⭐️DELE試験当日 【メキシコ】 | 刺激だけが私の生きる源。。。

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「1年を半年働き、半年旅に出る」を、繰り返し13年。刺激だけが和多田の生きる力。
男より旅、結婚よりも旅。未知の世界に入れば入るほど、好奇心が止まらない。。。

なんだかんだでDELE試験の当日がきた。


A2を受けるのは2人だけだった。




アジア系の女性と和多田は、狭い個室に入れられた。


A2を受けるアジア系の女性は、「maestra (先生先生)」と、職員達を読んでいた。


あのコースを受けていたのか?



ポーンポーンポーンポーン


あの恐ろしく高いDELE対策コースを受けていたらしい。



たしかに和多田がDELE対策の勧誘された時、先生たちは「日本人の生徒がいますよー」と、言っていた。


1時間3500円のDELE対策コース






やはりバカ高いコースを受けていたからには、

受かるのだろうか?



そして、ヒイキ?もあるのだろうか?



なぜなら先生達は、和多田を更に勧誘し、



「DELEの試験面接官が、先生ですよ〜」



と、つるような言葉を言っていた。



すぐさま、試験が始まった。


まずは【読解】


読解は5つの課題(Tarea)からなり、全25問


長い文章を読んで、後の問いに答える。


1問目   特に難しい単語もなく、全部読めた。


問題に取りかかろうとすると、アジア系の女性は、鉛筆でもう問いに答えている。。。



読解は五題ある。


すぐさま焦る和多田。


1題に対して問いの問題数が多くて、焦り出す和多田。


焦るとスペイン語を一度で翻訳できなくなってきた。


横の女性は、鉛筆の音を止めない。


四題目が終わった時に、先生が入ってきた。



ポーンポーンポーンポーン


まだ五題目読んでないし、問いにも答えていない。



そういえば、インターネットのDELE対策に書いてあった。


「早いペースで読まないと、時間が足りない」と。。。



まさにそれだ。。



先生はカセットテープを流し出した。



次は【聴解】


リスニングは4つの課題からなり、全25問です。



早くて、何の事を話しているか、分からなかった。


ヤバイ。。。言ってることがわからないので、問いにも答えられない。。



そういえば。。。


「もしわからない時は、A.B.C.Dのどれだけかに、チェックしておけば、当たる可能性がある」



と、DELEのインターネットの対策に書いてあった。



いくらなんでもそれは〜ニヒヒニヒヒニヒヒ


と思っていたが、まさに今和多田はそれだった。


ほぼ聴解がわからないまま、

次は【文章作成】



「この絵を見て、100 字から200字で説明を書いてください。」などだ。


あとは「文章を読み友人へ、指定された項目を含んだ手紙を書いてください」など。


いまいち何を書いていいか、はっきりわからないまま書いて、なんとなく終わった。


いったん休憩が入り、次は面接官2人との会話だ。


【会話】何枚か紙を渡され、自分で答えやすい会話を選ぶ。


和多田は「仕事」「交通機関」

を選んだ。


これは全てのレベルがこの部屋で試験を受けるので、外でかなり待たされた。


和多田の番がきた。


仕事のことを1人で話し、そのあと、交通機関の写真について話すと、面接官が色々質問してきた。


質問の問いは理解できたので、答えたが、特に複数名詞や、男性名詞、女性名詞にこだわらず答えてしまった。


そう、いつも友達と話す感じで答えてしまった。



1人の面接試験官が、和多田に質問し、後ろで別の試験官が紙にチェックか採点をしている。。


滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗


あっという間に終わったDELE A2



読解の五題目を読む時間がなかったので、問いには、適当にチェックした。チーン


会話もほとんど聞き取れず、適当にチェックした。チーン


会話も男性名詞、女性名詞、単数形、複数形を意識せず答えてしまった。。



どんよりした気分で受験会場を去った。


帰り間際に先生たちが、


「DELE対策は、合格を応援しますので、今からでも次の試験対策の生徒を募集しています」


と、また勧誘された。。。


和多田が不合格することを、予測しているのか?




....1時間3500円の試験対策



受けた方がいーのかな。。。と弱気になった和多田。



「3ヶ月後、gmail に 合否を通知します。」


と言われた。


滝汗滝汗滝汗


このモヤモヤのまま、3ヶ月も待たなければならないのか。。。


もっと普段から勉強しておけば良かった。。。


メキシコの友人達に


「もう終わったから遊べるね」


と言われたが、遊ぶ気になんてなれないほど、落ち込んでしまった和多田であった。