こんにちは。
アメブロ 「真の聖書福音と預言」の記事「天地の隔たり」を拝読しました感想などをこちらで綴らせて頂きます。
記事冒頭のミカエルさんによる正しい底本原語からの聖書日本語訳を以下に引用いたします。
こんにちは。
今回は、天地の隔たりについて述べます。
新約聖書 マタイによる福音書 二十二章十五節~二十二節(拙訳)
それから、ファリサイ派の人々は出て行かされ、どのようにして彼(イエス)を言葉において罠に掛けるかの協議をした。そして、彼らの弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に彼(イエス)のところに遣わして、言う。
「先生、我等は、あんたが正直で、真理によって神の道を教えはり、誰をも憚らへん方であることを知ってます。ほんまに人々の外見を重視しはらへん。ところで、あんたにとってどう考えるか、教えてください。皇帝に税金を納めることは適法であるか、そうでないか。」
しかし、イエスは彼らの悪意に気付いて言わはった。
「何故、我を試すのか、偽善者たちよ。税金の貨幣を見せなはれ。」
さて、彼らがデナリオン銀貨を彼に持って来た。
そして、彼(イエス)は、「これは、誰の肖像と銘か」と言わはる。
彼らは、「皇帝のものです」と言う。すると、(イエスは)彼らに言わはる。
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めなはれ。」
そして、彼らは聞いて驚き、彼(イエス)を離れて立ち去った。
ミカエルさんによる聖書の日本語翻訳に続く内容の見出しは以下の通りです。
一、ファリサイ派は悪の代名詞
二、ファリサイ派も内心では主イエスの正しさを認めてる
三、質問の根底に律法あり
四、悪意ある質問にはまともに回答する必要は無い
五、ファリサイ派は金銭に貪欲な金持ちの反キリスト
六、貨幣経済に洗脳されて依存するな
七、所有は支配
聖書に記された終末の兆候が顕著です。手前の記事がミカエルさんのブログをお読み頂く切っ掛けとなり、(新約聖書パウロ書簡を除く)聖書をご自分で確認し「悔い改め」の必要性を御理解いただき、一人でも多くの方が唯一真の神で救い主であられる主イエス・キリストへ立ち返る、その切っ掛けとなることを切に願っております(新約聖書パウロ書簡を除く理由はこちらの動画をご確認下さい)。
一、ファリサイ派は悪の代名詞
今回の聖句の出だしは主イエスの二つのたとえ話、ぶどう園の主人と雇われた農夫たちがぶどう園の主人から遣わされたしもべたちに対して行った悪行(新約聖書 マタイによる福音書 二十一章三十三節〜四十六節参照)、王の息子の婚宴に招かれた人々の様相(新約聖書 マタイによる福音書 二十二章一節〜十四節参照)に続く話しで、例えを聞かされたファリサイ派の行動からになります。新共同訳では「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、」と原語に不忠実な訳となっておりミカエルさんは「それから、ファリサイ派の人々は出て行かされ、」と原語に忠実に翻訳されてます。同じ出来事でも読み手に誤解を招く翻訳、誤訳や単語欠落の多い市販の日本語訳聖書を読む時には盲信することがないように注意が必要です。さてファリサイ派の人々は何故出て行かされたのでしょうか。それはミカエルさんが「ファリサイ派は悪の代名詞」と見出しにされていることが理由です。人間の持つ悪の面が正にファリサイ派の生き方、行いにあらわれている、悪そのものの状態にあり、主イエスがそのようなファリサイ派の問題点を御指摘、非難されてその場にいられなくなった故でした。そして世間で認知されているキリスト教は実のところ主イエスの教えに依拠しないパウロの教義に依拠しているのが事実で、現代に於いてはこの悪の代名詞ファリサイ派に相当するのがこのパウロ教です。キリストを悪用して当時は異邦人のローマ人やギリシア人を取り込んだ自称使徒のパウロ、その教えが引き継がれ多くの人々を滅びに導いているのが今日のキリスト教ならぬファリサイ派のパウロ教であることをミカエルさんの記事でご確認ください。唯一真の救い(死後にやってくる世界、永遠の破滅行きからの真の救い)は聖書の教え(唯一真の神の御言葉)にしかありませんから、聖書や主イエスの教えについての無知無関心から異教徒の状態であったり唯一真の神への不信仰の状態で自分には関係ないと思われても、万物の創造主による被造物である人間は誰一人として無関係ではいられないのが現実です。
二、ファリサイ派も内心では主イエスの正しさを認めてる
