次は二条城を考えていたのですが、時間がなくなりそうなので泣く泣くアプリ上の城攻めに留め(笑)、さらに南東へ
6月は閉まっていた念願でもあり、山岡荘八「徳川家康」で鳥居元忠のくだりを読む前には行っておきたかった養源院です。
待った甲斐がありました
門をくぐるともみじ。2、3週間後には真っ赤になるそうです。
そして、本堂へ。徳川家葵門の幔幕です。
中に入ると受付ですが、直ぐそこに俵屋宗達の杉戸絵「唐獅子」が余りにも無造作に
その裏側が同じく宗達の「麒麟」
その部屋の向かいに「白象」
そして、その部屋の天井が血天井
一気にいろんなことが押し寄せて来ました。
落ち着いた所で、ガイドさんが居合わせた観光客(女子が多数!)を集めて説明してくれました。
血天井は、その説明を聞く内に、髷、顔、目、手足、鎧に刀、切腹して果てた姿がくっきり見えました。これが鳥居元忠とのことです。
別室には、お市さんから浅井三姉妹に受け継がれた弁天像が保管されているとのことで、これもいい巡り合わせでした。
そもそも”養源院”というのは浅井長政の戒名
淀殿が創建したのが始まりで、徳川の世になってからはお江さんが再建。本堂の中には豊臣家の五七の桐紋が描かれています。
信長、秀吉に滅ぼされた浅井氏
~家康の天下のための犠牲となった元忠
~家康に滅ぼされた豊臣氏
それらを経て漸く戦国の世が終わり太平の世が来た訳です。
そして、宗達の麒麟の絵。
まさに、「麒麟がくる」を今に伝えるのがここだと言って良いのだと思いました。
感動
(しかも、昨日の「麒麟がくる」では、光秀と家康が太平の世の実現に向け理念を共有するシーンがあり、この記事を書くのが遅れ遅れになったのもいい巡り合わせでした。)
ということで、御朱印はキリがないので1つ所で1つと決めているのですが、ここは通常のと特別両方頂きました。
書き置きならではの写真を撮って、もちろんこの建仁寺御朱印帳に貼りました。
原田マハさんの「風神雷神」以来の宗達マイブームも、ちょうど1年で一つの区切りとなりました。
次は、更に南東の”最後の”目的地へ