小学校開校の日 | 中央委員会

中央委員会

ちゅうおういいんかい

小学生の頃の思い出で

1番印象に残っている事は?

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 

小学校開校の日

 

小学校の時の思い出で

1番印象に残っている事は?

 

 

 

ここ数年、このお題と副題が続いています。

昨年の記事を見ると、

「生徒会をやったこと」

と書いてありました。

 

実にくだらない!

 

 

しかしながら、

ワタシの頃の小学校の教育って

今考えると、

おかしなものです。

 

 

クラスは「仲良く」

「明るく」「団結して…」

なんて、

嘘くさい指導でしょ。

 

 

そもそも、我が国は

資本主義・自由主義・民主主義のもとに

競争社会なんだから、

仲の良いクラスなんて

ありえない。

 

競争は明るいものではない。

団結なんてありえない。

個々の競争なんだから。

 

これらを覆い隠して、

言い換えれば

「仲良くない」のに

「仲良く」し、

「明るくない」のに

「明るく」し、

「団結心(力)」のない、

「団結」をする。

 

これ、すなわち「村社会」

個々の意思なんか否定される。

「プライバシーはない」

「よそ者はよそ者」

 

 

こういう「村社会」を作ることを

指導されたのだ。

 

 

こういう指導に、疑念を抱き、

その呪縛から抜け出さないと、

卒業後、中学生、そして社会人に至る

「競争社会」で

戦うことはできない。

 

新社会人

 

 

ただ、あまり早く疑念を抱いて、

それを行動に移すと

単なる「不良」という

レッテルが貼られるので

注意が必要かな。

 

 

しかし、「団結心」が

必要な場合もある。

クラス対抗の合唱コンクール、

水泳大会、陸上競技大会などなど。

まぁ、こういう行事を

ムリムリ作り出している時点で

人為的なイベントではありますが…

 

 

ここでは、

他のクラスとの競争、

つまり、

競争社会の一場面が

導入される。

 

クラスの中では融和、

クラスの外では仮想敵、

「ウチ」と「ソト」との使い分け、

矛盾していない?

クラスの外とも融和できないの?

 

 

こういう「村社会」醸成教育に、

全く疑念を抱かなかった、

素直な(?)小学生が、

オトナになって、

やはり「村社会」を作る。

 

信じているんだもん、

正しいんだもん、

センセーが言ったんだもん…

 

こうして近所のママ友、

PTA、社宅、なにかのサークル、

 

 

町内会、自治会に

「村社会」が完成する。

 

 

 

 

 

 

その「村社会」に組み込まれた、

「競争社会」で生き延びている

オトナたちはたまらない。

 

 

また、この「村社会」では、

別の「村社会」に対して、

敵対心を持つこともある。

そのことによって、

この「村社会」が

団結することを

是としている。

 

これも、小学校の教育。

 

もうひとつ、

「村社会」の構成員としては、

「反省」と言う名の、

自分の手による、

自分の否定が

時として行われる。

 

自分の否定というのは、

言い換えれば、

「村社会」から

逸脱しそうになった自分を

戒めているのである。

 

 

 

小学生の時の下校前の

クラスのミーティング。

「ホームルーム」と言ったり

「学活(=学級活動)」と言ったり、

「終わりの会」と言ったり、

「終礼」と言ったり、

その名前が、

なかなか定着しなかったが、

あるセンセーは、ズバリ

「反省会」と称した。

そこで、日々の反省を

述べる会となった。

 

『論語』の「三省(さんせい)」

の由来だと思うが、

 

 

そもそも反省は

自発的なものでなければ

ならない。

 

強制されて反省するのは、

左翼活動集団、あるいは共産主義者の

「自己批判」と変わらない。

 

文化大革命(中国)

 

重い空気の中、ひとりずつ、

反省点を絞り出して発言していた。

 

ある時、ワタシは全く絞り出せなくて

「反省点はありません」

と答えたら、

センセーに

「そんなわけないだろ!」

と叱られた。

 

苦し紛れに、ワタシが

「今の態度、反省します」

と言ったら、

さらに叱られましたけれど…

 

 

***********************

そろそろまとめ

***********************

1990年代初頭から、現在に至るまで、

「失われた30年」

とか言われていて、

経済的な分析、政治的な分析、

 

「少子高齢化」みたいな

統計学的分析などなど、

 

いろいろなモノサシを

充てがわれていますけれど、

教育だって

同じじゃないですかね?

 

 

1990年に社会人になった人、

仮に大卒だとして22歳、

小学校を卒業したのが10年前の12歳、

1980年(昭和55年)。

 

この年の学校の風潮

 

まず「学校の荒れ」

「児童生徒の非行の防止について」

(1980年 文部省通達)

 

そして「いじめ問題」

「児童生徒のいじめの問題に関する

指導の充実について」

(1985年 文部省通達)

 

毎度ネタにしている

『デキる猫は今日も憂鬱』より

小学生時代の

福澤幸来ちゃん

(単行本第8巻 84缶め)

 

 

 

こうした

「ひずみ」「ゆがみ」が

とうとう出てきて、

小学校では1980年度から

「ゆとり教育」が開始されました。

「詰め込み教育をしない」

「競争しない」「落ちこぼれを出さない」

 

なんだか

偉いセンセーたちの理念

だった…

 

寺脇研

 

三浦朱門

 

 

結果、学力も低下。

我が国の

国際競争力の低下へ至る。

 

「ゆとり教育」は、

2011年度以降廃止。

そろそろこの世代が

主戦場に出てくる頃かな?

 

「ゆとり世代」

 

無責任なレッテルを貼られているが、

いろいろな意味で被害者だろう。

 

 

 

 

なーんて、

イライラしながら

私見を語ってしまいました。

申し訳ありません。

 

 

*****************

ハイ、今日はここまでです

 

今日も猛烈に忙しくて、

お昼を食べる時間がありませんでした。

疲れて、食欲が無いので

もう寝ます。

 

記事の文体にイライラが出ていますか?

まとまりがないですか?

 

反省します

(自己批判(笑))

 

今日も最後までお読みいただき、

有難うございました。

 

帰ってきたら、部屋の中が

カメムシ臭い気がしますが、

おやすみなさい…