実は続いて所用により名古屋に行ってました
僅か7ヶ月ぶりですが、ちょっとした懐かしさと、ホーム感でした
いろいろ行きたい所があったのですが余り時間なく2ヶ所のみ。
まずは、名古屋城!
西の丸に新しい宝物館が出来たばかりですが、そこには行かず今回は私的な忘れ物をいろいろ回収して来ました。
まずは、城山三郎「冬の派閥」で描かれた幕末佐幕派の粛清、青松葉事件の碑。
横の説明板によると、『不可解な部分も多い。処刑された人々が本当に佐幕派であったか疑わしい』とありました。
大小様々な権力闘争、派閥争いがあった訳ですから、いろいろあったのでしょう。
更に、道を挟んだ側に知らない碑があったので見てみると、
藩訓秘伝の碑なるものが
『王命に依って催す事』とあります。
(天守最上階が良い感じで写り込んでいたのに今気付きました)
その説明板。
これは倒幕の行動を正当化する足しにしたように思いましたがどうでしょうか?
幕末の尾張徳川家の動向、この一文を頭において見直してみたいです。
この碑は名古屋城マップにも載ってないし、来るまで存在を知りませんでした。
やはり現地に来てみるものです
お次はその近く、織田信秀、信長親子が居た時の那古野城跡。
次も、直ぐこの近くでしたw
清正公石曳きの像。
(単なる逆光ですが、後光が差しているようでこれも良しとします)
2月に中村の清正生誕地を訪れた時に想った名古屋城築城時の胸中を改めて感じたかったのもありますが、
実はこの数日前、山岡荘八「徳川家康」でその熱い件を読んだのでした!
ということで、じゃ~んw
名古屋城の金の鯱が表紙絵の第22巻!
これを読んでいる途中での、これまた良い巡り合わせだったのでした
しかも、名古屋地下鉄で読んでたのが、竹千代人質生活から共にしてきた平岩親吉がこの名古屋城二の丸で亡くなる件でした!
5年前は本丸御殿未完成&工事中で、このベストアングルがイマイチになったのでした。
(リンクを貼ろうとして気付きました。初めて名古屋城に行ったのがちょうど5年前なのでした!同じく雲一つない青天
)
金の鯱は3月に降ろして掃除をしたのでしょう。光り輝いてました
建物には入らずこれで退散。
名残惜しかったので、二の丸広場から大天守と隅櫓。
この日はこの後鉄砲隊の演武があるとのことで、その準備をされてました。
築城から現在までいろんな人の想いもこもったまさに名城です