バレエ「白鳥の湖」の雑学をご紹介するシリーズ第3回。
過去2回は、こちらから。
今回は、第2回でも少し触れた、「オディールが黒鳥として描かれるようになった経緯」から派生して、「白鳥の湖」に隠された政治との関わりに迫ります。
バレエファンの中には、「きれいなバレエを観ていたいから、政治のお話はちょっと…」という方もいらっしゃるかと思います。
ただ、古典バレエは、時の権力者から委託を受けて、あるいは彼らの意向をくみ取って製作されていることも多いので、そうした時代背景にも、少し興味をもっていただけたら嬉しいです。
さて、1895年のプティパによる蘇演版では、黒鳥ではなく、「魔術師の娘」として描かれていたオディール。
彼女が「黒鳥(ブラック・スワン)」として登場するのは、1920年のボリショイ劇場でのこととされています。
1920年といえば、時はロシア革命の真っ只中。
革命期のロシアでは、オペラやバレエといった芸術は、存続の危機に瀕していました。
かつて、マリインスキー劇場が帝室劇場であったように、当時の舞台芸術は、特権階級との関わりが強く、「旧体制を象徴するもの」という捉え方もあったからです。
一方で、レーニンをはじめとするソ連の政治家たちは、「芸術は、社会を変革する上で重要な役割を果たす」と信じていました。
詳細に語ると、複雑なのですが、「革命後のソ連に相応しい、新しい人類を生み出すことが使命!」というように、考えられていたのです。
「新しい人類」ってどんな人?というと、「合理的」で「統制が取れて」おり「共同体を構成する」人々。
レーニンは、「脳は、外部からの刺激に反応する容器のようなもの。芸術を通じて、社会的・教育的メッセージをガンガン発信すれば、人々は新しい世界観を抱くようになる」と思っていました。
この「芸術を通じて大衆を変革しよう計画」は、後継者であるスターリンにも受け継がれました。
「社会主義リアリズム」を打ち出したスターリンの芸術政策は、「芸術とは、労働者階級が社会主義を実現するための闘争と、勝利を表現するもの」であること。
観客は、適応力がある(悪く言えば洗脳できる)ので、芸術を通じて大衆を勇気づけ、駆りたてることができれば、彼らは「新しい人民」になる、と思われていました。
そういうわけで、かつて王侯貴族が愛したバレエという、一見革命と相反するような芸術が、ソ連の政治家たちの重要な使命を帯びるようになったのです。
そして、1920~30年代にかけて、「白鳥の湖」をはじめとする古典バレエ作品も、「ロシアが誇るべき芸術的遺産」として、公認されていきます。
貴族が愛したレパートリーという批判もありましたが、急速に工業化・農業化を遂げ、社会が変化する中、偉大なチャイコフスキーの作品は、人民が、「ソ連」という国に誇りをもてる、という意味で重要視されたためです。
「新しいレパートリーを一から創る」ことに加え、帝室バレエからのレパートリーも、自国のアイデンティティーを維持する上で、必要不可欠だったということ。
↓オリガ・レペシンスカヤのオディール
もちろん、重要な政治的使命を帯びているわけですから、帝室バレエ時代の作品をそのまま上演するわけにはいきません。
政府が推し進めたい社会主義リアリズムに上手い具合にマッチするよう、(都合よく)改変して、大衆に共産主義の偉大さを分からせようという試みがはじまります。
「労働者の国」を掲げている以上、バレエは、「ソ連に肯定的なメッセージを、込み入った説明なしに分かりやすく労働者に伝えること」が優先されていきました。
そこで、採用されたのは、「オデットと王子を、悪魔に立ち向かい、自由と愛を手にする若者たちとして描く」という手法。
旧体制を象徴する悪魔という障害を乗り越えていく、若い恋人たちをリアルに描くことで、「白鳥の湖」は共産主義の思想を体現している!と主張したわけです。
↓オデットの乙女としての心情を、リアルに表現したと評価されたウラノワ
このアプローチをとったため、「白鳥の湖」は、帝室バレエ劇場で上演されていた時代から、いくつかの変化を遂げました。
結末がハッピーエンドへ変更されたことは有名ですが、①オデットと王子の描き方 ②「白と黒の対比」③白鳥たちの群舞に与えられた役割にも、社会主義リアリズムの影響が多く見られるようになっていきます。
次回は、これらのポイントを、ソ連時代の名演の映像と共に、ご紹介していきたいと思います。
参考資料:
・McDaniel, C. P. (2015). American-Soviet Cultural Diplomacy: The Bolshoi Ballet’s American premiere. Lexington Books.