前回のブログは、いつもにないコラムちっく記事になってしまい、多くの方からTOMらしくなく、代筆か?と、まで言われた。 個人の思ったことをそのまま記録しただけで、そういう言葉を言うのをやめてもらいたいなどとまで思ってはいない。
ただ、報道を見ただけで「がんばって」と言う前に、コンビニで2円のお釣りを募金箱に入れたり、風潮にあおられての買いだめをやめてから、その言葉を思い出しても遅くはないと思った。
「がんばって」は今回言わない。 別に東北の人が嫌いなわけでも無関心なわけでもない。 でも「がんばって」は言わないし、言えない。
そもそも、「がんばって」という言葉は、最終手段だから、それが発せられたら、後は「神頼み」なのである。
たとえば、大けがをした人が目の前にいるとき、「救急車は呼んだから、がんばって」とか、医師が「現代医学は進んでいますから、がんばってください」また、親が子供に(かつては自分も経験した)受験がんばって」さらに高校野球のスタンド席から同級生の応援で「がんばれ!」・・・。
どれも、「がんばって」と言われる側は努力して前向きに進むことは同じ。 そして声をかける側は 「自分はすでに手を尽くし、精いっぱい努力したので、あとはあなた次第」という場面。
一方、今回のような災害被災者に対して同じように「がんばって」と声をかけたら、 休む場所も食べるものも、家族も着るものもない私に、今、何をどうがんばれというのか。 ヒーター効いた車で来て暖かそうなジャンパー着ているおまえががんばれよっ」って、濡れた靴下をはいた被災者は、きっとそう思うに違いない。
これに気がつけば、それは「がんばりましょう」に変化する。 思い込みかもしれないが、「がんばって」は相手の肩に手をかける「上から目線的」しぐさで「がんばりましょう」は、お互いしっかりと手を握り合う光景が目に浮かぶ。
「がんばって」の言葉を発する人と受ける人の間には、大なり小なり「フェンス」があるように思えて仕方がない。
だから 言えないよ それだけは。
ブルーベリーの種かと思っていたものが本日、ブルーベリーの肥料であることが判明。 実家の母が今日畑仕事に来てくれたので確認した。
小屋にあった袋は、B5サイズのものに顆粒状の粒がドッサリ入っていたことから、「こんなにたくさんの種が、すべて発芽したらジャングルになっちゃうのでは?」と、最初から違和感はあった。
肝心のブルーベリーの木は畑に植えてあった。
思ったより細くて小さい。 木の苗なのか、ややしっかりした草というべきか。
言い訳がましいが、昨日のブログでは、この顆粒状のものを種だと断定はしていないから。 だから紛らわしいと言えばそうともとれるが、誤報ではない!
でもあの包装で、裏書には栽培方法が書かれてたし…。 よく読まずにこれだけを撒いて毎日水やってたら悲しいかも。
そういえば、小学校も春休みになり、あの6年生たちも今日あたり卒業式だったと思う。 まだ水が入っていない田んぼでは子供たちがボール遊びをし、もっと向こうにはヤギが「遊んでくれよ」って、寂しそうにうろついていた。