非の打ち所がない主イエスの完全な行い、正しさをファリサイ派は内心では認めており、裏を返せばファリサイ派は自分たちの悪いところをわかっているということです。それにも関わらずその悪い行いを悔い改めない、それどころか正しいひと、ここでは主イエスを嫌い貶めて排除しようとまでしました。現代社会でも同じような構図を見出す方もおられるのではないでしょうか。ファリサイ派がそのように頭では理解しながらも彼らの心が正しいことに従わないのは何故でしょうか。その理由は「それは彼らが「世から出た人間」(ヨハネ八章二十三節参照)であり、蝮の子(悪魔の子)であり、反キリストであるからや。彼らの理性(道理によって物事を判断する心の働き。)だけでは、その悪い本性(本来もっている性質。生まれながらの性質。)には抗えへんということや(ヨハネ八章四十四節)。」(記事より引用)だからです。
新約聖書 ヨハネによる福音書 八章二十三節(新共同訳)
イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 八章四十四節(新共同訳)
あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
悪魔は神を憎み、逆らい、神が愛する人間を主イエスから引き離し自分と同じ滅びの道連れにすることを欲しているので、上記聖句の通り、悪魔に属する人間も悪魔と同じことをしてしまいます。現在、教会へ通い、主イエスを信仰しているつもりの方でも、所謂キリスト教は全て例外なくファリサイ派であるパウロの教えを礎にしたパウロ教ですから、そのままそこに属しているならばファリサイ派に属しているというのが論理的に導き出される結論となります。また異教を信じている、或いは神を信じない無神論などの不信仰者も「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」(新約聖書 マタイによる福音書十二章三十節 新共同訳)から反キリスト状態にあるのが事実と、論理的に導き出される結論となってしまいますので、ミカエルさんの記事をご確認いただきまして一度真剣にこの事実に向き合いしっかりとお考えいただきたく思います。
三、質問の根底に律法あり
記事を拝読して「ところで、あんたにとってどう考えるか、教えください。皇帝に税金を納めることは適法であるか、そうでないか。」というこの聖句箇所についての一般的な解説がローマ皇帝への納税という政治的問題という論点のズレた内容ばかりであるとのことを知りましたが、教会へ通われている方はもしかしたら思い当たるかもしれません。それは間違った解説を聞かされていたということですから、ミカエルさんの記事を改めてご確認いただけますようお願いします。このファリサイ派の質問の意図は主イエスを窮地に陥らせることが目的の質問であることを記事にて御理解いただけます。
四、悪意ある質問にはまともに回答する必要は無い
ファリサイ派が主イエスへした質問の意図は先に書きました通り、主イエスを窮地に陥らせることが目的であることがわかりました。ファリサイ派のこの質問は二者択一の形態をとってますが、この箇所から学ぶべきことをミカエルさんが以下の通り御説明してくださってますので詳細を記事にてご確認いただき皆様の今後に活かしていただきたいと思います。
【相手の土俵に上がらないことの重要性】
・相手の質問の意図を考える
・悪意、敵意等が含まれていないかを判断する
・罠に掛けようとしているか否かを判断する
以上を踏まえて該当する場合にはまともに回答する必要は無い。馬鹿正直に答えて相手の罠に掛からないように気をつける。
なお、「主イエスは、「何故、我を試すのか、偽善者たちよ。」と言わはり、質問に答えずにまず彼らの悪意を非難し、かつ、彼らが律法違犯してることも摘示しはった。なぜなら、神である主イエスを試すことは神の律法(申命記六章十六節)に反するからや。」(記事より引用)という点にも要注意です。以下の聖句をご参考にされてください。
旧約聖書 申命記 六章十六節(新共同訳)
あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。
旧約聖書 詩編 九十五編六節〜十一節(新共同訳)
わたしたちを造られた方主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように心を頑にしてはならない。あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。四十年の間、わたしはその世代をいとい心の迷う民と呼んだ。彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。わたしは怒り彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」
