十一節、十五章三十八節)。もう少しそういう細かい点にも気付いて、平素からどう振る舞うべきか考えるべきであろう。
引用 真の聖書福音と預言「安息日の掟」
神を一番に愛するという状態になってる人は、極めて珍しく、かような人は神の律法を当然の如く遵守して、非の打ち所が無い状態で、主イエスが求めてはる「完全な者」と言える。その「完全な者」を目指して日々罪やその誘惑と戦い、打ち勝たねば救いを得る(永遠の命を得る)のは厳しいと思わなあかん。途中で信仰をやめてしまうという人は、やはりその人の内に神への愛が無いから続かへんのや。
これは、結婚生活も同じで、途中で破綻するのは、途中で配偶者の片方、又は双方が不法行為を犯して信頼を失うことをする(例えば姦通)とか、配偶者への愛が無い事が原因です。相手の収入や財産や地位等を気にして結婚を決めた者は、もれなく失敗してることから明らかやろ。金さえあれば良いなんて思う女が多く(金や子供さえあれば夫は居なくても良いとまで思う者も居る)、かような者は愛を知らぬ惨めな人間や。男性諸君は、結婚するなら、自分への愛と忠誠心(一途である事)がある女を相手として選ぶように。外見が好みとか、なんとなく気が合う等というふざけた理由で結婚を決めないように。女は、聖書を読んで女たる立場を弁え、信頼出来る男を選び、補助して支え、夫を主人として仕えるように。女がでしゃばるから、どんどん社会が悪化してることを自覚せい。
現代社会が過去最悪になったと言える程に悪化した大きな原因は、西洋かぶれに次いで、女性の社会進出促進によるものです。(中略)
他にも男女平等を謳いながら、民間企業において、女を優先的に採用するとか、レディーファースト、レディースデイ、レディースプラン等と片仮名英語を乱用して西洋かぶれして女だけを優遇して差別し、出会い系やパーティ等で女だけ無料にして差別し、重い荷物は男が持てとか言うて差別し、実は女を優遇する女尊男卑社会になっており、かつてない極悪社会になった。色々な点で差別しまくっておいて何が平等や。笑わせんな。女を優遇することこそ神に逆らう悪質な差別主義者や。江戸時代までの日本では、かような事は絶対有り得へんかったのに。せやから、幕末から欧米列強に目を付けられ、明治維新という西洋かぶれが日本の崩壊の始まりと言うたとおり。こちら(日本文化舞台支援機構)で少しだけ紹介があるとおり、女は女の役割というものを真剣に考えて分を弁えて生きるべきです。男に対抗意識を燃やして、並び立とうとか上に立とうとするような女が現代に多いから、現代社会は荒廃して崩壊しつつあることを理解し、悔い改めい。改めへんなら、その者は地獄行きや。過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 二」で書いたとおり、聖書は昔から女は救われ難いことを示してる。創世記の冒頭で蛇(悪魔)に騙された最初の女エバが神に逆らって以来、多くの女は神の敵で在り続けてる。コヘレトの言葉七章二十八節にあるとおり、男で救われるんは千人に一人と言う確率で、女は千人に一人も居てへん。このことからも男女平等は有り得ず、女は男と並ばへんし、上に位置することもないのは明らかやろ。せやから、女は、救われたければ、江戸時代以前の古き日本慣習からも学び、でしゃばるのをやめ、おしとやかになりなはれ。現代社会で悪魔崇拝者の支配層の施策である女性の社会進出を活発化させるのは、神に逆らう反キリスト行為と知り、それに参加したり賛同してる者は皆、サタンや。
(中略)
嘘だらけの学校の勉強や報道機関等を盲信せず、程良く勉強して過不足無い知識や教養を備えて慈愛を持ってる人間が最も良い。
ジョージア・ガイドストーンで「世界人口を五億人以下を維持する」と掲げ、不妊を招くワクチン等を促進してる欧米の支配層によって全世界で愚かな女性社会進出政策が始まって六十年以上経った今、各地で少子高齢化が促進されて既に深刻化してる。「女性の社会進出促進政策=人口削減政策」という事実に気付き、さっさと女性優遇をやめなはれ。あんたらが愚かで、悪の支配層に追従してる故、世は悪くなる一方や。せやから、必死に聖書を読み、当ブログと動画から学び、日々の行いや生き方を変え、キリスト道を歩みましょう。主イエスがすべての人間に悔い改めを望んではり、拙者も同じです。拙者自身も至らぬ点は改めつつ、共に成長して行く兄弟を募集してます。前提条件として、神への愛、主イエスへの愛が無ければあかんけどね。
引用 真の聖書福音と預言「救いに値する完全な者」
上記三つの記事は太字装飾部分を中心に引用しました。中略部分もミカエルさんの記事にて全文をご確認お願いします。
在り方
- 存在の仕方。現在あるありさま。ありがたち。あるかたち。
- あるべきすがた。物事がどうあるべきかということ。
- 従来あった形。
引用 https://kotobank.jp/word/在り方-428212
多くの方は聖書はある特定の宗教の教典等と思い込んで、その宗教を信じない自分には全く無関係の書物と思い込んでいる人ばかりかと思いますが、各宗教が聖書を都合よく利用しているだけであり、聖書という書物自体は私たち人間を創造してくださった唯一真の神様の御言葉が記されているのであり、人はどのような目的で創造されたのか、人は本来如何に在るべきかが記されており、それらを知らなければ如何に生きるべきかの正しい答えはわかりようがありません。宗教が何故聖書を利用するのか、それは聖書が唯一真の神様の御言葉、真理であるからに他ならず、例えるならば、詐欺師が本物を模倣した偽物を用いて人々を騙すことと同じ構図です。
聖書が真理の書物であり、世の状況がどんどん悪化する中で、主イエス・キリストにこそ真の救いがあると思われた方には速やかに聖書と聖書の真理を唯一正しく説かれているミカエルさんのアメブロ「真の聖書福音と預言」をご確認いただきたいと思います。ミカエルさんこそが真の預言者であることについては、以下の各記事もご覧ください。
アメブロ 主イエスこそ真の道である。
「聖書の真理と救いを求める人へ 一」2025-12-20
アメブロ 唯一の真理である聖書に依拠して
「終末の預言者に耳を傾けよ」2026年03月19日(木)
アメブロ 真理は聖書にある
「キリストの再臨の前に現れるエリヤについて」2026-05-17
アメブロ 主イエス・キリストを模範とする
「人々を正しい道へ導く唯一の人」 2026年06月15日
最後に主イエスは新しい御命令として、新約聖書ヨハネによる福音書 十三章十四節、同福音書十五章十七節や以下の聖句にある通り、兄弟で互いに愛し合うように御命令されました。
新約聖書 ヨハネによる福音書 十五章十二節 新共同訳
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
この掟を遵守するためには聖書真理を正しく理解して完全に一致し、それに基づいて主イエスが求めておられる完全を目指す者だけが集う教会への所属が必要です。そのような教会「維持費等の世俗的なことを思い煩うことのないように建物が不要で、主イエスを真心から信じて従うキリスト者が集まる場」(キリスト道(The way of Christ)「教会入会の案内 真のキリスト者を募集します」より引用)をミカエルさんが管理、監督されて提供してくださってます。募集要項などの詳細を知りたい方はミカエルさんのアメブロ真の聖書福音と預言「大事な告知」をよくお読みください。
この度も貴重なお時間を割いて最後まで駄文にお付き合いいただきまして誠にありがとうございます。