新約聖書 マタイによる福音書 四章五節〜七節(新共同訳)
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
新約聖書 ヘブライ人への手紙 三章七節〜十二節(新共同訳)
だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。荒れ野であなたたちの先祖はわたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』と。」兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
このように、大事なことについてはことあるごとに取り上げられて私たち人間へ繰り返し注意してくれているのが慈愛と義なる神の御言葉が収められている聖書という書物です。
五、ファリサイ派は金銭に貪欲な金持ちの反キリスト
「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。」(ルカによる福音書 十六章十四節 新共同訳)の通りの品性のファリサイ派の心の動き、算段などについてのミカエルさんの御説明がとてもわかりやすいです。「昔は徴税人といった金銭や権力者に関わる仕事の従事者は忌み嫌われてた。それは神から遠いと皆が分かってたからや。」(記事より引用)から以下のミカエルさんの過去記事を思い出します。
日本も開国してからは江戸時代まで保持していた言葉、衣服、習慣、文化のほとんどを失いました。今の日本語は明治時代に造られたもので、そのせいで古典や古い文献を現代の日本人は読めなくなりましたし、戦争によって多くの資料や文献も失われました。現代では、多くの朝鮮人や支那人等の移民が日本で増え、西洋文明のとりこになり、利己主義や拝金主義に陥る人が増えて民度は下がり、国力も低下しました。日本は食料自給率が低くて輸入に頼っている等と統計を持ち出して主張する人がいますが嘘でしかありません。江戸時代までの鎖国政策で日本は内需だけで十分に生きていくことができる国でした。それが今では売国官僚、政治家、企業家、銀行家が増え過ぎて外資に依存しなければ生きられないように意図的に日本は破壊されました。金融と石油の支配下にある限り、経済的奴隷の状態からは抜け出せません。仏教信仰という点を除き、ブータンもついこの間までは自給自足生活で素晴らしい国で、他者と格差が無かったので幸福度が高かったのです。他人と比べることが不幸の始まりです。他人と比較しないようにしましょう。聖書の十戒にも「隣人のものを一切欲してはならない」(出エジプト記20:17)とあるとおりです。他人と比べて自分が持っているお金が少ない、物を持っていない等と比較することで金銭欲、物欲等と罪を犯す糸口になるから神は人間を戒められているのです。江戸時代の日本人も同じでした。「武士は食わねど高楊枝」というように、将軍や大名を除けば、江戸時代の下級武士も一食あたりに豆腐だけ、汁物だけ、魚だけ、野菜だけ等と非常に質素な食生活でしたが、地上の富を追い求めず、清貧に生きることを重んじていました。農民も主食は白米ではなく、稗や粟がほとんどでした。それで昔の日本人たちは明るくのびのび生きていました。
引用 真の聖書福音と預言「差別と侍の本義について」
※元記事では文字装飾無し
ミカエルさんは先の引用からさらに次のように続けておられます。「しかし、現代人は不信仰者が多く、聖書を読みもせえへんために愚か者も多く、感覚がおかしい。せやから、昔の人の感覚を取り戻し、金儲けなんかに執着するのをやめ、特に金融関係は忌み嫌うべきものと覚えよ。」(記事より引用)の通り、昔の人の感覚を取り戻すよう仰っておられますが、仮にそのような感覚を取り戻したところで生活様式そのものは変えることなど不可能と思われるでしょうか。江戸時代と全く同じ生活を営むというわけにはいきませんが、現代日本においても下記のような暮らしを実際に営まれている御家族も多くはないですが確実にいらっしゃいます。
現代日本人が至極当然と考える常識、価値観から抜け出して、昔ながらの生活へ少しずつ変えている方々が確かにおられます。それは「できる、できない」ではなく「やるか、やらないか」の意思、覚悟、決断の違いではないかなと私は思います。
ミカエルさんの記事をご確認されてこれまでの価値観を見直し、考え方や生き方を改めたいなど、少しでも心を動かされた方は、アメブロ「真理は聖書にある」著者栄助さんのこちらの記事「心が悪いことは致命的」のご確認をおすすめいたします。
六、貨幣経済に洗脳されて依存するな
こちらの項目では日本銀行創設の真相について詳しく御説明下さってます。この出来事を素直に事実として理解すれば日本という国が明治から海外の間接支配下にあるということが、根拠のない陰謀論などではないこと、日本の厳しい現実であるとわかるはずです。この事実については経済学者山口薫氏の動画(「歴史の転換点:グローバリズムの終焉ー崩壊させられた平成の日本経済をケースにー」国立アンカラ社会科学大学経済学部教授・山口 薫」)なども参考になりました。ミカエルさんの御説明をご確認いただき、動画で使用されている図をご覧いただければ、このことが現実のこととおわかりいただけるかと思い以下に掲載いたします。
現代では国家元首が通貨発行権を持っておらず、特定の民間人が持ってる。つまり、ロスチャイルド家であり、彼らの手下である中央銀行のことや。現代日本の貨幣は、円であり、紙幣には日本銀行券と書かれてる。これも注意深くなれば簡単に分かることで、日本円の硬貨は「日本国」との刻印があるが、紙幣は日本国が発行してるのではない。つまり、日本国が紙幣を発行も所有もしてへんということや。紙幣は日本銀行券という名であり、中央銀行である日本銀行のもの、転じて、中央銀行を支配してるロスチャイルド家のものということを意味してる。日本銀行は株式会社ではなく認可法人と言うてるものの、上場しており、株やのうて出資証券という名称やが実質的には同じや。ただ、日本銀行法という法律により五十五パーセントは日本政府が出資割合を持ち、株主総会も行われず、議決権も無く、特殊な法人であることから、外国に支配されてへんという建前を信じてる愚か者が居るが、そんなのは建前でしかなく、実情は異なる。そもそも、日本政府自体が欧米の支配層の手下だらけやし、残りの四十五パーセントは民間から出資されており、彼らの意図が働かへん筈もない(意向が反映されへんのに出資する筈がない)からで、まったく意味を成さへん反論や。日本銀行に株主総会や議決権が無いというのは、外部の大口出資者以外から意見されないようにという防御のため、つまり、ロスチャイルド家以外の者が横から口出さぬように防御するためというのが日本銀行法の趣旨や。日本銀行がロスチャイルド家の支配下にあるんは明治時代からずっとや。日本銀行設立の経緯を知れば、その実態は明らかや。
下記は動画以外からの画像です。
ロスチャイルド家の始祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトは、ハザール人の末裔たる偽ユダヤ人であり、「一国の通貨の発行権と管理権を我に与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうとそんなことはどうでもよい。」と言ったとされ、彼が三十歳の頃の千七百七十三年に世界革命行動計画二十五か条を策定し、以後、彼の子孫が現代社会の世界経済を牛耳ってる。日本は、江戸時代まで銀行なんか存在せず外国から支配もされへんかったのに、薩長土肥らの権力欲、金銭欲、名誉欲が強い者らが欧州の秘密結社員や武器商人らと手を組んで武力によって国家転覆を行い、明治維新を強行し、英国の議会制を模倣した西洋風の政府を作り、民間の中央銀行(日本銀行)を設立したせいで、今に至るまでロスチャイルド家に日本の財政及び財産を握られ、政治も牛耳られてる。こちら(note)で紹介されてるとおり、福田赳夫元首相も大蔵省の官僚であった時、フランスのロスチャイルド家を訪ねた時に脅迫され、法や契約もロスチャイルド家の前には無に帰し、ロスチャイルド家の言う事を何でも聞かねば消されると身を以て知ったという。近現代において、ロスチャイルド家は、法の支配が及ばぬ所に居るという状態であり、法令違反や契約違反もすべて無視し、自分勝手な都合を他者に強要し、重大な不正も揉み消させる無法者や。何故、マイアー・アムシェル・ロートシルトが通貨発行権と管理権のみを欲して、法律なんかどうでも良いと言うたか分かるやろ。莫大な金の力があれば、自分らは賄賂でも渡したり、脅迫したりすれば、彼らは一切捕まらず安全で在り続けられると信じてるからや。実際、この二百五十年程度ずっとそうなってる。それだけ、世の中の人間が金銭を欲しており、金銭や保身のために法や契約を破り、正義や慈愛を蔑ろにし続けてる悪人だらけである証拠でもある。まさに、「この世全体が悪い者の中にある」(ヨハネ一 五章十九節拙訳)と聖書に書かれてるとおりで、正しいやろ。
上記の画像は正にミカエルさんの御説明通り、お金によりこの世界全体が支配していることがわかる絵図ではなかと思います。
山口氏は「偏った経済学を教えている」として突如同志社大学から一方的に追放され、これに対して「学問の自由侵害」の訴訟も起こされてました。動画内で山口氏はノーベル経済学賞では民間中央銀行の経済理論に楯突くような理論は絶対に受賞することがないという事実を把握しておくことは大事だと述べておられます。日本人は権威に認められるものは信頼に値すると盲目的に思い込んでいるのが現実だと思いますが、その権威主義的な考え方がそもそも間違っているということに気付くことも非常に重要です。権威主義以外にも以下のような事柄から目を覚ますことが大切です。
画像引用 真の聖書福音と預言 【第一回】目を覚ませ、悪に抵抗せよ Bible, Jesus Christ, The true biblical Gospel and Prophecy
関連記事 真の聖書福音と預言「動画初投稿」
上記の動画や関連記事も是非ご確認いただけますようお願い申し上げます。
七、所有は支配
所有物というものは、それがどのように扱われるのかを決めるのはそれを所有する側の意思一つで決まるものです。例えば自分の家にあるもので生活必需品であったり、必需品ではなくても役立つものや好きなものは使い続けたり、所有しておくものだと思います。逆に役に立たなくなった、使わなくなった所有物は持っている理由がありませんから不用品として人へ譲ったり廃棄処分するなどの手放すという選択をします。これらの行為は全て所有する側の意思一つで決められるもので所有物は所有者によって管理されている状態、表現を変えれば支配されている状態にあるといえると思います。
さて私たち現代人は実際いろいろなものを所有していると思います。この様々なものを所有している(私有財産がある)状態について、日本の首相や大臣なども参加する世界経済討論会(World Economic Forum、WEF)が、今後は庶民が物を所有せずに他人との共有や借りている状態、一切の所有物を持たせない、そのような流れを作ろうとしている現実があります。以下のWEFの画像の通りです。
画像引用 グレートリセットを受け入れますか?・DO YOU ACCEPT THE GREAT RESET?(Ver 2.0)
この本当の目的は「富に目が眩んで独占欲や支配欲が強い故に、庶民からすべての私有財産を巻き上げて支配層が自分らの物にしようとして言うてる」(記事より引用)のミカエルさんの御警告通りで、また巻き上げようとしているものはそれだけには止まらないことをさらにミカエルさんの記事をご確認いただき知っていただきたいと思います。私たちはこのような支配する者たちに必死に抵抗しなくてはなりません。
支配層こそ率先して莫大な所有財産を放棄して皆に分け与え、そもそも今までのような格差社会を解消すべきやのに、彼らは強欲故に絶対にせず、他人にだけ所有財産を放棄させようとする。過去記事「多数派に属す者は破滅に至る」でも言うたとおり、共産主義で庶民が幸せになる国は存在せえへん。なぜなら、必ずごく一部の人間だけが贅沢をして、多数の人間が苦しもうと知ったこっちゃないという自己中心的で利己的な悪い人間が支配する故に庶民が不幸になるに決まってるからや。そして、更に悪いことに、支配層は庶民から私事権(プライバシー)と生存権も剥奪しようとしてる。最近、各国が導入し出してる電子身分証(digital ID)がそれであり、日本では個人番号(マイナンバー)のことや。更に、黙示録預言のとおり、獣を拝んで獣の刻印を受けなければ売り買い(経済活動)でけへんような社会にしようと画策し、電子通貨にも力を入れて普及させようと必死に工作活動をしてる。支配層は、優生思想等といった歪んだ選民思想や特権意識を持ち、庶民全員を家畜として見下し、上から目線で監視及び管理して、逆らう者は生かさないという考えを持ち、これらの悪行を彼らの下僕である政治家や官僚や大企業経営者等に命令してやらせてるんや。家畜には番号を割り振って番号札を付けて管理するやろ。それと同じ事を人間にしてると気付き、やめさせようともっと必死に抵抗しなはれ。
上記の内容について、先にご紹介した画像引用元の動画を御視聴いただければ決して大袈裟な話し、陰謀論などではないことをご確認いただけると思います。
さて私有財産の放棄については、主イエスが御命令されていることでもありますが、そのことについては主イエスと金持ちの青年とのやり取りの話しから、その目的は先の支配者たちとは全く異なることをしっかりと理解して区別することはとても重要なことです。この金持ちの青年とのできごとについてはミカエルさんの過去記事「救いに値する完全な者」を是非一度ご確認お願い申し上げます。そしてこの所有という支配に於いて、この世の権威者の目論んでいることですがそれでも所有が及ばないものがあるということを知っていただきたく、それは人間自身であるということです。そしてそれは私たち一人ひとりの選択にかかっていること、自身の決断によって決まるということをミカエルさんの記事から知り、自分が何を選択するのかを一度真剣に向き合ってお考えいただきたいと願うばかりです。
この世の権力者や不信仰の悪い人間に献身しても何にもならず、後で滅びが待つだけやが、神のために献身すれば(主イエスの信仰を持ち、律法を死ぬまで守り、伝道し、慈愛ある行いをすることを指す)、神は必ずその者を救いはる。主イエスは、すべての人間に対して神に自分を献げるように求めてはる。それは、悪魔崇拝者であるこの世の支配層がやったようなモレクに子供を捧げるとか、命を蔑ろにする人身御供を意味するんやないで。主イエスの意図は、神のために生きる、神のために行動するという意味や。この世は試用期間とも拙者が現代人にも分かり易いように形容したとおり、この世での働き具合や成果を神がご覧になって評価しはり、神が認める人間のみが後の世で神と共に永遠に生きることが許されるんや。聖書は、主イエスについて証言し(ヨハネ五章三十九節)、人間がこの世で為すべき事や生き方を示す手引書であり、最重要書物や。せやから、聖書に見向きもせんとか、たとえ読んでも内容を理解せず、神の御意志を行わず、偽使徒パウロに惑わされて律法を無視して違犯し続ける人らはあかん。
(中略)
改めて、自分の所有者は誰かと考え、神から出た者(ヨハネ一 四章六節)と思うなら、この世の権力者や会社等に自分を献げるのを早々にやめ、神に自身を献げなはれ。そうせえへん人は「神のもの」ではなく、救われへん。神のものにならへん者は皆、悪魔とこの世の権力者に従って彼らのもの(彼らの所有)になり、救われへん。これは、天地の隔たりがあり、その後の待遇もや。世界情勢も不安定になり、欧米諸国では既に憲法違反を繰り返し、自由や人権が奪われており、不当に弾圧されてる。日本も改憲されれば、今までのような自由も無くなるし、戦争になりかねず、「あの時もっと抵抗してれば」とか「聖書を読んで勉強しておけば」等と後悔しても手遅れになるで。拙者が言うてきたとおり、これ以上後回しにすべきではない。まだ言う事を聞かず、無視し、拒絶し、嘲り、敵対するようなら、もう知らんからな。
海外では既に自由や人権が奪われ、人々が不当に弾圧をされているような状況ですが、日本が辛うじてまだそこまでに至っていないのは、ただただ神の大きな憐れみによるからだと私は思っております。手前の拙い記事にここまでお付き合い下さった方には、日本の危機的状況やこの先この世そのものが良くなりようがないことを御理解いただきまして真剣に聖書をご確認いただき、一人でも多くの方が悔い改めて神へ立ち返る決断をされることを切に願っております。最後までお読みいただきましてありがとうございます。
旧約聖書 詩編 百三編六節〜十三節(新共同訳)
主はすべて虐げられている人のために恵みの御業と裁きを行われる。主は御自分の道をモーセに御業をイスラエルの子らに示された。主は憐れみ深く、恵みに富み忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなくとこしえに怒り続けられることはない。主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなくわたしたちの悪に従って報いられることもない。天が地を超えて高いように慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。東が西から遠い程わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。父がその子を憐れむように主は主を畏れる人を憐れんでくださる。
新約聖書 ヘブライ人への手紙 十三章五節〜六節、八節(新共同訳)
金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。





